並外れた統率力志々雄真実といえば、もちろん単純に剣客としての「強さ」もあるとは思いますが、真の脅威はやはりあの十本刀をまとめあげる統率力にあったのだろうということはいわずもがなです。あれほど一癖も二癖もある十本刀を従わせるには並大抵のカリスマ賄えるものではありません。
そこで今回は、明治政府に焼き殺されそうになってからの彼がいかにして裸一文から戦艦煉獄まで手に入れ大勢の部下を従え明治政府掌握までの布陣を敷いて行ったのか、その華麗なる人心掌握術について読み解いていきたいと思います。
「俺の次に強くなれるさ」 他を寄せ付けない絶対的自己優位主義の徹底これは、まだ火傷の傷がいえない志々雄がのちに十本刀の右腕となる瀬田宗次郎の素養を見出し、仲間に引き入れた際に宗次郎から「僕、強くなれるかな」と問われたときの台詞です。まだ当時8歳だった、しかも剣客でもなんでもないただの米問屋の養子にすぎなかった宗次郎をスカウトしたのですからそれだけでも宗次郎の天賦の才の片鱗をいかに志々雄が確信していたかは推して測るべきです。
実際、あの若さでめきめきと実力をつけ、しかも感情欠落者(=動きが先読みできない)というスペックつきです。
正直なところ、本気で闘り合ったら志々雄より強いのでは?と考えた読者は私だけではないはずです。
しかし志々雄は決して「自分と同じくらい、いやそれ以上に強くなれる」とは言いません。
あくまでも、自分を超えることはない前提での台詞なのです。
これは宗次郎に限らず、たとえば蒼紫勧誘時にもおんなじようなことがありました。
蒼紫とはあくまでも「同盟」を結ぶだけであり、仲間に引き入れたいわけじゃないと説明する志々雄でしたがその際、「人には各々性分に沿った”生き様”ってヤツがある」「たとえば人の上に立つ者」(といって自身を指さす)、「それに付き従う者」「そして誰とも相容れず孤高に生きる者」(と言って蒼紫に目線を移す)というししおの台詞があるのですが、これだって、蒼紫は決して「だれとも相容れない」人材なわけではなく、ましてや「人の上に立つ」素養がないわけでは決してないのです。
現に、つい最近まで蒼紫だってあの江戸城を守り抜いた隠密御庭番衆を束ねる御頭を勤め上げていたのですし…
で、もちろん志々雄自身、そんなことは百も承知の上でのあの台詞だったことに疑いの余地はありません。
それが意味するものはただひとつ――決して相手を自分より優位に立たせないため(もしくは「超えられるかもしれない」という幻想を抱かせないため)なのでしょう。
この、ある意味潔癖とさえ思えるほどの自分最上位思考はしかし、トップにたつ者として大事な素養なのかなと思います。
「実際のところどうなのか」ということはこの際、結構どちらでもいいのです。
つまり、ひょっとしたら、志々雄よりも蒼紫の方が上に立つ素養は上なのかもしれないですし、宗次郎の方が「強い」のかもしれません。
ただ、いずれもみなそんなことは疑いもしません。
あの蒼紫にしたって、志々雄に対して決して良い感情は抱いてないにしても、同盟の話についていえば志々雄に同意した時点で必然的に志々雄を認め受け入れたということに他なりません。
人間だれしも、「上に行きたい」という向上心を持ち合わせている一方で、手放しに傾倒でき見上げることができる「越えられない存在」というものを求めてやまない生き物です。
そんな崇拝本能ともいうべきものを常に満たしてくれる存在こそがまさに、志々雄のような「上に立つべき人物」ということであるのかもしれません。
「いや極悪人だぜ」 自身の存在を「悪」と言い切る「悪の組織」のトップ出会ったばかりの宗次郎に「悪い人なの?」と聞かれたときの台詞です。厳密に再現すると、「(おじさんは)悪い人なの?」「悪いのは明治政府さ。おれを焼き殺そうとしやがった」「じゃあいい人なの?」「いや極悪人だぜ」という感じの流れだったと思います。
組織のトップ、特に「悪」の組織の頂点に立つ者が「悪役になりたがらない」性質だったとしたらそれに付き従う者もまた、「正義」と「悪」の間で揺れ動いてしまうことは必至です。
