スミレ美容室

旅は道連れ、世は情け☆メンズ産んじゃいました。

光と旅と私

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旅行記です。

明るい方へ 明るい方へ。
一分もひろく 日のさすとこへ。
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盛者必衰の大団円 下関

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いらっしゃいませ。
フフフ、「いい旅夢気分」最終回ですよ。
・・・ってかまだやってたの?これ・・・ってかたもいらっしゃいますよねー。
エヘ、私自身も、なんだかあのあと色々な事があって旅気分も飛んじゃってます。

そしてねー、すっごい悔しい事判明!
今日、実は誕生日プレゼントにケータイをもらって、データの移し変えにショップに行って
無事、終わらせてきたのはいいんですけど、
旅行で撮った写真をPCに送れなくなってしまってる!!

そうなのよ、機能が新しい電話になってしまってるからデータが置いてきぼり−!
ガッテーム。

ええ、と、言うことで「旅先で見つけてきた楽しいお土産」の画像をお楽しみ下さい(笑)
ちなみに、「鬼太郎」となんのゆかりもない地方を旅して来てます(笑)

長門からバスに乗り、さらに西南に移動していきます。
海の景色も日本海から太平洋へ。

バスの中ではそのまま椅子から転げ落ちるんじゃないかって勢いで爆睡していた私。
ふっと目覚めて窓を見ると大きい橋がかかっているのが見えます。
「下関、ついたんだー」
関門海峡、本州の最西端と九州をつなぐ橋です。
あの向こうの山が九州なんだ!
そう思うと胸がときめきました。
本当に近いんですよね。

宿の近くの「みもすそ川」という海沿いのバス停で降ります。
そこはすぐ上には関門橋、壇ノ浦という所です。
ライトアップされてる橋の下、壇ノ浦を見下ろします。

すげーーーーー!!!
興奮しました。

ここの場所は2つの日本の夜明けを見た場所です。
一つ目、かつてここは、貴族社会から、新たに武士の時代となる日本の転機となった源平の戦いの
終焉の地です。
貴族だった平氏が敗北し、新たに武家社会が幕開くのです。
それは、徳川時代の終わりまで続きます。

そして、もう一つ。
その、長かった武家社会の終焉の地もここでしょう。
当時、『馬関海峡』と言われていたこの場所で長州の武士達が尊皇攘夷の思想のもと
海峡を通る外国船に勇猛果敢に戦いを挑んだ場所です(けちょんけちょんに負けますが)
しかし、この出来事があったからこそ、この後の交渉によって日本は植民地化する事もなく
倒幕への足がかりとなって明治の夜明けになっていくんです。

すごく、面白い場所です。
だって、同じ場所なのに、安徳天皇の慰霊碑はあるし、義経と知盛の戦ってる銅像はあるし
その横には、長州藩が外国の船に砲撃した大砲のレプリカが7台ほど置かれてるし。
そして上には関門大橋、海の向こうは九州です!!

うわあーーーーーーーって興奮でいっぱいになりました。

ちなみに、すぐそばに「平家茶屋」っていうふぐ食べれるレストランがありました。
「安徳天皇、ごめんね」って思いながらふぐくんに舌づつみうちました。

ハハハ!旅行に来て「出雲そば」いらいの外食(?)です。
主食、おにぎりとパンだったのッッ。
経済的事情と、各町、すがすがしいくらい食べ物屋とコンビニなくって。
たまにあるセブンイレブンでおまとめ買いしてました、パンを(泣)

次の日、歩いて、海中トンネルから九州の「門司」へ行きました。
10分ほどで歩いてトンネルを渡れば九州です。
これで、私、九州にも行った事になりました☆

こちらの街、国道19号線沿いに観光スポットが沢山あるので、下関駅まで19号線を歩けば
ばっちり押さえれます。
最後の日だったんで荷物を背負いながら、さながら行商のおばはんです。
おばあさんが腰の曲がってる理由が心からわかった感じです。
汗が出てきて半そでニット一枚で街中をうろうろして、道案内してくれた人に笑われました。

平氏を慰めるために建てられた「赤間神社」一時住んでいた金子みすゞも歌に詠んだ
「亀山八幡宮」、日清講和記念館、こちらで言うと函館を思い出させるような洋館の
「旧下関英国領事館」「秋田商会ビル」
行商は行きます(笑)

ふと、海側を見ると「唐戸市場」があって、もっとみるとフェリー乗り場があって
行き先に「釜山」とあります。
ここからだったら韓国は目と鼻の先です。
日本人と韓国人の淡い恋を題材にした映画「チルソクの夏」という作品が生まれるのもわかります。

