|
みなさん、こんにちは。
日々、メールや電話をいただき、私や子供たちの心のケアを気にかけてくれていることに感謝しています。
14日に大阪の実家に子供たちと帰ってきて今なお滞在しています。
恐ろしすぎて考えたくはないけど、これも現実と受け止めて今後の暮らしに備えるためにも記録として残そうかと実家のパソコンを立ち上げてます。
阪神大震災を経験している私は『揺れ』に対し、すごいトラウマがあったんだよね。
日頃から、小さめの地震にも過敏に反応していたほどなので、あの日の揺れたるもの半端じゃなくて・・・
次女のともちゃんは帰宅直後で玄関に。1分違ったらエレベーターの中だったから考えただけでもぞっとするよ。
3人で玄関にいるときに地震がきて、靴のままダイニングテーブルの下にもぐりこんだよ。
5分にも10分にも感じたあの長い揺れ・・・
何日経っても体から離れないのは経験した方にはお分かりかと…
幸い、長女のあいちゃんはまだ学校にいて先生の指示で体育館に避難していました。
揺れが収まってから貴重品を持ち出し、マンション前の公園に向かったのだけど、マンションのエレベーターを出たところはアスファルトが割れ、泥水がすでに噴き出してたよ。
普段なら歩いて2,3分もかからない公園にたどり着くまで10分近くかかったほどマンションの敷地内は液状化がひどく歩く場所がなくて。
下校中の子供たちがたくさん公園で泣き叫んでいたのを見て、知っている子供を片っ端からつかまえ、ともちゃんとG王子とともに余震に怯えたよ。
電話は不通だったけど、幸い携帯メールは使えたので、ママが見当たらない子のママに連絡したり、とにかくみんな必死で我が子を探したり、友達の子を守ったりしたよ。
下校中だった子たちは目の前でアスファルトが崩れたり、マンホールが突き出したり、戸建ての瓦や塀が崩れるのを見て相当なショックを受けていたよ。そりゃそうだよね・・・
学校近くに住んでいるお友達ママから「あいちゃんは体育館で担任といたから大丈夫よ」とメールをもらい、まずは一安心。
続く余震に耐えながら、学校まで20分近くかけて到着。
地震発生から1時間半後にようやく体育館であいちゃんと涙の対面を果たしたよ。
とても子供たちを連れて自宅に帰る気持ちにはなれず、そのまま学校に残り、あいともパパと連絡をとることに。
あれほど日が暮れていくことが怖かったのは初めてだったかも。。。
隣接する私立中高生も小学校に避難してきていたので人数だけはすごかった。
市役所から配布された薄いマットと毛布に身を包み、地域の方が作ってくれた炊き出しのシチューを食べるものどを通らなくて・・・
夜中2時過ぎに都内から地下鉄と徒歩で足をパンパンにしながら食べ物を抱えて迎えに来てくれたあいともパパを見てまた涙・・・
一度、ひとりで帰宅し車を出してきてもらい、明け方4時ごろにようやく全員で帰宅できたんだ。
マンション4階にある我が家は家具が転倒するなどの大きな被害はなく、食器やガラスの飾りが数点割れた程度ではあったのだけど、トイレの壁紙は上から下までずれてしまったよ。
あれだけ長時間にわたり、ミシミシと音をたてて揺れ続けたんだから無理もないかな・・・
14階や15階、18階など高層階の友達宅はピアノ、冷蔵庫、食器棚が倒れたらしく、食器の破損も相当なもの。
ダイニングの照明が落ちて割れたおうちもあり、改めて揺れの恐ろしさを感じるよね。
津波の被害こそなかったけど、マンションから海までの距離は500メートルぐらいだから、内湾とは言え、東北の惨状を思うと恐ろしいとしか言えない。
震災後、ほとんどテレビで取り上げられず、実態が報じられずにいた浦安もこの1週間でずいぶんと報道されていて、映像を見ては通りなれた道やよく行く場所の惨状に泣けてくるよ。
とっくにオムツが取れ、トイレで用を足せるようになっていたG王子は仮設トイレに異常に怯え、用を足せず・・・
おむつやパッドに出してもいいと言ってもできないほどのショックを。
手洗いが思うようにできない不衛生もあってか日曜日の夜には高熱を出しちゃったんだ。ずいぶんとオシッコを我慢しちゃったり、いろんなストレスが良くなったらしくて。
夜中に大学病院に連れて行ったけど断水しているからインフルエンザの検査もできないと断られ・・・
とりあず翌月曜日には解熱剤で落ち着いたので、帰省することを決め、取るものを取って30分後には東京駅へ向けて自宅を出発。
すでに原発の問題が発生していたからあいともパパを一人置いていくことにも後ろ髪を引かれたけど、揺れが多過ぎて気持ち悪さが止まらなかった私にあれ以上、浦安に残ることを選択はできなかった・・・
大阪に帰ってきても体は揺れ続けてるし、翌日には静岡地震が起きて実家も揺れたし・・・パニックなんてもんじゃなかったよ。
