神の王国

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コリント第二12章・パウロの連れ去られた第三の天とパラダイス

「わたしはキリストと結ばれたひとりの人を知っています。・・・そのような者として第三の天に連れ去られました。 ・・・  その人はパラダイスに連れ去られ,人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉を聞いたのです。」(コリント第二1224

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                                14 Atmosphere Layers by Image Editor
                                            
「天」と「天の天」  

パウロは「超自然の幻と啓示」を受けた経験について語っています。(コリント第二12:1)パウロは第三の天、またパラダイスに連れ去られたと述べています。これは、パウロがどこに連れ去られて、どんな啓示を受けたことを意味しているのでしょうか。

第三の天と言う表現は聖書の中に他に見当たりません。けれども、聖書の中には、「もろもろの天」という表現があって、幾つかの天があることを示唆しています。(ヘブライ4:1;7:26)では、どんな天があるでしょうか。

科学者は、便宜的に地表から概ね500km以下大気が存在する範囲を地球大気圏であると考えています。大気圏には水分が含まれています。大気圏の外側を宇宙空間と言っています。


まず、「大空」は「天」と呼べます。創世記1章8節には、神は、「大空を“天”と呼ぶことにされた」とあるからです。天とはだいたい大気圏を意味しているでしょう。さらに聖書は、エホバ神が作られた「天の天」について述べています。(ネヘミヤ9:6)「天の天」とは何でしょうか。詩編の中で、「天の天」は、「天の上の水」と並べられて言及されています。(詩篇148:4)「天の上の水」とは、大気圏にある雲の水分を表しているでしょう。大空が「天」なのですから、「天の天」とは、大気圏のさらに上にある宇宙空間を意味しているでしょう。その「天の天」は,エホバ神を「お入れすることはできません」。(列王第二8:27)ですから、宇宙空間は、エホバ神の活動を限定はしません。


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Video of UARS, NASA's Upper Atmosphere Research Satellite by NASA Goddard Photo and Video
                                                      天の天

さらに、聖書は、「神の聖なる住まい」である「天」があることを示しています。(歴代第二30:27)エホバ神が住んでおられる霊の領域の「天」があります詩編には、「]は天から[使い]を送(る)」とありますから、天は霊者のみ使いたちも通常いる所です。(詩編57:3)

それで、大空の「天」とその上にある宇宙空間の「天の天」があります。ですから、パウロが言及した「第三の天」とは、エホバ神とみ使いたちがいる霊の領域の「天」でしょう。

しかしながら、パウロは文字通りにエホバ神やみ使いたちのいる霊の領域に連れて行かれたのではないでしょう。なぜなら、聖書は天の神の王国には、「肉と血」の体では入れず、霊の体を着けなければな   らないと述べています。(コリント第一15:50)それで、パウロは、幻のうちに、霊の領域に連れて行かれたのでしょう。

第三の天に「連れ去られた」という表現から何が分かりますか。「連れ去られた」という表現は、啓示12章5節に出てきます。そこでは、天の女の産んだ子供が神の「み座のもとに連れ去られた」ことが述べられています。これは、何を意味していますか。「み座のもとに」と言ってもそれは必ずしも、産み出された真の崇拝者が死んで天の神のもとに復活したという意味ではありません。なぜなら、大患難から生きて出て来て地上にいて神に奉仕をささげている大群衆も、「神のみ座の前」にいると述べられているからです。(啓示7:15)さらに、地から買い取られた十四万四千人の者も、「み座の前で」新しい歌であるかのような歌を歌っていると述べられています。(啓示143)新しい歌は、この地上でも歌われます。なぜなら、「エホバに向かって新しい歌を歌え。地のすべて[の者]よ,エホバに向かって歌え。」と述べられているからです。(詩編5:9)

「み座の前」にいること「み座のもと」にいることは、死んで復活して天の神のもとに行くことを意味していません。それで男の子が「み座のもとに連れ去られた」というのは、その子供が地上での何らかの変化を経験するという意味でしょう。「連れ去られた」という表現はある立場あるいはある状況に移されるという比ゆ的な意味があります。

