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10代〜20代前半までサーフィンをしており伊勢の国府ノ浜や和歌山の磯コに通っていた。
30年ほど前の台風のとある日、大学の友人3人で国府ノ浜に行ったのですがサッカー部の超元気な友
人が吉野川のような激流の海原に流された。
見る見る姿が小さくなっていき、やがて見えなくなってしまった。
残った私たち2人は、焦った。
結論として「アイツは、タフや!運動神経もバリバリや!暫くしたら自力で戻って
くる。」 という回答を出しました。
それで暫く様子を見ることにして私たちは、各人、サーフィンを楽しんでいた。
ところが私も今まで遭遇したことのない大波に襲われて気が付けば洗濯機の中の激流のような中で蠢い
ていた。
平衡感覚がなくなり、どっちが水面でどっちが海底なのかも分からずパニック状態に陥った。
海水も飲み込み苦しくなり、意識候となったとき、たまたま海面に浮いた。
死ぬかと思った。
案の定、漂流した友人は「死ぬかと思った。もうサーフィンは辞めた。」と言って7時間後に戻ってき
た。
ところがこの頃、山下達郎の「ビッグウェーブ」というビデオを見たところ、プロのウインドサーファ
ーがハワイを舞台に華麗に楽しんでいた。
まだウインドサーフィンが開発されて10年目位の頃でした。
咄嗟に
と直感した。
直ぐに通信販売で「サーファー艇」という初心者向けのボードセイルを当時、30万円位で購入した。
それに加えて安物のウエットスーツ・ハーネスライン・キャリアーも購入した。
持ち前の「習うより慣れよ!」 の精神で直ぐに琵琶湖の「なぎさ公園」
に走った。
見よう見まねで1回目・2回目と挑戦するもボードの上で立つことすら出来なかった。
色んなスポーツを経験したが上下のバランス・風向き等を考慮しなければばらず、非常に難しいスポー
ツだと痛感した。
それからビデオを見たり手ほどき本を見たり上手い人の操縦を見たりして必死で研究した。
3回目で乗れるようになった。
その後、当時、休日の取れる支社であったことから琵琶湖・大和川・二見・加太等に週に2〜3回、通
った。
夜明けから日の暮れまで必死で努力した。
ある程度の強風にもスピードに乗り人並みになった。
そこで冒険心の旺盛な私は「琵琶湖横断や!友が島、小豆島横断
や!」 と心に決めたのです。
それには、強靱な体力と精神力が必要なことから、時間が余れば無駄にすることなく、いつも腕立て腹
筋・屈伸・駆け足等をして自己の体を痛めつけていた。
精神力を養うため単独琵琶湖横断・遠距離海上操縦等を実施していた。
そんな中、まず第一回目の漂流から紹介しよう。
とある真夏の日、この時は、たまたま友人4人で二見海岸へ行った。
快晴であり4人は、ルンルン気分で約2キロ先の沖合までセイルした。
私は、大変気持ちがハイテンションになってきたことから、みんなに「沖合で誰も見てないから記念に
フルチン で航海しよう?」と提案したのです。
みんなが賛成して全員が海パンを脱ぎ、それをマストのポールにくくり付けたのです。
全裸のフルチンで楽しんでおり、そろそろ浜へ戻ろうということになったのです。
それぞれ、海パンを履こうとしたのですが、私のマストを見ると海パンが外れてどこかの海原に流され
て無くなっていたのです。
しかし、後の祭りでした。
他の3人は、既に浜に向けて戻って行ってしまったのです。
3人の姿は、見る見る小さくなり、私は、戻るに戻れず、じっとたたずんでいたのです。
ボードの上でボケッ〜トしていると2メートル四方位の大きな茶色のエイがユラユラと私の横を泳いで横目でジロッと睨むのです。
気持ちが悪かった・・・
次に私が恐怖を抱いたことは「もし今、人食いジョーズが来たらどうしよう!一貫の終わりや!」と思
ったのです。
暫くするも他の3人は、気づいてくれませんでした。
浜に着いた3人は、小さい人形のようにかすかに見えていました。
私は、必死で手を浜に振り「戻ってきてくれ〜!」と叫
びましたが誰も気づいてくれませんでした。
そうこうしていると漂流している私の方へ狙いを定めたかのように観光遊覧船が近寄って来たのです。
アベックや年配の人や子供らが乗っていました。
私は、慌てて海中に身を沈めて頭だけ出したのですが、なんせ快晴で海は、透き通っていたことから観
光客に私のフルチンを見られてしまったのです。
みんなゲラゲラ笑っていました。
この時、理由を言って救助してもらえべ良かったのですが、仮に救助してもらっても船上でフルチンの
状態でも居れず救助を求めませんでした。
やがて異変に気づいた一番、セイルボードの上手かった奴が一人で来てくれたのです。
私が訳を話すとゲラゲラ笑い乍ら「分かった。待っておけ。」と言い残し、浜に戻り、別の海パンを持
ってきてくれたのです。
本当に友人は、ありがたいものだと痛感しました。
2回目の漂流を紹介します。
これは、とある強風の真夏日でした。
当時、独身であった私は、女友達と2人で琵琶湖に行ったのです。
強風が吹いていたことから二人乗りでも横断できると判断したのです。
なぎさ公園から少し東方の浜から湖北向けて出発したのです。
強風に乗りグングンと琵琶湖中央部西方に至った時、今までビュンビュン吹いてた強風がビッタと止
り無風状態となったのです。
この頃、午後3時頃であり、直ぐに又、強風が来るだろうと安易に考えていました。
この時も琵琶湖ミシガン号が何台か通過して助けを求めても良かったのですが新聞に掲載さ
れたら格好悪いという衝動にかられジット、辛抱しました。
いつまで待っても風は、無風状態であり、やがて日が暮れてきたのです。
仕方なくセイルをタタンでボードの上にのせてパラリングで戻ることにしたのです。
必死で両手で水をかきなぎさ公園方面に進もうとするのですが湖といえども水流がきつく、見る見る流
されました。
やっとたどり着いたのが琵琶湖ビューホテルの西方であり、真夜中になっていました。
そしてボードを置き去りにしてタクシーをひらい、車の置いてある所まで行き、ボードを取りに戻り帰
路についた次第です。
いやはや、えらい目に遭いました。
それで「こんな状態で友が島等に行こうとして漂流したら、それこそ命取られる!」と思い加太からの
友が島・小豆島横断を断念せざるを得なくなったのです。
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この記事は面白い、読みながら笑った記事に出合ったのは、久しぶりです!(笑)。なぜコメントが付いていなかったのかな・・。
2006/9/22(金) 午後 6:41
まだ、ブログを始めたばかりですし、我々の50歳前のオッサンは、あんまりブログをしていないし、パソコン自体触ったことないオッサンも沢山いるのです。 ですから、あんまりみんなに言ってないのです。 言ってもブログってなあにというオッサンばかりですので・・・
2006/9/22(金) 午後 7:07