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夕方、地震がありました。
久しぶりに大きな揺れでした。
今日は図書館に行きたくて、早く仕事を切り上げて
外に出て歩き始めた時に通行人の誰かの携帯が鳴っているのが聞こえました。
地震警報の音です。
えっ?
みんなも少し驚いて互いに顔を見合わせつつも、歩みは止めません。
今から地震? なのだろうか?
歩いているとあまり揺れを感じなかったはずだなぁと思いつつ、
歩いていると、周囲が立ち止まり始めました。
足の下が揺れ始めています。
私は一人だったので、
すぐそばの歩道の端に立っていた交通整理のお兄さんの所に行きました。
きれいに飾り付けられて輝いている小さな街路樹が横に揺れ始めました。
その前では赤信号機が上下に揺れています。
かなり揺れていますね〜、と会話をしつつ、ただ立って揺れていました。
すこしざわつき始めましたが、とくに騒いだりパニックになっている人はいないようです。
揺れながら周囲を見回し、上からガラス等が降って来るような建物はないかチェックしました。
大丈夫なようです。
車道の自動車はスピードを落として普通に走っています。
ここで被災したらどこに行けば良いのだろう?
分かりません。
デイサービスから戻った母は、家で一人で大丈夫だろうか?
揺れが収まって「じゃぁ、いってきます」とお兄さんに声をかけると
「いってらっしゃい」と返事がありました。
交差点を渡り歩き始めてみると、
みんなの手には携帯やスマホがありました。
ビルの前のテレビの前には人だかりができています。
早く帰ろう。
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3.11
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今朝も雪でした。
雪の中、また蜜柑を買いに行きました。
今年は何箱の蜜柑を食べたでしょう。
あの大震災の時にも雪が降っていました。
雪がちらつく中、
冷たい水にのまれて……。
地震が来ると言われていて、
備えはできていると思っていました。
でも、あんな大きな津波がやって来ることは
予想できませんでした。
幾度かの大きな津波に襲われた町や村には十分な防波堤がありました。
また、地震のたびに津波警報が出ても、
潮位の高まりを見るだけで本当の津波など来た事がなかった町に
津波の備えはありませんでした。
避難所へ行けば温かいご飯と暖かい布団があると思い込んでいたおばさんは
真っ暗な体育館で、土足と同じ床に敷いてあった汚い運動マットの上で一夜を過ごしました。
とてもとても寒い夜でした。
津波から助かった人々こそ
濡れたまま着替えもなく、凍てつく屋外で……。
どんなにか寒かった事でしょう。
現場の私たちが世界中で一番、自分の身の回りで何が起きているのか分かっていませんでした。
あの悲しさ、つらさ、絶望をエネルギーに換えて、みんな生きていきます。
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牛と人と、そんなに大きな違いがあるのだろうか。 牧草を食べたりはしないけど 人にだってセシウムが蓄積されているのでは〜? 子供の頃、こんな歌が流行りました。 やめてけれ! と、始まり 最後は おぅ神さま、神さま 助けてパパヤ〜 |
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これがいつ大きな地震になるのだろうと思うと ちょっとストレスがたまります。 運を天に任せて 明日も頑張りましょう。 写真は地震後、3月27日の市内のビルの様子です。 あまり大きな被害はありませんでしたが 二枚目の写真ではビルの窓にブルーシートが張ってあるように見えます。 そして、鮮やかな空と夏のような雲です。 |
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土曜日の午後にも出かけたのですが 家を出てすぐに 道を誤り(母ナビの誤作動による) 今日は行かない方が良いのではないかという予感がして 中止したのでした。 昨日は、朝早くから出かけました。 亘理とゆりあげの母の知り合いの家はどちらも無事でした。 ゆりあげの浜の方へ行ってみたのですが 朝市が開かれていた広場がどこだったかすら 私にはもう分かりませんでした。 見覚えのある橋が見えます。 この橋を渡らず、向こう側にあったように思うのですが がれきが積み上げられ向こうが見えません。 殆ど何もなくなってしまった広い町の跡地になんとか形をとどめている家は 窓やドアが枠ごとなくなっていて 黒くぽっかりと、穴があいているだけでした。 足を踏み入れたら、どこか別な世界へ行ってしまいそうな闇の入り口のようで 怖くてまともに見られませんでした。 道路脇に打ち上げられた船があちらこちらにありました。 きれいに稲が植わり水が引かれた田んぼの隣は 休耕田らしく草がぼうぼうです。 津波が運んだがれきはだいぶなくなりましたが まだゴミが残っている田んぼは持ち主がここにいらっしゃらないのか……。 ヘドロの匂いと何かが焦げたような匂いが潮風に混じっていました。 立ち入り禁止のバリケードの前の交通整理のおじさんから 物を取りに(盗みに)来る人々がいるらしいことを聞きました。 一番怖いのは生身の人間なのかもしれません。 |