その男の子は、あらゆる国民を鉄の杖で牧する」という立場にあります。(啓示12:5;2:26,27)ですから、その男の子は、天の神の王国の成員である14万4千人として「選ばれた者」でしょう。(マタイ24:31。コロサイ3:12)それで、その男の子が「神のもとに連れ去られた」とは、おそらく霊的に優れた啓発を受ける状態に移されたという意味でしょう。

同様に、パウロが「第三の天に連れ去られた」とは、文字通りの天の領域に移されたのではなく、霊的に優れた啓発を受ける状態に移されたということを意味しているでしょう。

神のパラダイスとはどこでしょうか。イエスは将来の地上のパラダイスについて予告されました。(ルカ2343)しかし、啓示の書は、天的希望を持つ者たちが行くことになる天の領域、「神のパラダイス」について述べています。(啓示27)パウロが言及したパラダイスは地上のパラダイスではなく、彼が死んで復活して行くことになる霊の領域の「神のパラダイス」について言及しているのでしょう。

パウロが聞いた「人が話すことを許されず,口に出すことのできない言葉」とは何でしょうか。パウロは、「み使いの[いろいろな]ことば」があると述べました。(コリント第一13:1)ですから、パウロは、将来自分が復活して行くことになっているエホバ神のおられる天の領域の幻を見て、そこでみ使いの言葉を聞いたのでしょう。ですから、パウロはイエスから超自然の幻と啓示を受けて、霊の領域の第三の天、天的なパラダイスの様子をかいまみたことを述べているのでしょう。(コリント第二12:1,4)


その幻を見せられて、パウロにとって、自分の死後に行くことになっている天の領域は、現実的なものになったでしょう。その超自然の幻を見て、パウロは、最後まで神に忠誠を保つように励まされたでしょう。選ばれた者たちは、エホバ神のおられる天の領域について信仰を強めることが必要です。そうするならば、パウロのように死に至るまで、神とキリストに忠実を保つことができるでしょう。


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ルカ22章・イエスが弟子たちと結ぶ王国の契約

「わたしは、ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように、あなた方と王国のための契約を結び、あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし、また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします。」(ルカ22:29,30)

ルカの記述によると、イエスは記念式を制定された際に、弟子たちと王国のための契約を結ぶと言われました。王国のための契約とは何でしょうか。その王国の契約はまず最初にエホバ神がイエスと結ばれたものです。

聖書は、早くもエホバがダビデに永遠に続くダビデの王国を約束されたことを示しています。(サムエル第二7:12-16)この時、天では、エホバは天におられたイエスにダビデの王権を永遠に受け継ぐことを話されたかもしれません。それで、この時、エホバはイエスと王国のための契約を結ばれたと言えるのかもしれません。

また、イザヤの時代にも、ひとりのダビデの子孫が「ダビデの王座」を「定めのない時に至るまで」保つという約束が語られました。(イザヤ9:6,7) エホバはイザヤに預言を与えると共に、この約束もおそらくみ子に語られたでしょう。

さらに、ダニエルの時代にも、エホバはイエスに王権を与えることを示す預言をされました。ダニエル7章の預言によると、「日を経た方」エホバ神が、「人の子のような者」に「支配権と尊厳と王国」を与え、その王国が「滅びに至ることのない」ものとなることが預言されています。(ダニエル7:13,14) また、その支配権は、「もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者」つまり人類全体に及ぶものでした。(ダニエル7:14)
エホバ神は、この預言を預言者ダニエルに語られた時、将来イエスに永遠の王国を与えるという約束をイエスに対して再び確証されたと考えられます。エホバ神は、天の集会でイエスと結ばれた王国契約についてみ使いたちの前で公に話されたのかもしれません。(ダニエル7:9,10)イエスは、ご自分のことをしばしば「人の子」と言われ、この約束がご自分に当てはまることを自覚しておられました。(マタイ8:20。ダニエル7:13)

