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嫁に買っても良いかと聞いてみた。
いつもなら、欲しければ買えばと云うが、今回は駄目。(TДT)ウエーン
何故かと聞けば、老後の楽しみが無くなるからだって。
まぁ冗談半分に聞いてみただけだが、老後なら良さそうな雰囲気( ^ω^ )
貯金しよっと(・∀・)
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Rolling 40's
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『湾岸最速バトル』の後編である。 【鉄仮面を復活させたトオルは、久しぶりに田舎の祖母と従兄弟のケンジを訪ねる。 その夜、納屋でかつて自分が乗っていたハチロクを見つけた彼は、ケンジにチューンナップとドリフトテクを伝授することに。】 ハチロクと云えばリアルタイムな世代であるが、自分的な思いでは余りない。 発売時にDラーに見に行ったが、ズングリした車体に小さなシリンダーヘッド、シートやインパネもどことなく好きになれなかった。これならTE71やTA45の方がはるかに良いと思った。 DVDの中で伝説のチューナーが『サイドを引く走りなど邪道だ!』と憤慨していたが、まさしくその通りと思う。
速く走るための基本はあくまでもグリップ走行で、カウンターはリヤが出た軌道を修正するためだけに使えば良いのだ。 それ以前にあんな走り方をしたら、車もタイヤも可哀想である。でも見てる方には馬鹿ウケで超面白い。 ↑20歳の頃だろう。TA17カリーナGT、千葉真一が「足のいい奴カリーナ」でCMしていた。 修理工場の裏に検切れで放置されていた、ダートラ仕様を安く譲り受けた。 トムスの2リッターフルチューン。304,288カム、SOLEX44にフジツボフルエキ。 フェイントドリフト、ブレーキングドリフト、タックインドリフトなどのテクニックは、夜な夜な峠のダートに走りに行きこの車で身に付けた。 最後はダートでコースオフして、崖に転落して廃車になってしまった。 ↑次の車はKP61スターレットSである。これも訳有りで格安購入した。 ミッションに3速クロスを入れていたので、ローがノーマルの2速のギヤ比の位置であったから、1st〜4thがクロスレシオで気持ち良いくらいエンジンが吹け上がった。 だがこれは訳有りで、御祓いをして売却した。 若き日の思い出である。もうあの頃の様な情熱もないし時間もない。 だが、トヨタがAE86を意識して作り上げた、FT86は気になる存在である。 もしかしたら、あの頃へタイムスリップ出来るかも知れない。 |
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湾岸最速バトルに感化されたから、車の思い出話でも書こうか。 学生時代、バイトしていた中古車屋のメカが全日本のラーリーストで有ったことから、格安でそれなりの車や、ロハで使い古しの部品が入手出来た。 初めての愛車はTA17ダートラ仕様、次はKP61のラリー仕様で、練習にも良く連れて行って貰った。 必死になって付いて行かないと、真夜中のダートは幽霊が出そうなくらい闇が深く、恐くてチビってしまいそうになる。 各種のリヤを出すテクニックはこの時に教えて貰った。 社会人になり乗った車が過日のTA45だ。写真を探したが、余り良い写真が無かった。 DR30が欲しかったが買えず、DR30と同じガンメタにオールペンした頃だ。 [[attached(1,center)]] 最初の2年はTA17から降ろしたTOM'Sのメカチューンエンジンを積んでいた。 当時、仕事で多摩方面に住んでいたから、奥多摩や大垂水、箱根などドライブした。 その後、地元に戻るとデトマソパンテーラに乗る医者の息子が、湾岸や首都高に誘いに来た。 カンナム仕様エンジンで、用賀のクリーブランドと云うアメ車屋でチューンしていた。 RRCのドラッグレースでは、ゼロヨンを12秒台で走った車だ。 これの横に同乗し、八重洲トンネルを走った時は、まるで目の前の世界が変わった感じがした。 TA45は車検の都合で、ソレックスからインジェクションに戻したのだが、偉く調子が悪かった。 のちにガソリンフィルターが詰まっていたと分かったが。 たまたま行ったシグマに中古の水冷インタークーラーのターボキットがあり、タービンを新品に交換して取り付けた。 1トン弱の車体に車載220馬力エンジンだから、加速は気持ち良く、交差点でもLSDで簡単にスライドした。 にも関わらず、なぜか高燃費でどんなに飛ばしても、10Km/L以上は走るエンジンだった。 [[attached(2,center)]] 深夜の首都高にも良くドライブに行った。神田橋から八重洲トンネルまでの下りを、3速全開でトンネルに入り、右コーナー中程でアクセルをスパッと抜いてLSDをロックさせテールを出し、トンネル内に響くスキール音が何とも気持ちよく、大好きなコーナーだった。 もちろん周りや合流で、他車が来ないのを確認してのことだ。 上の写真は89年9月とある。この年の12月31日に箱根の乙女峠先でスピンして、土手に激突して大破した。
新婚旅行から帰り、久しぶりに嫁と一緒にドライブに行ってのことだった。親から偉く叱られたのを覚えている。 これで車の遊びはピリオドを打った。仕事も遊びも一番楽しかった時期だ。 |

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何ともタイトルが20世紀であり、昭和の匂いがプンプンだ。 だが内容は、21世紀のハイテクマシーン、R35と997の湾岸バトル。 それだけなら誰が観るものか。 大鶴義丹脚本、主演である。 「かつて湾岸の走り屋だったトオルは、妻の死をきっかけに自分が本当にやりたかったことに気付き、20年前に乗っていた“鉄仮面”ことDR30を究極のチューニングで甦らせ現代のモンスターマシンに挑む。 」 http://www.youtube.com/watch?v=hyQSlw65AeU DR30である!これがF系やS系でなく、DRだから涙物なのである。 関係ないが当時の自分は、TA45角目4灯セリカGT-RALLYに乗っていた。 GT-RALLYは競技用に作られ、2T-Gエンジンを載せ簡素で軽量な車体であった。 ターボチューンが全盛になる前は、トムスの2リッターメカチューン、304,288カム、SOLEX44で奥多摩など走っていた。その話はまた今度しよう。 それまで受けていた民間車検場が摘発され、インジェクションに戻さなくてはならなくなった事から、ターボチューンにしたのだ。 ピストンはHKSのローコンプ、カムの度数を下げ、KKK26タービンにBLITZの水冷インタークーラを付けた。 ピストンはショップで組み替えて貰ったが、それ以外は全て自分で行った。 トラストの大容量VVCでブーストを0.8kgに合わせ、3速でホイールスピンする程であったと記憶する。 これで環状線や湾岸、第三京浜、木場、東松山などに毎土曜夜は走りに行ったものだ。 当時、トヨタと日産はパワーバトルが始まっていた。 ブル910やスカGがターボを載せると、OHCで有ったことから、今度はトヨタがセリカにDOHCのターボを載せてきたのだ。 そのセリカの3T-Gターボが2バルブで有ったので、今度は日産がFJで4バルブを出して来た。 そしてさらに、FJの4バルブターボが発売された。それがDR30なのである。 これはどうしても欲しかった。ガンメタ・黒のツートンだ。 勇んでDラーに行ったのだが、セリカの残債がまだ有る事がDラーに判り、それを返さないとローンが組めない事が発覚した。 その後、数年のローン返済で熱は冷めてしまったが、乗っていれば人生が少しは変わっていたかも知れない。 そのDR30を大鶴義丹か駆るのだから、つまらないはずがない。
今日、会社を休むのもこれが見たかったからと云うものもある。 ローソンで999円!。この値段で制作費が出るのかと思うが、そこは脚本家の男のロマンであろう。 |

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