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ある人が“勝ち組と負け組み”について一言綴っていた文章を目にしました。
1980年代に我が国日本は経済競争の時代に入った事を覚えています。勝手のライオン丸君は将に国会の場からそれを吠えた。
経済格差は広がり、市場から職場、生活の場へとあらゆる面に於いて「勝ち組」と「負け組み」に分類されていました。
職場に於いて、「勝ち組」に入れば、給与の面さらに組織での地位が優遇され家庭の中にまで隣近所へまでもその誇らしさを誇示していたことを思い返されました。
其の方が言うには、“手に入れた生活条件によって「勝ち組」が決まるようだ。勝ち組には自己賛美とこの世のパラダイスがある。だが「負け組み」には絶望とすねた日々があるだけだ。それがこの世の人生評価だ。だから世は勝ち負けにこだわる。そして人をおしのけてでも勝とうとする気持ちが働く”と言う事でした。
将にその様な一般社会で生きてきた事を覚えます、未だにその原理は生き続けているようです。これを読まれている皆さんも多分に経験されている事と思います。
受験戦争などは、将に其の典型であると思います。でも彼は“だが残念ながら「人生の勝ち負け」は生活条件によっては決まらない。勝ち組と呼ばれつつ敗北の人生を歩む者があれば、負け組みと呼ばれても無限の満足の日々を過ごす者もある。
聖書には、『悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何ももたないようでも、すべてのものを持っています。』第二コリント6:10
と在るように、主イエスと歩む人生は、まさにそのとおりだ。人生の勝ち負けは生活の条件によるのではなく、主との関係による。神との関係に生きるときに、この世の勝ち負けの逆転が起きる。納得と自信に満ちた人生は、主イエスと共に歩む日々にある。“と書き綴っていました。
慰められている方、励まされている方、讃美されている方多様の方がいらっしゃると思いますが、神様と真正面から向かい主イエスの十字架と復活を信じる信仰を持ち生活する事によって喜びがあり祝福された人生を送れるのだと確信しだしたのです。
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アーメン!
2009/6/30(火) 午後 10:43 [ カレブ ]