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最近ドイツで起こった学園襲撃、銃乱射殺人事件をきっかけ、なんとなく昔見ていた映画『エレファント』を思い出した。私はこの映画が好きだった。なぜならば、この映画は、全世界の青少年たちへ提供している貴重な映像教科書だと思うからだ。青春期の子供たちはこの映画を通し、自分と映画の中の人物とダブりあうかどうか考えさせられたり、それぞれの両親たちもこの映画を通し、悲劇が起こる映画の中で、自分の子供に対して教育ノウホウをどう取り入れるべきか、今までの子供への教育を反省すべきか、これからどう導いていくべきかなどいろいろ考えさせられると思う。
『エレファント』はざっと見て、どこでもありそうなアメリカ学園生活の中でごく普通の生徒の淡々と過ごした平凡な一日のように思われた。すくなくとも惨劇がおきるまで。。。犯人に対して銃乱射事件の動機など映画の中で、あえて詳しく映らなかった。最初どう見ても普通の青春ドラマにすぎないと感じていた。
学校をサボりたがるジョン、酒に酔っている父に学校に送られ、青春期の少年は何を考えているのか真剣に向き合ってくれる人がそこにはいなかった。イーライは撮影好きな写真部員、事件がおこる直前、公園を散歩するパンキッシュなカップルを撮影していた。容姿にコンプレックスを抱くミシェルは成績抜群にもかかわらずいつも孤独な存在。苛められっ子で内向的なアレックスとエリックは、ネットで入手したライフルを手に学校へ向かっていた。。。噂話や母親の愚痴ばっかりおしゃべりの三人組、今日も相変わらずの調子。アメフトの練習後、恋人と待ち合わせるモテモテのネイサン、幸せの空気に包まれ、まもなく予想せぬ惨劇が訪れるなんて思いもしなかった・・・
この映画の学生役たちはほとんどアメリカ学園からオーディションで選ばれた現役学生、もちろん映画の経験ゼロの素人。ごくあふれた学園でいつものように自分らしく演じてもらうのが監督の拘りだろう。学園のシーンはほとんどセリフもなく、自然な演技で観客に親近感を与えられていた。それから登場人物はそれぞれの世界にいるように見えるが、実は何らかのきっかけで運命にも言えるようなお互いかかわっていた。この映画は約一時間で学園の静かな生活を描いていた。秋のすがすがしい風に吹かれ、優雅な景色に伴い、映画に出る若者たち青春はそのもの。あらゆるシーンは人々に希望を与えることばかり、ほんの少しの危険の兆しも感じられないまま、物語の急転換を迎えられる。現実では完全無防備な学生が襲われたように、観客も相当なショックを受けられた。
このストーリーについて、大体内容を知っていたので、映画の半ばくらいから犯人が誰だか推測が出来たが、それでもその純粋そうな顔とあとあと残酷な心をどうしても結び付けられなかった。さらに彼の犯行時口に出していたとんでもない言葉に唖然とした。「なんというすばらしい1日そして、恐怖の1日!!」そしてラストの「ど・れ・に・し・よ・う・か・な」。。。その直後に流れる青空のシーンがどうしようもなく、良いことも悪いこともそれまでのことごとくを流し去るほどに透明だなと思ってしまって背筋が凍った。いったい少年の身に何があったのか?動機は何だったのか?人々に便利をもたらしているインタネットにおちこぼれているのか?それとも家族に愛されていなくて病んでいるのか?それとも・・・いろんな推測があるだろう。この映画を見た人々もきっとそれぞれこれに対しての答えや解釈があるだろう。サント監督はこういった。「コロンバイン高校銃乱射事件”を題材に、高校生の日常を淡々とドキュメンタリータッチで描いた」という。監督はあえてショッキングや感情に訴えてくるような撮り方をしなくて、見ている側に考える余裕を持たしてくれてた気がする。ともかく映画を見終わる頃、「間」が必要だなって思ってた。
映画の題名は「エレファント」、象の意味。しかし、映画の中で象が出てこなかった。なぜこの題名を起用されたのだろう。「エレファント」とはインドの盲目の仏教僧侶が、自分の手で触れた印象しか語れず、物事の全体が見えにくいという教訓話に(監督が)行き当たったからだそうです。盲目の人が象の尻尾を触って蛇といい、象の体を触って壁というだろう。彼らには、「エレファント(象)」の全容は当然見えないし、感じることもできない。実際、盲目でなくとも人間は、自分の小さな周りの一部の物しか見ていない。それに、見ても視界が狭い。中々観察する観かたではない。縦しんば見えたとしても、自分の蓄えたデータを通してしか分析できない。ここに理解の限界がある。哲学で云う、経験とともに理解する「認識」の世界があっても、自分の持つデータをはるかに超えるモノに対して人間はどんな理解の仕方があるのだろうか?また、別の『 ポスター 』でも見られるピンクの「『エレファント」象は、英語で「 pink elephants 〔戯言〕 酒の飲み過ぎなどによる幻覚」という意味もある。
犯人の現実逃避、人間不信、完全無視など、普段生活からさまざまな出来事でいつのまにか未成年の少年に歪んだ性格が出来上がってしまい、取り返しのつかない悲劇が起こる兆しともいえるだろう。大人たちはもっと子供のことを見てあげれば、やさしく接してあげれば、こういった悲劇も起こらなかったかもしれない。バック音楽のベートーベンのピアノ曲が流れていて、犯行直前まで「エリーゼのために」が穏やかな時が流れていたのだが、一瞬してすべてが滅びて、青春は盲目であり無知である。彼らは渾身の力を尽かし、衝動、欲望、自己顕示、そしてもっとも脆い一面、現実の中で滅びてゆく。今も時々「エリーゼのために」を耳にすると、映画の冒頭とラスト青空のシーンを思い出してしまう。
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