21世紀史的切り開きにむけて

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({文学のエクリチュール」、「はじめに」2)
  次にサルトルを採り上げてみよう。彼の代表作「嘔吐」(1938年)で彼が言葉をどういうかたちで突き破って超えていき、それまでの文学空間を一歩先へ押し進めていったか、それは「嘔吐」に出てくるアントワーヌ・ロカンタンの体験、彼はマロニエの樹を前にして、あれは、ただたんに存在するだけだ。つまりあれは<余計なもの>にすぎない。このように感じる気分が、ロカンタンに嘔気をもよおさせる。サルトルにとって言葉というのは本質にすぎない。その本質とは、「事物の表面に人間が記した弱い符号」でしかないのであって、その本質=言葉を突き破る中で存在の在り方をその根源から問い直し、存在するとは一体何を意味するのかということを、1930年代の時点であのように見いだしている。それが、サルトルの「嘔吐」における文学空間であり、表現であり、言葉の突き破りであった。
最後にフランツ・カフカ(1883年〜1924年)の文学空間の問題を採り上げてみよう。カフカはその初期の段階では、昼間は労働者災害保険局の役人として働き、夜には短編小説の執筆に勢力を注いでいたようである。その代表作として{変身}(1912年)をしたため、当時の文学界に衝撃を与えている。と並行して彼は丹精を込めて死ぬ直前まで{日記}(1910年〜1923年)も書き続けていた。その間に彼は長編小説{アメリカ}(1914年)、{審判」、{城」(1922年)の執筆を終えていた。が、彼はその友人マックス・ブロートにこの三部作が矢敗作である意思を伝え焼却するよう依頼して彼に託した。上記の三部作が日の目を見るのはカフカの死後のことであり、1930年代から40年代にかけて世界文学の在り方の風向きを大きく変えていくことになる。
ここではカフカの代表作「城」を取り上げることにする。「城」の主人公Kは測量士で、城からの招請で(その招請は実に曖昧模糊とした契約にもとずいている)Kはその城をめざして旅に出かける。彼は宿泊した宿から晴れわたった冬の早朝に出て、山の頂にくっきり聳え立つ城の姿を前方に見て自らの目標地をおおうよそ見定めてその道程の旅に向かう。
その途中様々な出来事に遭遇し、現実と夢を織り交ぜたようなとりとめのない物語が延々と続く。そしてKは城に行き着かないまま物語は終わる。Kと城との関係性において城とは一体何なのか。この奇妙な関係性を包み込んだ「城」という文学空間,この文学空間こそ今までに無かった新しさであり、20世紀から21世紀にかけて見通す包容性のある文学空間なのだ。カフカの生きた不条理な現実がどのようであれ、「城」に登場するKにとって城とは一体何であり、どのような関係性であるのか。Kにとって城は王様とその関係者が住んでいる本来の城であるかも知れず、また浄土の世界かも知れない。それともスラム街であるかも知れず、広島や長崎の地上まれな悲劇なのかも知れない。また今人間が直面している地球環境問題や現代のイラクであるかも知れず、今のエジプトなど・・であるかも知れない。我々にこれほど想像力を駆り立てる文学空間があったであろうか。これこそ「城」と言う文学空間の新しさなのだ。我々はこうし実在の関係性の中にまきれもなく存在しているのである。
これまでドストエフスキー、サルトル、カフカと言う巨匠を扱ってきた。彼らの文学空間は全て機能的には「文学のエクリチュ−ル(原理論)」から創出されている点を言い添えておこう。

shuzou yamashita

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