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これまでの人生の中で、自分が精神的にもう駄目というところまで追いつめられていたことが2
回ある。一度目は夫の会社が倒産したとき、そして2度目は夫との死別のときであった。どちらの
ときも、早く今の人生に終わりを告げて、生まれ変わりたいと何度も思ったものだ。しかし、その
度に「私たちがついているわよ」という無言の眼差し、差し伸べてくれる手のぬくもり、愛情に満
ちた手紙、語りかけがあった。表現の仕方はそれぞれ異なってはいたが、心から心配してくれる気
持ちがしっかりと伝わり、私は勇気づけられ、その苦しい時期を乗り越えることができた。
それらの気遣いの一つ一つが、まるで親鳥が雛の傷口を優しく舐めまわして直してくれるよう
に、決して恩着せがましくもなく、あくまでも自然体で私に差し出されたものであった。普段から
そうした周りの人たちからの支えに感謝すべきだがそれができない。 人間は本当に身勝手で傲慢
である。
冷静になって、客観的に当時の状況の自分を他人に置き換えてみたとき、自分だったらその人に
対して、どのような形で自分の気持ちを表現するだろう、その人が本当に必要としているものは何
か、その人はどのような捉え方をするか、日頃の付き合いの中で、自分はどれほどその人のことを
理解しているだろうかと、自問自答してみた。
「……さんは私の友人よ」と自慢げに自分の名前を言ってくれる友人を何人持っているだろう。そ
の数の大きさは自分のこれまでの生き方に比例するに違いない。派手な振る舞いをすれば、他人の
注目を得ることはできたとしても、それは一過性のものだ。退職して5年、こうして全く肩書きの
ない生活をしていると、自分の生き方の良し悪しを問われているような気がする。
人の生き方は葬儀(別れ)のときに集まってくれる人の数である程度判断できるとよくいわれる。
自分のときはどうだろう。これまでの生き方はともかく、少なくともこれからは周りの人たちか
ら、真の友と言われる存在となれるように努力していきたい。
自分自身が楽しく、明るく、輝いた存在でいること、そして人には愛情を持って接していこうと
おもう。
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