すごいなあ、すぐ九州があって、韓国があるんだ。
同じ日本なのに私の故郷はすごく遠くて、雪に覆われています。
ここの街は梅も桃の花も菜の花も咲いています。

この街がすごく好きになってしまいました。
住んで、みたいなあ・・・。

山口宇部空港に移動しなければいけない時間が迫ってきました。
後ろ髪引かれる思いで、こなきじじいのような荷物をもって駅へ向かいました。

これで、終わりです。

5つの街を見て、知って、吸収できて、幸せでした。
だってやっぱり縁がなければ行けなかったと思うから。
ご縁があって幸せでした、有難うございます。

この旅を経験できたんだし、やっぱり、私は新しい所行かないとな。
またきっと、どこかで誰かとつながってるはずだから。

そして、みなさんとも、つながってる・・・うれし−!!

「明るい方へ」
明るい方へ 明るい方へ 一つの葉でも 日の漏るとこへ。

読んでくださってありがとうございました!!

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いらっしゃいませ。
昨日はあんなに夕方まで遊んでもらっていたのに更新が久しぶりな気分です。

あ、昨日ね、急遽ファミレスでよかったらおごってあげるってお友達からお誘いがあって
あれからブラジャーつけてびっくりドンキーでハンバーグ食べてきました。
おお、恵みの雨。

今日は、かねてからのお約束でG男くんとメシとボーリングへ行って参りました。

さて、これまた久々感のある「一人修学旅行日記」
今回は旅も4日目、萩から南下して長門へ行き、更に海沿いへ行って仙崎という所へ行きました。

この、萩から長門へ行く途中の一両列車が本当に良かったんです。
ミカン畑と、もう片側には海沿いの景色。
お天気にも恵まれて、長門へついた時は萩とは打って変って暖かい気候。
私の故郷だと5月くらいの暖かさです。

仙崎という所、風光明媚な鄙びた漁村です。
ちょど三角形に突き出したかたちのちいさな街。
北には「青海島」という島があります。

信心深い街だそうです。
船乗りの無事故の願いもありますが、捕った魚を供養するという意味合いもあるそうです。
明治時代は「鯨捕り」も行われてたそうで、捉えた鯨の腹から子供の鯨が出てくる事もあったそうで
「生計の為とはいえ、生き物の命を奪う事は忍びない」と、鯨の魂を鎮める為の
「鯨法会」を今現在も営んでいるそうです。

仙崎といえば、一人の女流詩人を生み出した街です。

金子みすゞ

ご存知でしょうか、生命の営み、自然の優しさを詠った童謡詩人で
26歳で薄幸の最期を遂げられたかたです。

ご存知かもしれませんが、私の好きな詩をご紹介します。

「大漁」
 朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽鰮の大漁だ。
 
 浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 鰮のとむらいするだろう。

雰囲気おわかりでしょうか。
漁村の賑わいと海の下のひっそりとした哀しみ。
優しい言葉で生命の光と影が詠われています。

「露」
 誰にもいわずにおきましょう 朝のお庭のすみっこで 花がほろりと泣いた事。
 
 もしも噂がひろがって 蜂のお耳へはいったら わるいことでもしたように
 
 蜜をかえしにいくでしょう

彼女のまなざしは優しく、純粋で、それは仙崎という土地で少女時代を過ごしたからではないか 
と本に書いてありました。
それを読んで、私はとても彼女のルーツを知りたくなったのです。

みすゞ通りという彼女の住んでいたとおりには、彼女の詠った詩が沢山飾られてます。
彼女の生家あとに彼女の住んでいた家をモデルにして記念館が建てられ、見てきました。

しかし、記念館よりも何よりも、「金子みすゞ」という人を感じるには
仙崎の自然、街並みを見て、感じた方が近づける気がしました。

冬の空の青さ、かわら屋根の光、温度。
彼女ゆかりの学校やお寺に行きながら感じていきます。

最後に行った「青海島」
あまりにも海の色が青かったんで名づけられたそうです。

徒歩で20分、青海大橋を渡ります。
その時でもう、海の水の透明さと、青緑色にうっとりします。
波と、ひたすら反射する光のうねり。

ハワイとかの綺麗な水の色と違うんです。
優しさと、哀しみ、彼女の詩の色です。

青海島に渡り、仙崎の町を丘から見下ろします。
かわら屋根が海岸線までせまり、光が反射する、あとは青い海です。
金子みすゞはこの景色を「竜宮城」と表現しました。

実は、彼女、少女時代を経て下関へ行き、放蕩者の男と望まぬ結婚をするのですが
離縁したあとにその夫から彼女を引き取っていた一人娘を渡すようにいわれ
それに抵抗する為に、夫が娘を引き取りに来る前日に、自殺という手段をとっています。