ましてや、あの時代の「大正義」である明治政府に対して反旗を翻すべく集まった組織なんですから、たとえどれほど「明治政府をつぶして自分たちの理想国家を作り上げることが正義だ」という強い志を持っていたとしても、心のどこかで「悪に手を染める」マイノリティ側である自身の孤独感というものは芽生えるものであると私は思います。
そんなときにその悪の組織のトップがもし少しでも「偽善的」な言葉を口にしたりしたらどうなるでしょう。
その時点で、組織の目的のための手段として人を傷つけ、殺め、あるいは武器商人から不法に武器を手に入れるような悪に手を染めてきた前線部隊の中には「悪」と「良心」の狭間で立ち往生する者も出てきてしまうことは自明なのであります。
悪の組織のトップはいつだって私心を持ちあわせることなく「極悪人(マイノリティな存在)」でありつづけるべきであり、そうでなければたちまち悪の組織というものは遠からず瓦解するものなのであるのかなって思います。
日本掌握計画の要ともなる優秀な外様参謀・佐渡島方治を傾倒させるに至る志々雄の鮮やかな手腕のプロセスを追う同じ志々雄の腹心中の腹心である瀬田宗次郎や夜伽役の駒形由美とは違い、志々雄の配下につく前には明治政府の官僚を務めていた方治。いわゆる、外様的な人材ともいえます。
ですので、ある程度の忠誠を誓わせることはできても宗次郎に対して行ったような「刷り込み」は容易ではなく、やはり100%自分色に染め上げることは、少なくとも京都編初期ごろの段階では、さすがの志々雄も実現できていなかったように見受けられます。
現に蒼紫と同盟を結ぶことになった際、方冶だけは「あのように人間が壊れた者を」と危惧する様子を見せます。
この時点で方冶には、列強国と渡り合える強靭な日本を創るためには志々雄真実を置いてほかにいないという確信と信頼はあれど、志々雄の修羅の部分に関してはいまいち染まりきれてはいなかったようです。
これが方冶ではなく他のモブ配下であれば、それでも充分ではあるのですが…なんといっても方冶は今後ししおの日本掌握の野望を遂行するにあたって欠かせない唯一無二の優秀な参謀です。
武器商人の間を駆けずり回って戦艦煉獄を手配したその手腕だけでも、いかに方冶がずば抜けて優秀な参謀なのかは推して測るべきです。
「忠誠を誓わせる」だけではなく、それこそ宗次郎のように身体の髄まで志々雄真実カラーに染まってもらわねばなりません。
さて、そこで志々雄が行ったのが方冶への「炎の洗礼」です。
志々雄より唐突に「地獄を信じるクチか?」と問われ、「人間は死ねばただ土に還るだけ」であるという、しごく合理的な理論で返答した方冶。
しかしそんな方冶に志々雄は、「俺は地獄とやらを信じている」とカミングアウトした上で明治政府に焼かれ体温調整が効かなくなった手のひらを方冶の顔にかざします。
そして、志々雄独自の「地獄実在論」をこんこんと説くのです。
そのパフォーマンスは、官僚時代に倭少な明治政府に嫌気がさして野に下ったという方冶の心に火をつけます。
そして、やはり新しい日本を担うべきはこの志々雄しかいないと、改めて感銘を受けます。
いち参謀だった方冶が、志々雄の修羅道に本格的に足を踏み入れる覚悟が芽生えた瞬間でもありました。
現に、洗礼を受けてのちの方冶はこれまで以上にめきめきとした働きを見せていきます。
東京砲撃作戦が失敗し囮作戦に使った十本刀からの不信を買いそうになったときも、方冶の機転により何とか丸く収まります。
その際も、志々雄は方冶へのねぎらいを忘れません。
「以後、汚れ役はすべてまかせる」
「ただしお前にはいの一番に勝利をあじわわせてやる」
「この俺のかたわらでな」
この人についていくと心に決めたリーダーである志々雄の完全勝利のためならば、自分は「蛇蝎」になることも厭わないというその決意をしっかりと受け止めてもらえた方冶。
官僚時代、心から崇拝し自分の手腕を存分に尽くしたいと思えるリーダー不在のまま空虚を抱えていた方冶にとって、これほどまでにありがたい言葉はあるのでしょうか。
かくして彼は十本刀を含め組織がことごとく瓦解する中、唯一、最終決戦まで志々雄のそばにつきその壮絶な最期を見届ける生き証人となるのです。
