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INTO THE WILD「荒野へ」

 ショーン・ペンの監督デビュー作INTO THE WILD「荒野へ」を見た時は去年の今頃だった。
当時もこの映画のタイトルに惹かれて思わず見た。一人の若者の自分壊滅への旅の物語。
映画の主人公クリス・マッカンドレスはアメリカで話題になった実在の人物だった。1990年当時22歳のクリスは優秀な成績で大学を卒業した。将来有望な好青年は突然裕福な家庭を捨てて、貯金をすべて寄付し、身分証明できるものも全部捨てて、彼は自分をぶっ壊す旅に出た。
彼の不可解な行動を理解できる人は妹だけかもしれない。
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今まで家族ととっても幸せそうに過ごしていたクリスはいったい何があったのか?実は見た目幸福な家庭でも人に言えない秘密もあった。クリスの父親は元妻と離婚せず、母親と同棲し、クリスと妹四人暮らしをしているにもかかわらず、実はクリスと妹ふたりとも私生児となる。薄情な父親は元妻との子供も受け入れないし、自分の母親ともうまくいかなかった。子供の頃家庭内暴力などに悩まれ、後ほど社会への憎悪に発展し、いつの間にか周りのすべてを拒絶したくなり、どんどん自分も失っていく羽目となる。そして、彼は現実逃避とも言える、いわゆる「僕は歩いていく まだ見ぬ自分と出会う為」旅に出た。 クリスは西へ向かい、そして更に北へ、アラスカへ〜放浪人生はまるでクリスの第二の人生のようだった。赤茶けた岩肌をみせる荒野、雄大な自然、コロラドの急流、アラスカの雪原、広大な農場、狩猟、ヒッピーのカップル、社会からのアウトサイダーたち、農場主、退役軍人……さまざまな個性を持つこころの優しい人と出会い、そして別れの繰り返し、彼の孤独の心もすこしでも癒されているかと、つい映画を見ている私は「ここでやめよう、もういいじゃない?ここで暮らそうよ」と何度も彼に言いたくなった。文明に毒されることなく自由に生きようと決意した彼の最終目的地はアラスカの荒野へ、クリスは振り向かずに歩き続けた。
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現実社会のすべてを捨てて、自然のあふれる荒野へ戻るという発想は今の人から見ると、きっとクレーズィとあきれるだろう。人間社会で生きている限り、学生なら先生に追われ、大人なら仕事に追われ、家族に追われ、どんどんマイスペースが少なくなるのが事実では?それでもすべてを捨てて自ら自由を求め、周囲と離れてゆく勇気がないのでは?私の答えはNOだ。でも理想主義を持つクリスは限りのある食材をもって自らアラスカの荒野へゆき、そこで一人で寒い冬と闘う勇気は誰にも負けないのでは。。。アラスカの荒野で見つかった廃棄バスを休息場所に改造し、山狩りや読書、日記もつけることとなり、自給自足の生活は案外毎日忙しかった。一人で昔の記憶を繰り返し、両親や妹も恋しくなり、そして読書の中からも彼が少しずつ悟った。人生は現実逃避ではなく、人と分かち合って、人を愛することだと少しずつ悟っていたのだろう。 春が来た頃、とうとうクリスは二年前あんなに嫌だった現実社会へ戻る決意をした。しかし予期せぬことが起きた。寒い冬を経て少しずつ溶けていた雪で川になり、一人の力で川を渡れない現実を知った。クリスは山に呑み込まれそうになった。最悪食料もなくなってしまい、彼は生きる為にあらゆる果物やみたこともない果実を食べて生き残ろうとしていた。皮肉にもうっかり毒のある植物を食べてしまい、誰にも助けも呼べない山の中で一人で近々訪れる自分の死を目の前にして、最後の日記を書いていた。それから、彼は人生の最後の力を振り絞って、自分の体を拭き、洋服を身につけ、廃棄バスに入り、静かに人生の最期を待っていた。彼は最期に突き抜けるような青空へ見上げて、彼の一筋の涙とともに見せた微笑、私の涙も零れ落ちていました。目の前に人の最期を見届けるような悲しさに堪えられなかった。最期のクリスは青空を見上げる時、今まで嫌悪になった社会への気持ちは変わっているだろう。自由を求め、自ら放浪を選んだ彼はその時何かを感じたのだろう。少なくとも人への優しさを少し学んだのではないだろうか。 二週間後、ハンターはクリスの遺体を発見し、彼が最期残った日記を世間を広げた。
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ショーン・ペン監督は映画の中の雄大で綺麗な景色と絶妙なバック音楽ともに、観客に考えを与えられた。クリスを演じたエミール・ハーシュも迫真の演技そして彼の最期の目に流れた一筋の涙に感動した。「荒野へ」与えてくれたことはなんだろう。私は思う。青春なんて答えを得ようとしていても無駄。答えがないからこそそれぞれの人生が違ってくる。昨日「エレファント」の感想文のタイトルにも書いたように、青春は盲目であり無知である。今日付け加えたいのは青春は無謀でもある。 そしてもっと創造性のある人生になるように青春時代から夢をおっきく持つのと常に優しい心でいること、この映画は伝えたいことなのでは?     