私はこんな生命の優しさと哀しさを書ける人が、何故最後の最後までかたくなに夫を拒み
何故、自殺なんてしてしまったんだろうって思っていました。

この、頑なさって、なんだろう、って。

で、仙崎を見て思いました。

強さなんだ、って。
命に代えても娘を守る為だったんだって。

明治の古い時代、母親が子供をおいて自殺する事は大変不道徳とされていたそうです。

それでも、娘の為に命を捧げ、決して道連れにしなかった彼女は、命の真実を知ってたんだろうって。

そんな事に気付かせてくれた街でした。

いらっしゃいませ
お疲れでしょう、お客様(笑)
かたーいもんねー、話しがねー。
興味なかったらスルーして下さいね、一気に読んだらストレス溜まりますし(笑)

さて、スミレちゃんも疲れて来ました。
しかし、書くのです。書くべし、書くべし!
一気に片付けるに限ります。

《東光寺》
松蔭の墓地のすぐそばにあるお寺です。
代々、毛利のお殿様のお墓が奉られている毛利家の菩提寺です。

この変から私のチャリンコ人生も一気に疲れが見え始めます(笑)
もうろ〜としながら自転車押して山道登る〜。
なんで、毛利さん、毛利さんて、この街毛利さんの名前聞くんだろう〜って具合に(笑)
墓地は、まるで中国の始皇帝の兵馬ろうのようにずらーーーっと燈篭が建てられてました。

《藍場川・旧湯川家屋敷》
エネルギータンク、メモリもあと少しです。
自転車は南に下って行きます。
三角地帯の一番下、川の合流地のあたりを藍場川といいます。

ここもここで、お城下とまた違った風情が有る場所です。
武家屋敷と道路を挟んで広めの水路が走り、鯉が優雅に泳いでいます。
子供が鯉にエサをあげています。
はじめて見ました、面白い。

この日は温度が下がっていたとは言え、緑は生い茂り、菜の花もちらほら見かけます。
椿の花も盛りです、寒椿っていうんでしょう、紅色のね。
雪に覆われる私の故郷を思い出し、一年中花の有る風景が羨ましくなりました。


よっしゃ、大体の萩のご紹介おわったーーーーい☆
その他にも、萩駅や、萩焼き記念館、とか萩焼きの窯元とか見に行きましたよー。

もう、本当に市内ぐるりと一周してみてまわったもんで、身体がガタガタ。
年齢重ねて体力の衰えも感じる始末。
・・・・これだけやれればまだいけるか!

んでね、萩市内をうろついていて色々見て歩くと、かなりの高い確率で
「ヤマガタアリトモ」の名前が出てくるんです。
山県有朋、司馬遼太郎の小説読んでもよく出てくるから名前はわかるんだけど
何してる人かは何回読んでもわからない。

史跡を尋ねて、彼のプロフィール見て、その時は納得しても、次の場所でやっぱり見返す。
んで、忘れる(笑)

今回も、実は・・・書く前に調べてしまいました、ヤフーで(笑)

なんかね、下級武士の子で、松下村塾塾生で、陸軍大臣と総理大臣2回やったんだって。

・・・・・・とってもお偉いさんでした。


長くなりましたねー。
読んでくださって有難うございます。
ちょっと休憩して、次回は「長門−仙崎」をご紹介させていただきます。

お疲れ様でしたー☆

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いらっしゃいませ。
さあ、この私の「一人修学レポート」
歴史フリークのじっちゃんどもには口コミで大評判でしょう。
じっちゃんたち、孫にパソコン教わってコメントおくれー。

ええとね、上下とも萩の城下町です、こんな作りなんですね。
中にはかなり年代ものの土塀が有って風情があります。
ええと、袋小路みたいになってる写真ありますでしょ、これね「鍵曲」といって
道を鍵のように曲げて迷路のようにして、敵を城に侵入させないようにしたものだそうです。
そして、塀ごしには沢山の夏みかんが成っている木々・・・。

貧しい武士の産業対策だったものが今は萩の景色に欠かせない物になってます。

《野山獄跡・岩倉獄跡》
明倫館から北にいくと、二つの獄が有った跡に記念碑が建てられ、ひっそりとありました。
野山獄跡はおもに上士階級、岩倉獄跡は下士階級の牢獄です。
この時代、政治犯なども数多く入ったそうで、かの吉田松蔭も入獄しています。