あれから2週間が経ち、ようやく気持ちも落ち着いてきたけど、テレビで地震速報が流れるたびに鼓動が速くなり、手のひらは汗びっしょりに。
学校は校舎そのものは大丈夫だったけど、校庭と学校の周りの道は陥没、上下水道ともにアウト、ガスも不通。
避難者もいたため地震の日以来、学校は休校のままになったんだ。
25日の修了式も教室で「あゆみ」(通知表)の配布とお道具箱の持ち帰りのみの1時間になったため、欠席することに。
学校側もこの日は「特欠」扱いにするので休んでも欠席にはならないとのことだったので、戻らず未だに大阪にいます。
担任の先生の異動が発表されたから会いに子供たちを連れて帰ってあげたい気もしたけど・・・31日の離任式も中止だというし、今はおとなしくしています。
また4月からG王子が入園する予定の幼稚園も被災していて・・・
先日、携帯に電話があり、4月6日に予定していた入園式は延期になりますって。いつできるか現時点ではまだわかりません。って・・・
4月3日に予定されていたあいちゃん&ともちゃんのピアノの発表会もホールの天井が落ちたために中止に・・・
他にもいろんなことが中止や延期になっちゃった。
仕方ないし、正直、今の気持ちとしてはそれどころじゃないから中止や延期にほっとしている自分もいるんだよね。情けないことに・・・
大阪に帰ってきて、最初の5日間ぐらいは食欲もなくて、何もする気になれずにいたんだ。
日頃の蓄えがあったおかげで倒れることもげっそりすることもなかったけど・・・日ごとに現実を受け入れて、子供たちとしっかり過ごさないと浦安に残ってがんばって生活している友達たちに申し訳ないって思えるようになってからはきちんと食事も摂るようになったし、むしろ反動でやばいかも!?
帰省していることを知って会おうと連絡をくれた友達、差し入れを持って来てくれた友達の心遣いも本当にありがたかったよ。
小さな子供を連れて会いに出てきてくれたり、子連れで入れるレストランを探してくれたり、計画停電を懸念してカイロを買ってきてくれたり、本当にたくさんのヘルプに感謝しています。
ブロガーさんたちからも地震後、一斉にメールをいただき、驚ろきときにかけていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいでした。
地震後の私はパニックがひどく、まともな返信やお礼を述べれていなかったことと思います。かえって心配をかけてしまったことと思うけど、お許しください。
最後になってしまったけど、地震直後に水や食料品を浦安の自宅に発送してくれた方々・・・本当に本当にありがとうございました。
奇しくも震災の翌日、お義父さんのお母さん、つまりあいともパパのおばあちゃんが亡くなったのに真っ先にお店に行き、水やお茶、食べ物を発送手配してくださったお義父母さん。。。
あとからおばあちゃんのことを知り、なんとも申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでした。
実家の両親もスーパーの開店とともに買い出しに行ってくれ、お水はとても助かりました。
お願いをしていなくてもスーパーから水などを発送してくれた横浜の友達、尼崎や京都のお友達も懐中電灯や拭き取るタイプのウェットシート、水のいらないリンスなどを送ってくれて・・・
淡路島にいてやはり阪神大震災を経験している友達からも水や野菜は大丈夫?って連絡をもらって・・・
みんなの迅速な動きにも、なんでもするから言ってと声をかけてくれたことも本当に本当にありがたい限りです。
浦安の自宅に残ってがんばっている主人がありがたく使わせていただいています。
マンションの上下水道は震災から10日後に復旧したけど、やはり一度に大量に排水するのは危険な状態だし、隣のブロックの戸建てはいまだに復旧していないというし、緊張は続いているみたい。
そして今は揺れ以上に「放射能」の問題があるので・・・なんとも言えないけど、こうやって書いてみると私、我が家はとても恵まれていることを改めて感じます。
東北で被災している方たちを思うと全然恵まれているんだよね。
いつまでも怖い、怖いって揺れに怯え続けていては進めないよね。
現実を受けとめて、冷静に過ごしていこうとようやく気持ちも切り替えられるようになってきたよ。
今週末の4月2日にとりあえず子供たちと一緒に浦安に戻ります。
余震に怯え、砂ぼこりや放射能に神経を使うのは目に見えているけど、一歩を踏み出します。
学校も始業式に間に合うかわからないみたいだけど、4月になるし、私がしっかりしなきゃ子どもたちはついてこれないからね。
戻ったらまら記事をUPするつもりだけど、ネガティブだったとしても責めないでね。。。
さあ、がんばるよ!!
