支配権の論争

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ローマ5章・神はなぜアダムの子孫の罪を即座に治されなかったのですか

 
「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった・・・。」(ローマ5:12)
 
 アダムは病気、疾患、悲しみ、苦痛など、価値のない遺産を子孫に伝えました。(ローマ 5:12)ある人は、アダムの子孫は直接神に不従順な行動をしていないのに、罪を受け継いだことを疑問に思います。愛のある神であれば、なぜアダムの子孫の受け継いだ罪や不完全さを治してくださらなかったのでしょうか。
 
 エホバはなぜアダムの子孫からアダムから受け継いだ罪を許し、罪の結果を即座に取り除くということをされなかっのでしょうか。例えば、ある人々は、アダムの罪と関係なかったアベルやその他の良い人々から、アダムから受け継いだ罪を取り除いて永遠に生きられるようにすることができたのではないだろうかと考えます。しかしながら、聖書は「罪を犯さない人はひとりもいない」と述べています。(列王第一 8:46)ですから、アベルと言えども、やはり、ダビデと同じように罪を犯していました。
 
アダムの子孫は皆、受け継いだ不完全さゆえに、罪を犯しやすい傾向を生まれつき持っています。ダビデは罪を犯してしまった時に、自分が生まれつき罪深いということを述べて、神に憐れみを求めています。ダビデは、「わたしはとがと共に、産みの苦しみをもって産み出され、わたしの母は罪のうちにわたしを宿しました。」と述べています。(詩編 51:5)そのせいもあり、人類はアダムから受け継いだ罪を増し加えています。その結果、アダムの子孫のすべてがアダムから病気や死やそれに伴う苦しみを受け継いでいます。
 
エホバはすべての人から、罪とその結果を即座に取り除くということはされませんでした。なぜでしょうか。それには、大きく言ってふたつの理由がありました。ひとつの理由は、神の義と公正のためです。
 
人間の政府の支配者が法に対する民の違反に対して甘くなり、何の罰も加えないとすれば、どうなるでしょうか。不法は蔓延し、民の政府に対する敬意も損なわれ、無政府状態になるのではないでしょうか。
 
しかし、「義と裁きは神の王座の定まった場所」です。(詩編 89:14)そして人は神の法的公正を無効にすることはできません。(ヨブ 40:8)それで、神はご自分の義と公正の原則のゆえに、感傷に負けて人類の罪をすぐに許してしまうというようなことはできませんでした。
 
神ご自身のみ言葉は、『罪の報いは死である』ことを示しています。(ローマ 6:23)エホバは罪に対して、断固とした態度を取っておられます。しかし、もし、エホバが人類の罪深さを大目に見るとすれば、神はご自身の義の規準を無視することになったでしょう。そして神が少しでも義からそれるなら、それは宇宙内で不法を助長し、宇宙の主権者としての神の立場を弱める結果を招くにすぎなかったでしょう。(伝道の書 8:11)
 
それゆえに、人間が罪を犯した場合、エホバは罪の許しのために贖罪つまり贖いを求められます。それは、モーセの律法の要求に示されていました。罪を犯した人は、罪の許しのために動物の犠牲を捧げることが求められていました。(レビ5:6)また、モーセの律法下では、過去一年のイスラエルの罪の許しのために特定の日が贖罪の日として定められており、大祭司は罪の捧げ物として動物の犠牲を捧げました。(出エジプト30:10)
 
そのようにして、罪の許しのために贖いが求められるのは、正しいことです。罪が許されるにあたって、そうした贖いが求めらることによって、初めて、罪の重大さが強調され、罪を犯した人は、二度と罪を犯すことのないようにしようという決意が鼓舞されるでしょう。そのようにして、神の義と公正さの基準は満たされます。
 
エホバは人類の罪を覆う贖いとしてご自分の最愛のみ子の完全な命の犠牲を備えられました。「この[み]によって、わたしたちは贖いによる釈放,すなわち罪の許しを得ています。」と聖書は述べています。(コロサイ1:14)み子の贖いは動物の犠牲と違って完全に罪を許す効力があります。人類の個々の人は、み子の贖いという根拠に基づいて許していただけます。そのようにして、神の公正と義の基準も満たされます。
 