(なお最終的には公の場でししおの目指した理想国家論を語る機会を一切与えられないばかりか、敵側であったはずの自分を引き込み、その能力を活用しようと目論む明治政府に絶望し、牢獄の中で自決します)
いち剣客としての志々雄はあくまでも孤独な存在さて、並々ならぬ人心掌握術によって華麗に配下たちの心を虜にしてきた志々雄ですが、あくまでもいち剣客としては最後まで孤独な存在であったように感じます。最終決戦時、志々雄に「完全勝利」の実現のための奇襲作戦を打診する方冶でしたが、その際方冶は剣心のことを「所詮はあの男もたかが”剣客”」と揶揄し、だからこそこちらも堂々と「剣客同士」の決闘に持ち込んでくるだろうと高をくくってくるだろうからその隙をついて一気に葵屋を攻め落とすべきであるということを滔々と語ります。
しかも、その「剣客」的には唾棄すべき奇襲作戦を傍らで聞いた腹心の宗次郎までもが「なるほど!」と合いの手を打つ始末です。
この点、剣客としての志々雄は剣心と比べてもいかに満たされない存在であるかが推して測ることができます。
一方の剣心は、敵側である元新選組三番隊組長である斎藤とは因縁の仲とはいえ、互いに剣客としてはシンパシーを感じる部分があるということは明言しておりましたし、そういった敵味方を超越した「剣客」としての絆みたいなものを共有できる人物が志々雄のまわりにはなく、ある意味、最大の敵である剣心サイドにそれを求めてしまう側面もなきにしもあらずでした。
その心のうちばかりは、たとえ腹心である宗次郎や方冶にも計り知れない部分であり、しかし野望を達成するため優先すべきは剣客としての我を通すことではなく今の仲間と共に完全勝利への道筋を牽引することが志々雄真実の最大のプライオリティであった以上、その孤独もまた仕方のないことなのかもしれません。
圧倒的カリスマ性で大勢の配下を傾倒させ、あらゆるものを手に入れてきた志々雄ですが、剣客としては終始満たされることのない、寄る辺無き存在でもあったのかなとふと思ったりもしました。
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3分の1「いや、極悪人だぜ」まで、読んだ。
ちょっと、じっくり読むな。
志々雄ファンとしてわ、流し読みできませぬ。
[ - ]
2013/3/28(木) 午後 10:46
>たちさん


コメントありがとーございます
おおっ・・・ぜひぜひじっくり読んで下さい(>∀<)
まあ、長いわりに、さほど内容があるわけではないのですが・・・^^;
ぜんぶ読んで頂ければ幸いです。
たちさんは、ししおファンだったですか
2013/3/29(金) 午後 0:05
ファンだったですよ。
絶対、勝利アメリカ。的な強さと自信わ、どこからくるのだ?と思うぐらいの威圧感があるよなぁ。
そこまで、ゆわれたら、もうなにも、申すまい・・
と、ゆってしまいそうな。
話わ、それるんやけどな。志々雄って、何気 両刀つかい やよねぇ。ほんと、なんでも こなせる男って、みかけホラーでも 惚れてまうやろぉっ!!><なんかな。
実際、たち も、あの悪の限りをつくして尽くしきれない 志々雄の
勇姿に、惚れてしまったのだから。
わが子が、がっこ でハブられた時も、「所詮、この世わ 弱肉強食。」と、待ってましたとばかりにゆってしまった たち わ、親失格でやんす・・
[ - ]
2013/4/3(水) 午後 11:03
>たちさん
両刀つかい・・
力だけではなく、頭も切れますからね^^
最強っす。
でもyukuはじつは、これだけししお上げしといてなんですが、「所詮この世は弱肉強食」の摂理はすきになれなかったりしますm(__)m
ししおファンのひとには申し訳ないのですが、あのセリフでちょっとだけししおのショボさが垣間見えるというか、まあ、宗次郎勧誘時には効果的なセリフだったかもですが、さいごのほうまで乱発してましたからね。
あと、yukuはししおのカリスマ性ももちろんですが、どちらかというと、ししおに関しては、滅びのの美学的なところというか、少年漫画でいうところの勧善懲悪の悪側の軌跡を体現している部分に見どころを感じていたりします。
まあ、ししおはかっこいい悪役でした
2013/4/5(金) 午後 0:42