また、同じダニエル7章の預言によると、「至上者に属する聖なる者たち」が定めのない時に至るまで「王国を取得すること」が予告されています。(ダニエル7:18)さらに、その支配権も全世界的な規模のものです。(ダニエル7:27)ですから、神の僕のある者たちは、イエスに与えられる永遠の王国に共にあずかることになっていました。

それで、永遠の王国の支配権を与えるという契約は、まずエホバ神とみ子イエスの間で結ばれました。しかし、メシアであるイエスはそのために成し遂げなければならない条件がありました。イエスは地上で人間の「子供」として生まれなければなりませんでした。(イザヤ9:6,7)さらに、イエスは、「多くの人々の罪を自ら担う」ために、「自分の魂を死に至るまでも注ぎ出す」ことが求められました。(イザヤ53:11,12)「とがの贖い」が求められていました。(ダニエル9:24)

イエスはエホバのご意志どおり、西暦1世紀に、人間の「子供」として生まれ、首尾よく、「贖い」を捧げられました。そのことを首尾よく行なって始めて、イエスはご自分の弟子たちにご自分と共に天で王になるという見込みを差し伸べることができました。ですから、イエスは、贖いの死を忠実に遂げる目前になって、記念式を制定された際、ご自分と共に将来王として支配するという契約を弟子たちと結ぶことをされました。(啓示5:9,10)

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Jesus' Last Supper with His disciples was aPassover meal (Matthew 22:7-29; Mark 14:12-25; Luke 22:7-20;24-30; 1Corinthians 11:23-26)
           イエスは記念式の際弟子たちと王国のための契約を結ばれた

「座に着いてイスラエルの十二部族を裁く」というイエスの約束は、イエスの弟子たちが、ダビデに与えられた永遠の王国の約束をイエスと共に受け継ぐことを意味していたでしょう。(サムエル第二7:12-16)

王国のための契約は、パンとぶどう酒という表象物にあずかるイエスの弟子たちとイエスの間で結ばれます。イエスは、ご自分の弟子たちが、「わたしの試練の間わたしに堅く付き従ってきた」ゆえに、弟子たちと王国の契約を結ぶと言われました。(ルカ22:28)ですから、王国のための契約を保つために、天的希望を持つクリスチャンは、試練のもとでもイエスに付き従うことが求められています。

今年2013年、イエスの死の記念式は、3月26日(火)の日没後に行なわれます。そこで、イエスと王国の契約を結んでいるクリスチャンは表象物にあずかることになります。


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                        2009 Trip - Prince Edward Island by msprague
王国の契約に入っているクリスチャンは3月26日(火)のエホバの証人の王国会館で開かれる記念式で表象物にあずかります

西暦2012年にエホバの証人の記念式で表象物にあずかった人の数は、全世界で1万2604人でした。そして、記念式に出席した人の数は、全世界で1900万人あまりでした。今年も、記念式に出席して、天的希望を持つクリスチャンは、イエスとの王国契約を再確認し、イエスに付き従う決意を新たにしましょう。また、大群衆も記念式に出席してイエスの贖いがもたらす益を思い巡らすことができます。
 

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マルコ12章・生来のイスラエルが神の民でないことを示すたとえ話

「ぶどう園の持ち主はどうするでしょうか。彼はやって来て耕作人たちを滅ぼし,そのぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」(マルコ12:9)

教会の中には、今でも生来のイスラエルが神に用いられるクリスチャンになると考えている人がいます。イスラエルに旅行をして、イスラエル人のクリスチャンと交わってくる教会員さえいます。しかし、聖書は、生来のイスラエル人がもはや特別な神の民ではないことを示しています。イエスは、生来のイスラエルがエホバ神から捨てられ、神の王国に関連した特権を自分たちだけが差し伸べられるという立場を失うことを示すたとえ話をされました。