|
全体表示
[ リスト ]





今回の地震、東北だけでなく、関東の中でも一番被害が大きかったのが浦安と知ったのは、
Youtubeで投稿された動画を見てからでした。なので、あいともママさんが
このような被害に遭っていたとは、想像もつきませんでした。
ご家族のみなさまが無事で本当に良かったです。
旦那様が帰宅されるまで、3人のお子様をあいともママさん1人で守って
とても心細かった事と思います。自宅周辺の完全復旧まで時間がかかるでしょうし、
何より震災後のトラウマは、簡単には消えないと思いますが、一日も早く
みなさまに笑顔と平和な日々が戻るように、お祈りしています。
2011/3/30(水) 午前 2:45
ごめんなさい。お住まいがわからなくて、想像もしてなかった・・・。
こんなに大変な思いをされていたなんて・・。
ご実家ですごされたのは、正解だったね。きっと、子供たちも緊張がほぐれたでしょう。。。
目の前のあれこれも大変だけど、一番気を使わないといけないのは、精神面。
あいともママの機転で、大丈夫だね!
新学期・・といっても、先が見えないだろうけど、いいようになるから!信じて、前を向いていこう!
一日も早く、本当の笑顔になれますように・・・。
2011/3/30(水) 午後 3:22
今ごろ、来ました。
写真を見ると、これは怖いのがわかります。パニックになるね。
私は、この前の記事で元気だって言うのだけがわかってまさかこんな状態、そんな精神状態でいたなんて予想がつかなかったわ。私は気がついてあげられなくてごめんね。
でも記事の最後にがんばるよ!って書いてあるので安心しました。負けないでね!あいともママさん!
2011/3/31(木) 午前 1:27
いよいよ今週末に浦安に戻るんだ
浦安の被害はニュースをみて驚いたよ
上下水道は復旧したんだね
これでジョージ君トイレ我慢しなくて大丈夫そうなので少し安心
まだまだ完全復旧までには時間がかかるけど1歩ずつ前に
これ以上、余震で揺れないように祈ってるね
2011/3/31(木) 午前 3:16
最近ようやく報道されだしたので そちらの被害の大きさを知りました。本当に怖かったことでしょうね。その中で皆さんご無事でよかったです。まだまだこれから色々なこととの戦いがあると思いますが 乗り越えていかれますように祈ってます。
2011/4/1(金) 午後 9:25
***さん、真っ先にありがとうです!!
2011/4/1(金) 午後 9:47
Maronさん、ご心配おかけしています。
浦安の被害状況は日々報道されるようになり、見るたびにとても悲しい気持ちにもなってきます。
それでも避難先がなく残って頑張っている友達もたくさんいるので泣き言ばかりは言っていられませんしね。
とりあえず明日自宅に帰ります。
余震だけではなく原発にもおびえないといけない状況はストレスも大きいですがまずは現実を受け止めて進みます。
ところでご実家のご両親たちは大丈夫でしたか!?
2011/4/1(金) 午後 10:00
ココさん、ありがとうございます。
あえてこれまで浦安在住を表に出していなかったので…こんな震災記事でオープンになるとは私自身も想定外でした。
余震や原発のことに不安は山ほどありますが、何より精神面がたくましくないと進めない現実だと感じています。
今回は自分でも情けないぐらい凹んでしまったので、周りの友達にも心配されてしまいました。
明日帰ったらみんなに元気を与えられるように無理をしない程度にがんばりますね。
また話を聞いてくださいね。
2011/4/1(金) 午後 10:08
Oさん、ありがとうございます。
ご近所とのことでいざとなったら頼らせて下さいね。
もう断水とかはないことを願うばかりですが…
そして、このたびは嬉しいお申し出をありがとうございました。笑顔でがんばれるものと一緒に進んでいきますね!
2011/4/1(金) 午後 10:13
きよみさん、ありがとうございます。
気づいてあげられなくて…なんてとんでもないですよ。
そちらも少なからずとも大変な思いをされたことでしょうし。今後も余震や原発など油断できませんし、どこにいても不安が尽きませんがお互いに気をつけて過ごしましょうね。
2011/4/1(金) 午後 10:16
かえっち、ありがとうね。
いち早く安否を心配するメールもいただきありがとう!
明日、とりあえず帰るよ。違うストレスがまた待っているかと思うと微妙な気持ちだけど前を見なきゃね。
cocoっちに癒されに行けずじまいだったけど、次回の帰省では笑顔で会いに行かせてね。
2011/4/1(金) 午後 10:19
ぽおぷさん、ありがとうございます。
東北の方々の被災状況を思うとまだまだマシなんだと頭ではわかっていますが、現実に目の前で一瞬にして景色が変わり、たくさんのダメージを受けたのはさすがにショックでした。
まだ新学期のこともわからず不安だらけですが、まずは進んでみますね。
2011/4/1(金) 午後 10:23