最近ドイツで起こった学園襲撃、銃乱射殺人事件をきっかけ、なんとなく昔見ていた映画『エレファント』を思い出した。私はこの映画が好きだった。なぜならば、この映画は、全世界の青少年たちへ提供している貴重な映像教科書だと思うからだ。青春期の子供たちはこの映画を通し、自分と映画の中の人物とダブりあうかどうか考えさせられたり、それぞれの両親たちもこの映画を通し、悲劇が起こる映画の中で、自分の子供に対して教育ノウホウをどう取り入れるべきか、今までの子供への教育を反省すべきか、これからどう導いていくべきかなどいろいろ考えさせられると思う。
 『エレファント』はざっと見て、どこでもありそうなアメリカ学園生活の中でごく普通の生徒の淡々と過ごした平凡な一日のように思われた。すくなくとも惨劇がおきるまで。。。犯人に対して銃乱射事件の動機など映画の中で、あえて詳しく映らなかった。最初どう見ても普通の青春ドラマにすぎないと感じていた。
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 学校をサボりたがるジョン、酒に酔っている父に学校に送られ、青春期の少年は何を考えているのか真剣に向き合ってくれる人がそこにはいなかった。イーライは撮影好きな写真部員、事件がおこる直前、公園を散歩するパンキッシュなカップルを撮影していた。容姿にコンプレックスを抱くミシェルは成績抜群にもかかわらずいつも孤独な存在。苛められっ子で内向的なアレックスとエリックは、ネットで入手したライフルを手に学校へ向かっていた。。。噂話や母親の愚痴ばっかりおしゃべりの三人組、今日も相変わらずの調子。アメフトの練習後、恋人と待ち合わせるモテモテのネイサン、幸せの空気に包まれ、まもなく予想せぬ惨劇が訪れるなんて思いもしなかった・・・
 この映画の学生役たちはほとんどアメリカ学園からオーディションで選ばれた現役学生、もちろん映画の経験ゼロの素人。ごくあふれた学園でいつものように自分らしく演じてもらうのが監督の拘りだろう。学園のシーンはほとんどセリフもなく、自然な演技で観客に親近感を与えられていた。それから登場人物はそれぞれの世界にいるように見えるが、実は何らかのきっかけで運命にも言えるようなお互いかかわっていた。この映画は約一時間で学園の静かな生活を描いていた。秋のすがすがしい風に吹かれ、優雅な景色に伴い、映画に出る若者たち青春はそのもの。あらゆるシーンは人々に希望を与えることばかり、ほんの少しの危険の兆しも感じられないまま、物語の急転換を迎えられる。現実では完全無防備な学生が襲われたように、観客も相当なショックを受けられた。
 このストーリーについて、大体内容を知っていたので、映画の半ばくらいから犯人が誰だか推測が出来たが、それでもその純粋そうな顔とあとあと残酷な心をどうしても結び付けられなかった。さらに彼の犯行時口に出していたとんでもない言葉に唖然とした。「なんというすばらしい1日そして、恐怖の1日!!」そしてラストの「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」。。。その直後に流れる青空のシーンがどうしようもなく、良いことも悪いこともそれまでのことごとくを流し去るほどに透明だなと思ってしまって背筋が凍った。いったい少年の身に何があったのか?動機は何だったのか?人々に便利をもたらしているインタネットにおちこぼれているのか?それとも家族に愛されていなくて病んでいるのか?それとも・・・いろんな推測があるだろう。この映画を見た人々もきっとそれぞれこれに対しての答えや解釈があるだろう。サント監督はこういった。「コロンバイン高校銃乱射事件”を題材に、高校生の日常を淡々とドキュメンタリータッチで描いた」という。監督はあえてショッキングや感情に訴えてくるような撮り方をしなくて、見ている側に考える余裕を持たしてくれてた気がする。ともかく映画を見終わる頃、「間」が必要だなって思ってた。