それは、次のようなたとえ話です。イエスは、ぶどう園を設け、それを耕作人たちに貸し出して、外国に旅行に出た家あるじのたとえ話をしました。(マルコ12:1)そのたとえ話は、マタイ21章とマルコ12章に同じたとえ話があります。

実りの季節が巡って来たとき、家あるじは自分の実りをいくらか得ようとして耕作人のもとに奴隷たちを派遣しました。ところが、耕作人たちは奴隷たちを捕まえ、ひとりを打ちたたき、もうひとりを殴りつけ、もうひとりを殺しました。家あるじは再びほかの奴隷たちを最初より大勢派遣しました。しかし、耕作人たちはこれにも同じことをしました。(マルコ1225。マタイ21:3436)

最後に家あるじは、息子なら尊敬するだろうと考えて、愛する息子を彼らのもとに派遣しました。ところが、耕作人たちは、その息子を見ると、相続財産を手に入れるために、息子を捕まえ、ぶどう園から追い出して殺してしまいました。(マルコ1268)

以上のたとえ話を話された後、イエスは話を聞いていた人たちに尋ねました。「それで、ぶどう園の持ち主はどうするでしょうか。」そして、「彼はやって来て耕作人たちを滅ぼし、そのぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」と言われました。(マルコ129)

マタイ21章のたとえ話では、結論として、「神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです。」と言われました。(マタイ21:43)

神の王国は、悪らつな耕作人たちから取られ、その実を生み出す国民に与えられることになります。イエスは、たとえ話を、ご自分の話を聞いていた生来のイスラエルの宗教指導者たちを念頭に置いて語っておられました。(マタイ2145。マルコ1212)

エホバ神は、エジプトから救い出した生来のイスラエルにモーセの律法と律法を教える祭司たちを与えました。そして、生来のイスラエルにご自分の考えを伝えさせるため、ご自分の奴隷である預言者たちを派遣しました。

しかし、生来のイスラエルの宗教指導者たちは神から派遣された預言者たちを迫害し、ある者たちを殺しました。たとえば、イスラエルのアハブ王とその妻イゼベルは、多くの預言者を断ち滅ぼしたばかりか、預言者エリヤを殺すためにつかまえようとしたと聖書に記されています。(列王第一18:410;19:1,2)

また、ユダヤ人の伝承によると、マナセ王の命令によって預言者イザヤはのこぎりで切り裂かれたとされています。また、ユダの王と君たちは、預言者ゼカリヤを神殿の中庭で石打ちにして殺しました。(歴代第二24:21)

他にも聖書に記されていない、迫害され殺された預言者たちの例もあったことでしょう。最後に、エホバはご自分の最愛のみ子イエス・キリストをユダヤに遣わされました。ところが、ユダヤの人々は、み子イエス・キリストを退け、杭にかけて殺してしまいました。

それで、このたとえ話の結論のように、エホバ神は生来のイスラエルをぶどう園の耕作人としては捨て去ってしまわれます。すなわち生来のイスラエルは、神の民という特権的な立場からは退けられてしまいます。

実際の歴史の中で、西暦70年にティツス将軍率いるローマ軍によってエルサレムとユダヤが壊滅することによって、エホバ神が生来のイスラエルを捨て去ったことは、徹底的に明らかになりました。その時、エホバの神殿は、壊滅し、エホバの神殿が破壊されるというイエスの預言が成就しました。(マタイ2412)

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歴史家ヨセフスは西暦70年のエルサレムの滅びを記録している


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The Conquest of Jerusalem by Emperor Titus

Nicolas Poussin Kunsthistorisches Museum art museum in Vienna,Austria
ティツス将軍により征服されるエルサレムを描いた絵

その時、誰が正当に祭司として奉仕することができるかを示す証拠となる記録も紛失してしまいました。そして、物質的なエホバの神殿は再建されることはありませんでした。それで、イスラエルがモーセの律法に従って祭司制度を維持することも、祭司によって定期的なエホバへの犠牲を捧げることもできなくなりました。

