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家族
夫の会社が倒産したのは一九九四年三月、私が四十八歳のときだった。長女だけが社会人、長男は大学
生、下の娘二人は高校生で、経済的にいちばん教育費がかさむ時期でもあった。倒産後、私たちは十数年
住み慣れた神奈川県座間市の団地から、同市内の狭いアパートへ引っ越しを余儀なくされた。
それまで比較的ゆったりとしたスペースの中で生活してきた家族にとって、倒産のショックとその狭さ
が大きなストレスなり、精神的に酸欠状態であった。互いに相手を思いやる余裕もなくなり、たわいない
会話の中にもすぐに苛立ちを感じる日々がしばらく続いた。
「お母さん、大学へ行かないで就職する」次女が私にそう告げたのは引っ越してまもなくのことだった。
倒産した我が家の経済状態を考えれば、子供たちの大学進学はとても無理なことであったが、自分が青春
を謳歌した大学生活をぜひ味あわせてやりたいと常々思っていた私は「経済的に大変だけれど、学費はお
父さんとお母さんで何とかするから、大学に行かせてあげたい。でも学費以外はすべて自分たちでやりく
りしてね」と、言い渡した。
子供たちも進学を強く望んだ。すぐに奨学金申請をし、それで足りない額は私の給料から埋め合わせる
ことにした。当時、大学二年生の息子は静岡県清水市で下宿生活をし、ラグビー部に所属していたが、
即、退部し、夕食付きのお寿司屋さんでアルバイトを始めた。高3の次女は受験勉強に専念、高3の三女
は大学のある私立校に在学して、大学入試の心配はないため授業後は毎日自宅近くの店でバイトを始め
た。
大学生になった娘たちは週末には終日バイトで明け暮れたが、彼らに悲壮感はなく、バイト先での仕事
の様子を実演して見せたりして、バイト先でも多くの友人を作り、結構楽しくやっていた。 その一方
で、「倒産したら日雇いをしてでも家族を食べさせていくから心配するな」と言っていた夫は精神的な痛
手からなかなか立ち直れず、「五年先、十年先の自分をみてくれ」と言うようになり、五年先のことより
も今日、明日の生活が第一と考える私との間が次第にぎくしゃくしていった。先を見越して仕事をしてき
た男と日々の生活に根を置く女の考え方の違いが表面化しぶつかりあった。
財産を失したことより、そんな夫の姿を見るのが何より悲しく、これが倒産したということなのだと
思った。家族が必死で守ろうとしなければこれまで築いた家族の絆があっけなく断ち切れてしまうような
日々の連続だった。そんなとき子供たちは夫婦の気持ちのズレを察知し、夫が子供たちにとってどれほど
頼りがいのある父親であるか、また家族にとって大切な存在であるかを私に、また彼には、「お父さんは
お母さんに甘えすぎている」と語りかけるなどしてくれていた。
私も以前のような逞しい夫に戻ってもらいたくて、手紙で自分の気持ちを正直にぶつけた。そうしたお
陰で私たちはもう一度正面から向かい合うことができ、それまで以上にお互いが尊敬しあえるパートナー
となり、夫婦の絆を強めることができた。あの時、何もしないでいたら、私たち家族も倒産という悪魔に
家族の絆をずたずたに引き裂かれ、一家離散となっていたかもしれない。倒産から十数年、何度もどん底
突き落とされ、そこから必死で這い上がろうと頑張っていたあの頃が家族としていちばん輝いたときのよ
うにも思える。
涙と笑いを繰り返す日々の中で、次第に家族一人ひとりの中に相手を思いやる温かい気持ちが戻り、以
前のように笑いが飛び交う家庭を取り戻すことができた。倒産から三年後、息子の大学卒業を機に庭付き
二階建ての借家に移り住んだ。解放感のある広さにいいようのない幸せを感じた。それは狭いアパート暮
らしを経験したからこそ感じられる喜びであった。
それから二年後、家族で力を合わせれば何とかなると、もう一度家を購入した。一九九九年一月、新居
に移り、これからはいいことが待っているはずと思っていた矢先、夫が癌に侵されていることがわかっ
た。それは倒産時の苦しみがとるに足りないものと思えるほどの衝撃であった。
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