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映画の題名は「エレファント」、象の意味。しかし、映画の中で象が出てこなかった。なぜこの題名を起用されたのだろう。「エレファント」とはインドの盲目の仏教僧侶が、自分の手で触れた印象しか語れず、物事の全体が見えにくいという教訓話に(監督が)行き当たったからだそうです。盲目の人が象の尻尾を触って蛇といい、象の体を触って壁というだろう。彼らには、「エレファント(象)」の全容は当然見えないし、感じることもできない。実際、盲目でなくとも人間は、自分の小さな周りの一部の物しか見ていない。それに、見ても視界が狭い。中々観察する観かたではない。縦しんば見えたとしても、自分の蓄えたデータを通してしか分析できない。ここに理解の限界がある。哲学で云う、経験とともに理解する「認識」の世界があっても、自分の持つデータをはるかに超えるモノに対して人間はどんな理解の仕方があるのだろうか?また、別の『 ポスター 』でも見られるピンクの「『エレファント」象は、英語で「 pink elephants 〔戯言〕 酒の飲み過ぎなどによる幻覚」という意味もある。
 犯人の現実逃避、人間不信、完全無視など、普段生活からさまざまな出来事でいつのまにか未成年の少年に歪んだ性格が出来上がってしまい、取り返しのつかない悲劇が起こる兆しともいえるだろう。大人たちはもっと子供のことを見てあげれば、やさしく接してあげれば、こういった悲劇も起こらなかったかもしれない。バック音楽のベートーベンのピアノ曲が流れていて、犯行直前まで「エリーゼのために」が穏やかな時が流れていたのだが、一瞬してすべてが滅びて、青春は盲目であり無知である。彼らは渾身の力を尽かし、衝動、欲望、自己顕示、そしてもっとも脆い一面、現実の中で滅びてゆく。今も時々「エリーゼのために」を耳にすると、映画の冒頭とラスト青空のシーンを思い出してしまう。

私の頭の中の消しゴム

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記憶が消えても終わらない永遠のラブストーリー
もしも、愛する人が全ての記憶をなくしてしまったら……。愛し合った日々も名前も、存在さえも忘れられてしまったら、貴方はどうしますか?
純愛というテーマで日本人の心を魅了し続けてきた韓国から、今秋、永遠に忘れられない究極のラブストーリーが上陸します!ピュアな社長令嬢・スジンとひねくれものの大工・チョルスは、運命的な出会いから恋に落ち、やがて夫婦に。いくつもの愛の瞬間を重ねてきた2人だったが、スジンの尋常でない物忘れが日に日にひどくなっていく。そして病院で下された診断は、肉体的な死より精神的な死が先にくる、若年性アルツハイマーだった。一人で家に帰れない、電話がかけられない、そうやって全ての記憶をなくしてしていき、最後にはチョルスの名前も、愛していたことさえも忘れていってしまう。別れでも死でもなく、忘却によって愛が終わっていく絶望と戦いながら生きていく中で、必至に記憶を繋ぎとめようとするスジンと記憶の中で生きていく決心をしたチョルス。全ての記憶が消えるとき、愛は終わってしまうのか?「どうか、最後まで残っている記憶があなたとの思い出でありますように」美しい映像といくつ者忘れられない幻想的な愛のシーン。今を大切にする全ての恋人たちへ贈る、永遠に忘れられないラブストーリーです。

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