人間の罪をみ子の贖いによって覆っていただけるという取り決めは、人間だけに与えられている神の憐れみを反映した特権だと言えます。み使いは、み子イエスを通して神に直接完全なものとして創造されました。そのために、罪を犯した場合、自分の罪を他の人のせいにして言い訳をすることができません。それで、御使いが罪を犯した場合、贖いは受け入れられません。しかし、アダムの罪の影響を受けている人間は、アダムから受け継いだ罪のゆえに、それがなかったなら犯さなかった罪を犯してしまうことがあります。そのため、人間のためには罪の許しのための贖いの取り決めがあります。
 
さらに、エホバが人類の罪をエデンでの反逆の後、すぐに取り除くことをされなかったもう一つの理由は、エデンの園で、解決されなければならない重大な論争が提起されたからです。
 
サタンは、エデンの園で、人間は神から独立して神のように独自の善悪の基準を決めて首尾よくやっていけると主張しました。そして、神を、神から独立するという自由を被造物から不当にも奪っている偽り者と非難することにより、神の名声を傷つけました。(創世記 3:1〜5)そのようなサタンの挑戦を無視することはできませんでした。もし答えを与えないままにしておくなら、神の支配権に対する確信も支持もついには弱まってしまったことでしょう。
 
エデンの園で、サタンからそのような問題が提起されたために、エホバは、サタンと人間に神から独立して独自の基準を決めて行動する、いわば自治をする自由を与えることにされました。そのようにして、サタンと人間は、神から独立して首尾よく自治ができるかどうか試みる自由と時間が与えられました。
 
そのために、エホバはアダムの子孫から、アダムの罪の影響を即座に取り除くということをされませんでした。それで、アダムとエバをすぐに処罰して裁くことをされず、生き永らえるにまかされました。それでも、アダムはエホバの言葉の通り、罪の影響のために最後には死んでしまいました。そして、これまで人間は、およそ六千年の間、人間が神から独立した結果がどのようなものになるのかを見ることになりました。人間の歴史を通して、悪魔サタンの提起した論争が全くサタンの側の誤りであることが徹底的に証明されています。
 
すなわち、悪魔サタンと人間は、神から独立して独自の善悪の基準を定めて幸福な生活を送ることはできません。人間の歴史は、戦争や争い、憎しみ、病気や問題で満ちています。エホバは悪魔サタンと人間の支配の結果が徹底的に証明された後は、ご自分の政府である神の王国によって、アダムの子孫から、アダムから受け継いだ罪の痕跡を取り除いていかれます。
 
それで、エホバは、理由があってアダムの子孫からエデンでの反逆の後、即座にアダムの罪の影響を取り除くということはされませんでしたが、ご自分の方法で、ご自分の予定の時にそうされます。永遠の見地から見て、エホバがそうされたことは人間にとって最善の結果をもたらします。
 
 

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「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである。」(箴言27:11)

私たちが自分の人生をどう生きるかはエホバ神の誉れともなれば、恥ともなります。また、喜ばせることになれば、悲しませることにもなります。なぜでしょうか。エホバ神とサタンの間で重大な論争があってすべての人はそれとかかわりがあるからです。

悪魔サタンは、アダムとエバに神の律法を破らせて神への反逆に加わらせることができました。このことから、サタンは、「わたしに機会さえ与えてくれれば、わたしはだれでもあなたから引き離すことができる。」という挑戦をエホバに投げかけたことが考えられます。この言葉は聖書には出ていませんが、サタンがこのような挑戦を投げかけたことはヨブ記に示されています。

ヨブは、モーセの時代に東洋に生きていた模範的な神の僕で、廉直で神に忠実な人でした。聖書は天の神の子たちの集会に、サタンがエホバのみ前に現れたことについて述べています。その時、エホバはサタンにヨブが廉直な神の僕であることを指摘しました。(ヨブ1:6,8)

