お風呂で癒そう

今年も、のんびり頑張ります。

平成元年

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平成元年 後の患者

平成元年のこと

退院後、何度かの通院の後、定期的な検査は三ヶ月ごとになった。
それまで先生から説明を受けたのだが、自分でも自分の病気のことが良く分からなかった。
それで、受付で渡されたカルテに顔をうずめて、
外来受付に行くまでの間に読んでみようと必死な顔つきでいるのを、
やはり定期検診に来ていた入院仲間達が外来受付前のソファから見ている事に気がつかなかった。

声を掛けられて、驚いてカルテから顔を上げると
パジャマ姿ではない三人が並んで腰掛けていた。
初めて私服(?)姿を見たような気がした。
「英語で書いてあるけど、読めなかった……。」
「私達ははじめから読めないから(読もうともしない)……」
私は、読めないカルテを真剣に見ていたことを恥じて、
三人はそんなことはどうでも良くって、皆で笑った。

「Jさんが退院した午後、Jさんのベッドに同じくらいの歳の人が入院してきたの」
(私の年齢でも同じような病気になることは珍しい事ではないと分かってくれたようだ。)
「手術の一週間後に生検の結果が出るでしょう。
 それで悪性と分かって、翌日再手術で全摘することになったの」
「一晩中、泣いててね」
「私達も、心配で眠れなかった」

悪性だったら全摘する時代だったのだと思う。
医療は進んで早期発見、部分切除に変わった。
それでも女性として身体の変化は気になるし、
「がん」という言葉は
そう宣告された人に「残りの時間」を意識させるものだと思う。

私はまだ「がん」とは言われていなかったが、
気持ちは似たようなものだった。
三ヵ月毎の検診が六ヶ月毎になり、1年毎になっても、
「残りの時間」が少し気になっていた。

寿命

平成元年 三月

短期とはいえ、思いがけない入院だった。
そしてそれで終わりではなく、定期検診を受けなければならない。
それまで自分の将来を考える時に、漠然と平均寿命をゴールにしていたのだが、
平均寿命まで生きているという保証はないのだと気づいた。

私が死んだら、誰が私の事を思い出してくれるだろう。
すぐに忘れらてしまうだろう。

鉢植え

平成元年 2月下旬 雪

暖かい冬だったが、2月下旬になって突然本格的になりそうな雪が降った。
会社の窓から雪が斜めに降っているのが見えた。
今日は早めに帰ろうと、会社を出たのだが、
なぜかTK病院の方に足が向いてしまった。

TK病院は外来病棟と入院病棟が空中の連絡通路で繋がっていた。
斜めに降り続く雪の中、私はその間の道路を歩きながら、
上旬まで入院していた2階の病室の窓を外から見上げた。
窓に植木鉢が見えた。
まだ、スモーク婦人は入院していて闘っているのだと思って
すこしほっとした。

一体誰がその鉢植えを持ってきたのかは分からない。
私が入院した時にはすでにその場所に、
スモーク婦人のベッドのそばの窓のところに置いてあった。
迷信やジンクスなど気にしない、
切花などよりずっと長持ちする鉢植えが似合う
逞しい人だった。

たった10日程度の入院の間に、
スモーク婦人の髪はいつのまにかウィッグに変わっていた。
クルクルパーマの栗色のウイッグだったが、
その前の地毛も同じような感じだったので違和感は全く無かった。
スモーク婦人が時々いなくなるのは
喫煙室へ行ってタバコをすっているからと分かったのは
退院する頃だった。
スモーク婦人にとって病気の回復と健康管理は同じものではないのだ。

その後、診察室でスモーク婦人にバッタリ出会ったことがある。
思わず髪に目をやると「自分の髪」と笑った。
そして「あの後、私も手術を受けられるようになって、こっちがなくなった」と教えてくださった。
もうお孫さんもいらっしゃるんだもの、胸よりも命と言おうとしたら、
「なくなってとっても残念だ。女だもの。」と仰った。
そう、命がある限り女は女なのだ。

女であることを忘れなかったスモーク婦人。
あれからスモーク婦人に会っていない。

ラジオ体操

平成元年 2月13日 月曜日 晴れ

退院後、初めての出勤。
少し早く出社した。

始業前にラジオ体操がある。
少し胸が痛むが、普通に体操した。
でも、ジャンプではギブアップ。
痛い。
適当にして、体操を終えた。

他の人からはさぼっている様に見えたようだ。

土曜日に帰宅してお風呂に入った。
その時、脱衣所にある洗面台の鏡に写った身体に驚いた。
傷の大きさ(小ささ、か)は分かっていた。
でも、傷痕よりもすごかったのは
なくなってしまった患部の跡。
内出血した肌の色。

私の丸かった胸は
丸いドーム型のケーキを中央から三角形に切り取ったように
中身がなくなっていた。
「胸筋も少し取ったって」
そう。その結果がこうなるのだ。
その部分だけ皮が直線になっている。

そして身体の青痣。
交通事故にでもあってあちこちぶつかったように
何箇所かに青痣がある。
痛くはないのだが
とても痛そうに見えて自分でも目をそらしてしまう。

この身体がいつ元に戻るのだろう。
自信はなかったが、そのうち戻るのだろうと
思っていた(本当に元通りになった)。
でも、当分は温泉などへは行けないと思った。
温泉などしょっちゅう行っているわけではないが、
行動を制限されるということが、
なんとなく淋しかった。

退院

平成元年 2月11日 土曜日 晴れ

生検の結果は良性で、私は土曜日の午前中で退院することになった。
大きな荷物は前日に父に持ち帰ってもらった。

持ってきたバッグに荷物を入れて、
入院する時に着ていた黒のワンピースに着替え、
帰ろうと廊下を歩いていた時だった、
「お〜い、Jさん」と
病室から呼ぶ声がする。

退職された青山次長だった。
二、三日前によく似た声の人がいると気がついた。
ナースステーションへ行った時に
偶然、診察券がカウンターに残されていて
ご本人が入院されていることを知ったが、
病室までは分からなかった。
病室は近かったのだ。

「あんた、背が高いからあそこに置いてある荷物とってよ〜」
青山次長はこの地方に来てもずっと関西弁だった。
私は背が高いわけではないが、小柄な青山次長よりは高いかもしれない。

でも、私は右手を高く上げられない。
それは外見からは分からないことだった。
とにかく、青山次長が用意してくれた椅子に乗って
ゆっくり棚の上の荷物をとってあげた。
きっと息子さんがいらない荷物と思って上に置いたのだろう。
私は傷が痛まないようにと慎重に右手を伸ばしていたが、
青山次長は椅子がグラグラするから私が緊張していると思っていたようだった。

青山次長はこれが最初の入院だったようだ。
その後、再入院されこの病院でお亡くなりになった。
この時の会話が最後になるとは、青山次長も私も
全く考えていなかったと思う。
定年退職されてまだ1年だった。

暖かな日差しの中、母と帰宅した。
そして私はまたパジャマに着替えて布団に入った。
月曜日からは会社だ。
まだまだゆっくり身体を休めたい。
病院よりも家の方が静かで落ち着いて休める。
明るい日差しの中でも、気持ちが緩んですぐに眠ってしまった。

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