人権も何もあったものじゃないこの時代、拷問もあったでしょうし、処刑場跡というのも残されていて
見ていて少し辛くなりました。

《松下村塾・松蔭神社・松蔭歴史館・松蔭誕生の地・墓所》
吉田松蔭、5点セットでございます《笑)
いまならもれなく「伊藤博文生家・別邸」もお付けします。

自転車は東へ進みます。
この土地、元は下級武士の集落だったそうです。お城下からは遠い山側の土地です。
さすがに有名な場所、多少観光地化してます。

吉田松蔭、萩の下級武士の子息ですが、幼い時から秀才の名を欲しいままにし、前編でご紹介した
明倫館で、わずか19歳で教鞭をふるいます。
その後江戸へ行き、沢山の思想家と交流をし、「国家存亡の危機に、人はどう行動するか」という
尊皇攘夷の思想を抱き、その旅路の果てにアメリカへ密航しようとして捕まり野山獄につながれます。
その後、家に戻り蟄居したときに、その尊皇攘夷の教えを講義したのが有名な「松下村塾」です。
2年半と言うわずかな間に、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、などが育っていきます。
最期は、尊皇攘夷の暗殺の首謀者として江戸に送られ処刑。
彼自身は新しい時代を見ずに生涯を終えた人です。

29歳で亡くなられるんですが、先生は生涯童貞だったそうですよ、諸兄。
身分問わず勉強を教え、折り目正しくお優しい方だったそうです。

そんな先生に未来の娘っ子がものっすごい着膨れた格好でチャリンコ乗って「センセーイ☆」って
尋ねたら、お優しい先生は戸惑って赤面でしょう。
弟子に斬られるでしょうな。

うん、まあ、観光地です。
大きい道路沿い、神社の境内に転々と有る建物。
そして、まあ、松下村塾、掘っ立て小屋みたいです。
こんな物置のような所で、ひしめきあいながら未来の志士たちが松蔭の言葉に耳を傾けていたんだ・・・
と思いました。
屋敷も、小さな下級武士の屋敷です。

松蔭歴史館に行くと、松蔭の生涯がオール蝋人形でご紹介です。
これがまた、スリラーなのよ(笑)
蝋人形はオール先生そっくりさんのオリジナルで、最期の処刑の所とか、嫌になりましたッ。
怖かったわ。カラスの鳴き声の効果音とかッ。

ただ、考えたんですよ。
物静かでお優しい方だった方の内側の激しい思想は、生涯揺らがなかったんだなあと。
死に際も当時の有名な首切り役人が「こんな落ち着いてる罪人、見た事がない」と言ったほど
見事なものだったそうです。

前にも書きましたが、感情は湖面のように静かで、温和であっても、その下の激しい思想は
決して鎮まる事がないって言うのは逆に相当な烈しさを感じるんです。
信念を生涯貫きとおして平然と処刑された彼のすごさを塾生は受け継いでいったんでしょうね。

お墓も伺いました。
小さい小さい墓で、親族と共に眠っています。

ああッ!長くなっちゃった、ガッデーム
だめだ、上・中・下の長編になりそうです。

お許し下されー。

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いらっしゃいませ。
金曜日どすなア、お客様。
気がつきゃ、誕生日まであと一週間です。
31歳・・・・・・思えば遠くへ来たもんだ。

今日は昼休み、久しぶりにリサ子ちゃん、レナちゃん、サナエちゃんと一緒でして。
3人とも「ここまで待ったんだし、結婚相手はお金持ってる人がいい」んですと。
悪い事じゃあ、ありません。
でもなあ、一番最初に「金」くるかあー。そーかあー。
で、レナちゃんは彼氏が出来たばっかりなのに昨日は「中小企業の若社長」(笑)を紹介してもらったんですと。アンタは銀行の貸付の営業かい☆
でもなあ、「金」ってたって、ジジイだったり、ハゲだったり、マザコンだったり、ケチだったりは
いやなんでしょう、ってことは、顔も、学歴も、お金もそろってる相手がいいのよねー
・・・ゲットできるはずって思ってるんだろうなあ・・・自信あるんだア・・・かわいいしなあ・・
世間は不景気でも、私はバブル!