サタンは、自由に地を行き巡ることが許されていました。だれでも神から引き離すことができるという挑戦を実行に移す自由な機会をエホバがサタンに許しておられたことが分かります。それでも、ヨブはエホバに忠実でした。

すると、サタンは神に対するヨブの忠節さにけちをつけて、「ヨブは、あなたが彼に物を与えるからあなたに仕えるのであって、あなたを愛しているから仕えるのではありません。」と論じました。サタンは、またエホバがより大きな力を用いていつもヨブを保護していると言いました。(ヨブ1:9〜11)

そこで、エホバはサタンの引き起こした論争に決着をつけるため、ヨブをサタンの手に任されました。(ヨブ1:12)

すると、サタンはヨブの家畜がみな殺されたり、盗まれたりするように取り計らいました。そして、ヨブの10人の子供が殺されました。ヨブはほとんどすべてのものを失いましたが、エホバに対する彼の忠実さは変わりませんでした。ヨブは、すべてのものを失ってもエホバをのろうことはありませんでした。(ヨブ1:13〜22)

サタンは、再び神の子たちの集会でエホバの前に現れました。それで、エホバはもう一度サタンにヨブの忠実さが分かったかどうかをお尋ねになりました。それに対して、サタンは、もし、エホバがヨブの体に疾患をもたらされるなら、エホバをのろうことになると論じました。(ヨブ2:1〜5)そこで、エホバはヨブを殺してはならないという条件付きで、ヨブに対してどんなことをしてもよいとの許しをサタンにお与えになりました。(ヨブ2:6)

それで、サタンはヨブをひどい病気で苦しめました。しかし、ヨブは、「わたしは息絶えるまで、自分の忠誠を自分から奪い去らない!」と言いました。(ヨブ27:5)ヨブは神に対してあくまでも忠実でした。ですから、ヨブはただ物質的な利益のために仕えているのであり、それが取り去られるなら、エホバを捨ててしまうと挑戦した悪魔は間違っていたことが証明されました。また、サタンがエホバへの奉仕から、すべての人を引き離せるわけでもないことも分かりました。

ヨブの忠実な歩みは、試みを受ければ人間は神に仕えはしないというサタンの嘲弄や挑戦に対して答えをエホバ神に提供しました。それで、私たちの生き方はみな、このエホバとサタンの間の論争に関係します。この論争の神の側かサタンの側を支持することになります。それで、冒頭の聖句のように、私たちが試練のもとで忠実に神に仕え続けるなら、それは、サタンの嘲弄に対する答えとなり、エホバの心を喜ばせます。(箴言27:11)

エホバは忠実を保ったヨブを祝福し、彼の持ち物を以前の二倍にし、さらに10人の子供の父親となるようにされました。(ヨブ42:12,13)また、サタンに殺された10人の子供も死者の復活の際に生き返るに違いありません。

私たちがこの論争で神の側にしっかり立つ時、エホバは私たちに天もしくは地上での永遠の命を与えてくださるでしょう。(ヨハネ3:16)ですから、この重大な論争においてエホバ神の側をしっかりと擁護しましょう。
「彼は[イエス]を連れて上り,またたく間に人の住む地のすべての王国を見せた。そして悪魔は言った,『この権威すべてとこれらの栄光をあなたに上げましょう。それはわたしに渡されているからです。だれでもわたしの望む者に,わたしはそれを与えるのです。』」(ルカ4:5,6)

悪魔サタンは人の住む地のすべての王国をイエスに見せて、冒頭の聖句のように言いました。それで、悪魔サタンは人間製の政府の権威すべては自分のものであり、それを自分の望む者に与えることができると言いました。そして、イエスはサタンの言葉を否定されませんでした。それでは、悪魔サタンはなぜそうした権威を持っているのでしょうか。