それゆえ、エホバ神は、生来のイスラエル人と非イスラエル人によって構成される聖霊で油注がれたクリスチャンに対して、神の王国を受け継ぐという特権を差し伸べることにされました。(ローマ9:23,24)ぶどう園の耕作人という特権的な立場は、生来のイスラエル人から取り去られ、さまざまな国籍から成る国際的なクリスチャンのグループに与えられることになりました。それで、現在の生来のイスラエル人を神の特別な選民と考えるのは、間違っています。

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マラキ4章・悪を行なうすべての者が滅びる日

「『見よ、炉のように燃える日が来るからである。そして、すべてのせん越な者、また悪を行なうすべての者はまさに刈り株のようになる。それで、来たらんとするその日は必ず彼らをむさぼり食うであろう』・・・『またあなた方は邪悪な者たちを必ず踏みにじるであろう。わたしが行動する日、彼らはあなた方の足の下で粉のようになるからである』と、万軍のエホバは言われた。」(マラキ413)

マラキ書には、「エホバの大いなる、畏怖の念を抱かせる日」また、「炉のように燃える日」が来ると述べられています。(マラキ4:1,5)これは、どんな日について言及しているのでしょうか。

その日には、「悪を行なうすべての者」は「刈り株のように」なり、「根も大枝も」残りません。(マラキ4:1)また、「邪悪な者」は踏みにじられ、「粉のように」なります。(マラキ4:3)ですから、この日はエホバが悔い改めない邪悪な者たちすべてを裁かれる時、この事物の体制を終わらせる時です。

では、邪悪な者たちは、どのように終わるのでしょうか。聖書は神が神の王国によって邪悪な者たちを処刑されることを予告しています。例えば、ダニエル書では、ネブカドネザルが見た夢の中で、神の王国を表す石が、神の民と関係する諸国家を表す像の足の部分を打ち砕くことを予告しています。(ダニエル2:44,45)すると、その像は粉々になりもみがらのようになって風に吹き払われてしまいます。(ダニエル2:34,35)

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                                   Point of Impact  by W J (Bill) Harrison
                          聖書は邪悪な者たちが粉々にされる滅びの日を予告している


聖書は、神の律法に敬意を払って従う人々が「エホバの怒りの日」に「隠される」と述べています。(ゼパニヤ2:3)ですから、その時、終わるのは、悔い改めないで神の律法に違反する者たちだけです。(テサロニケ第二1:6,7)

そして、エホバがこの事物の体制を終わらせるのは、この事物の体制がクリスチャンを迫害して殺すからです。実際、聖書は、天的な希望を持つ者たちがすべて北の王によって滅ぼされてしまうことを予告しているようです。(ダニエル8:24)

天的希望を持つ者たちは、天の霊者として復活するために、この地上の人間としての命は後にしなければなりません。(コリント第一15:50)それでも、天的希望を持つ「忠節な者たち」のこの地上での命は神にとって貴重です。(詩編116:15)そのため、エホバ神は、神の民の「流された血に対する復しゅう」をされるために、この地上のすべての邪悪な者たちを処刑されることになります。(詩編79:10)

しかし、マラキ書に「あなた方は邪悪な者たちを必ず踏みにじる」「彼らはあなた方の足の下で粉のようになる」と予告されていても、地上にいる神の民が直接邪悪な者たちに軍事的な攻撃をして滅ぼすのではありません。(マラキ413)この事物の体制の終わりは天の軍勢によるものです。その時、選択的に邪悪な者だけが終わることになります。


私たちは、エホバ神の是認と祝福を求めていきましょう。悔い改めて神の律法を守るよう努力をすると共に神のみ言葉の「真理の正確な知識」を取り入れるように努力していきましょう。(テモテ第一2:4)そのようにするならば、エホバはある人々には、天的希望を与え、ある人々にはこの世の終わりを生き残って、この地上で幸福のうちに永遠に生き続ける見込みを与えるでしょう。

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