側がそろってたってむなしいときはむなしいのよ(経験済)
私?
一生懸命仕事して、話しが合う人がいいですね。優しい人がいいなあー。
あー、食べ物の好みと身体の相性もってか、付き合えばわかる問題ですね。

長くなりました。

私の一人修学旅行、3日目になりました。
行った先は山口県、萩市。
幕末は「長州藩」というところで倒幕の志士たちが沢山出たところです。
気質は理論派が多いらしいそう、面長で端正な顔立ちの方が多いお国だそうです。

萩という土地、川が左右流れ、下で合流していわゆるY字になっております。
待ちは三角州の地帯で、湿地帯だったそうです。
徳川の時代、関が原の戦いで西軍だった毛利氏は不利な土地に流されたんですな。

前にも書きましたが、すんごい寒かったの。
でも、ここの街、三角州なだけあって「坂道」ってのがないんですね。
だから、雨でも降らない限りバスの「晋作くん」(西回り)「松蔭先生」(東回り)を使わず
チャリでまわった方が効率いいよって教えてもらって、行きましたよ。
サイクリングヤッホー祭り。

写真は上が有名な「指月山」、下が「萩城跡」です。

なんせ回る場所が多いったら!
地図片手に一番効率良く街を一周出来るルートペンでなぞってまわりましたよ。

日記から抜粋してサクサク−っとご紹介していきます。
《萩城、指月山》
朝、8時前。指月山公園は静まり返っている。
萩焼きの窯元がやっと店を開け始める。
長州の人達はこの山をこよなく愛してるらしい。
萩城跡に着く、折れ曲がって続く石の回廊、天守閣跡に登って城跡全体を見下ろします。
古い景色、朝の冷えた空気、なぜか頭の中でエンヤの歌がよぎる。
とても日本的なのに、思い出したのがイギリスの石の遺跡だったのです。
ここに毛利のお殿様がいたんだなあ・・・

《城下町》
どこまでも続く土塀、そして夏みかんの景色。
はじめて夏みかんがなっている所見てすごく感動しました。
なんか、どこでもこんなに実が成っていたらもいで食べてもよさそう(笑)
幾何学的な曲がり角、今も昔も整然としている規律。

武家屋敷を見てまわるが、ここの地方、なんせ夏向きのつくり、寒いこと、肌に刺さる。
もう、説明の方が何を言ってるかわからないくらい寒くて一旦着替えに帰る。
ハイ、私の負け(笑)昔の人は薄い着物で冬を過ごしてたろうに、お強いわあ。
高杉晋作さんの家も桂小五郎さんの家も、現存してました。
高杉さん家なんて普通に人が住んでいたぐらい(笑)運良く中も覗ける。
高杉さんー、白痴の芸者さん愛人にしてたのよん、城下一美人と誉れ高かった奥様とは
一年くらいしか生活を共にしてないんですよね、短命だったし。
隊長、ダメですよ。

近くに「円政寺」と言う寺があり、伊藤博文が書を習い、幼い時の晋作が肝だめしに行った寺です。
大きい天狗の面が有名です。
鼻がピノキオみたいなんですけどね(笑)

近くに「萩博物館」と言う所があり、長州藩の志士たちの遺品が飾られてました。
今の、萩の売りだしはその名もなんと!「長州ファイブ」どす。
ゴレンジャイではありません。伊藤博文、井上馨他、アメリカへ密航した5人の物語です。
当時の写真を見る。

んんんー。調子付いてる若者5人組ってかんじです。
なまいきそうーーーー。
伊藤、井上が半端じゃない女ぐせの悪い人って本で読んだことあるからどうしても偏見が・・・。
多分、同じ会社だったら嫌いなタイプです(笑)
女にとっては偉い人もこのレベルでけちょんけちょんです。

夏みかんソフト、美味でしたよ−☆

《明倫館》
今までの城下町は、お城から歩いて10分あれば行けるくらいの場所です。
昔なら、上級武士の住宅街といったところでしょうか。
明倫館はそこから少し離れた所にあります。

こちら、昔の藩士の子弟の学校です。
まだ、現存してるんですね−、驚きです、街自体が博物館です。

さて、私、この「明倫館」にとっても思い入れがあるんです。
と、いうのも「あずみ」で有名な漫画家の小山ゆうさんがこの明倫館を舞台に「おれは直角」という
長州藩の下級武士の子の物語を描いてるんです、小さい頃、それが大好きでした。
直角の家庭が大好きだったのよね−、情けないけどとても優しいお父さん、美人のお母さん、
かわいい息子、みたいな。
最後、息子のお陰でお父さんはうっかり出世してしまい、意地悪されるって言うオプション付です(笑)

現在は小学校に隣接していて、門の一部と「有備館」という武道場が残る。
坂本竜馬もここで試合したらしいです。

長いでしょ(笑)
後半もあるでよ。




 

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