それはエデンの園で悪魔サタンの提起した論争のために、エホバ神は悪魔サタンが人間を勝手に支配することを一時的に許されたからです。

エデンの園でどんなことが起こったのでしょうか。今からおよそ六千年前にエホバ神はエデンの園にアダムとエバを創造されて置かれました。(創世記2:15)エデンの園ではふたりはどんな生活を送っていたのでしょうか。ふたりには食べ物は十分にありました。(創世記2:9)エデンの園は大変快適な気候で、温暖だったので、服を着る必要さえありませんでした。(創世記2:25)ふたりはエデンの園を耕し、動物の世話をするという仕事が与えられていました。(創世記2:15、1:26)ふたりは何不自由のない、また、問題のない生活を送っていました。ふたりは病気にかかることも、年を取ることもありませんでした。なぜなら、ふたりは神に従っていさえすれば、死ぬことはなかったからです。(創世記2:17)

ただ、エホバ神はふたりに、神が人間のために定められた善悪を尊重するよう求められました。そのご要求を、エホバ神はアダムとエバに善悪の知識の木の実を食べてはならないと命じることによって示されました。エホバ神は、善悪の知識の木の実を食べるならば死ぬと言われました。(創世記2:17)

ところが、悪魔サタンは、善悪を人間が判断することについてエバに次のように言いました。「あなた方は決して死ぬようなことはありません。その木から食べる日には,あなた方の目が必ず開け,あなた方が必ず神のようになって善悪を知るようになることを,神は知っているのです。」(創世記3:4,5)

それで悪魔サタンは善悪の知識の木の実から食べるなら、アダムとエバが神のように善悪を知るようになると言いました。悪魔サタンは、人間がエホバ神に従わなくても、善悪の基準を神のように自分で判断でき、人間がそのように行動しても、死ぬことはないと言いました。

「アダムは欺かれませんでしたが、女は全く欺かれて違反に至ったのです」と述べられています。(テモテ第一2:14)それで、エバは悪魔サタンの言葉に欺かれてその言葉を信じました。アダムは悪魔サタンの言葉から惑わされることはありませんでしたが、エバと離れたくなかったのでしょう。アダムとエバはふたりとも、善悪の知識の木の実を食べました。(創世記3:6)

その時エホバ神は、アダムとエバに関して「人は善悪を知る点でわたしたちのひとりのようになった」と言われました。(創世記3:22)このエホバ神の言葉は、アダムとエバがエホバ神の善悪の判断基準を従順に受け入れるのではなく、エホバ神やイエス・キリストのように自分で善悪の判断を下すという立場に立ったということを示していました。

人間がエホバ神の支配を受け入れることはなぜ賢明なことですか。エホバ神は万物を創造されました。(創世記1:1)また、人間を創造され、命を与えました。(創世記2:7)み子は、エホバ神が創造の業を行なわれた時に、すぐれた働き手として働かれました。(箴言8:27〜30)ですから、物質宇宙について、この地球について、人間の体についてエホバ神とイエス・キリストはすべてを知り尽くしておられます。(イザヤ40:26。詩篇147:4;104:24;139:14,16)一方、人間はそれらの事について知らない事、理解できないことが多くあります。(ヨブ37:5)それで、人間はエホバ神が、人間より知識や理解の点で、また愛の点で勝っているということを認める必要があります。(箴言2:6。ヨハネ第一4:8)神が人間のために善悪の基準を定めた方が人間にとって益になることを認める必要があります。(イザヤ48:17)人間は従順にエホバ神の支配を受け入れるほうが賢明だと言えます。(列王第一3:9)

エホバ神が持たれる善悪の基準を定める権利というのは、エホバ神の支配権を意味しました。ところが悪魔サタンは人間がエホバ神の支配から独立しても、善悪の基準を神のように判断できて、死ぬ事がなく、その方が人間にとってうまくいくと主張していた事が分かります。エホバ神はご自分の支配から離れては悪魔サタンも人間も成功しないことをご存知でしたが、ご自分の支配が不動のものとして高められるために、悪魔サタンが提起した主張を証明するための時間を悪魔サタンと人間に与えることにされました。(出エジプト9:16)

それで悪魔サタンは人間に自由に影響を及ぼすことを一時的に許されました。人間もエホバ神の支配から独立して行動する事が許されました。それで悪魔サタンは地のすべての王国の権威と栄光を一時的に自由に支配する事が許されていました。それで、悪魔サタンはすべての王国の権威を自由に望む人間に与えることができました。

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