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青島での魚釣りの思い出(直大) その4
■魚とは1対1で付き合いたい
晩年は、なるだけ原始的な仕掛けで釣る、、、が私の主義になりました。だから海外旅行に持って行く釣り道具は竿と糸、重り、ハリ、それに止むを得ず、小さなリールです。本当は糸、重り、ハリだけにしたいのですが、それだけでは魚のいる場所に届かないからです。
釣り場はどうして探すか。
今でも成功した快感が残っているのはシンガポールです。小さな島なので空から全体が見渡せる。チャンギ空港に着陸直前、窓からじっと覘いていました。滑走路の脇に堤防がずっと続いて、岩や海草も見えました。
ホテルからタクシーに乗り、先ず市場へ。エサも本当は釣り場に着いて、砂地があったら掘ってゴカイのようなムシや貝を見つけたり、潮溜りでエビやカニをを取るのが一番です。でも満潮時や堤防などでそういうエサが取れないことが多い。
市場で小エビを買いました。運転手に道具を見せて空港付近で釣れそうな場所を聞くと、うなづきます。
到着すると、やはり空から見つけた堤防でした。4、5人の先客がいますが、あまり釣れてはいないようです。海面は日本と違って浮き藻が堤防近くを覆っていました。その先じゃないと糸は海中に降りていかない。そのために竿とリールが必要でした。
私が釣り始めても、タクシーの運転手は帰らない。「もういいよ」と言っても、帰りのタクシーがないだろうと待っています。待ち時間の料金は少しでいいと言う。どうも釣りが好きな様子です。
そこでは2時間ぐらいでアイナメに似た手のひら大の熱帯魚を4匹、運転手にやると喜んでいました。
地図*シンガポール シンガポール チャンギ空港 一番釣れたのはメキシコのマサトランで、太平洋側のカリフォルニア湾に面した古い観光地です。大量のクジラが遊泳するので有名なカリフォルニア湾ですが、観光客は少なくて静かな街でした。ホテルの前は見渡す限りの砂浜に岩場がぼつぼつ。絶好の釣り場ですが、釣り人は1人もいない。
ホテルのコックに生イかを細く切り身にしてもらって出掛けました。満ち潮のいい時間でした。あちこち回って、足首が隠れるくらいの浅い場所でしたが、岩の形と藻の生え具合が良さそうなので糸をたれました。
すると入れた瞬間にぐぐっと当たり。黒鯛のような形の色の白い魚です。4、5匹釣って、しばらくすると、今度は赤いメバルのような魚が掛かってきました。これも入れ食い。群れが回遊しているらしいのです。
夢中で釣りまくりましたが、獲物を誰かに見せたくなりました。家内は離れた大きな岩の上に寝そべっています。声はとどかない。釣った魚をエラから糸で通してぶら下げ、10匹ぐらい家内の目の前にもって行きました。
「あら貴方、凄く釣れたわね」
「凄い釣り場だよ。日本だったら満員なのに、ここには僕1人しかいない」
このメキシコも私達の”ついの棲家”の候補になりました。家内と一緒に家を探して、二階建のプール付きの家が3000万円程度でありました。
「でも、ずっと住むのはねぇ。日本から友達を呼ぶのは大変でしょうね」
釣りには絶好でしたが、私も永住する自信はありませんでした。
こうした2人の旅行は10年以上続きましたが,決める決心はなかなかつきません。そのうちに家内が病気で亡くなってしまいました。相手がいなくなると気持ちも変わってきます。1人だけの海外住まいはあまりにも淋しい。何のための海外だろうか?
釣りの情熱も少し醒めてきました。純粋の狩猟本能と思っていたのに、誰かに見せて自慢したかったのか。あるいはそれもオスの本能かもしれません。しかし以前の心境でなくなったのが、現状です。 [完]
武藤 直大様 4回にわたる、貴重な思い出を有難うございました。
釣りの中に、直大様の豊かな人間性に触れることができました。
お元気でお過ごし下さい。 またの記事の投稿を楽しみにしています。 聖書の言葉 マタイによる福音書 4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、 人間をとる漁師にしてあげよう」。(口語訳聖書) こうしてペテロたちはイエスの弟子になった。後に12使徒が任命され、福音宣教にあたった。 イエスの十字架の死後、各地へ伝道に赴き、多くの者は殉教したといわれている。 |
「青島での釣りの思い出(直大)」
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青島での魚釣りの思い出(直大) その3
■本能で味わいたい釣り
私が「自分の魚」に出会ったのは、昭和14年、小学2年で青島に着いた2,3日後でした。翌日すぐ山東路の家から海を見に行って、海軍桟橋とその付け根の海岸を歩き回りました。岩の潮溜りで2,3センチの小魚やエビ、カにを発見しました。両腕を水につけて追うのですが、動きが早くて捕まえられません。
なんとしても獲りたくて、親に柄のついた網を買ってもらい、今日こそはと出陣しました。岩場の潮溜りで計画通り小魚やエビ類を獲りました。それで帰ろうと桟橋の付け根に来ると、石とコンクリートで造った5メートル4方ぐらいの水溜がありました。
何ためにあるのか理由は分かりませんが、満潮時にどっと海水が入り、干潮時にはその海水が残っています。その縁に立って覗き込んでいますと、突然、銀色に光る形のいい小魚が水面に浮き上がってすいすい泳いでいます。さっと網を伸ばすと、奇跡的にキャッチ出来ました。
潮溜りで獲ったハゼのような雑魚とは違ってタイのような形をした綺麗な魚です。興奮して持ち帰り、家族に見せました。洗面器に入れ替えて運動できるようにしましたが、塩水をいれても1時間も生きていませんでした。
数日後、父が本格的な釣り道具を買ってきて、日曜日、当然のように私を連れて行ってくれました。釣り場は桟橋の右側の岩場。どういう場所が釣れそうなのか、釣り師は海の「相・そう」が感じられるようです。
経験者にも聞いたのでしょうが、3、4回、場所を変えてクロダイを5匹釣りました。私は1匹。家に帰っても、海から近く10分ぐらいなのでまだ生きています。バケツに入れて銀色の魚体に黒いしま模様をくねらせて泳ぐのを、飽かずに眺めました。
この時点で、私は魚と完全に結びつきました。大自然から生き物を獲る狩猟本能が開花した、、、と思います。
それから30年後ぐらい、私は東京郊外のひばりヶ丘団地に住んでいました。子供が生まれ、やがて団地の内外を遊びまわっていました。ある日、会社から帰ると家内が、
「今日ね、ザリガニを獲って来たのよ。大事に金魚鉢に入れてある」
それを見て私はむしょうに嬉しくなりました。
「ほほう、どこで捕ったんだろう。僕もあちこち散歩しているけど、ザリガニのいそうな川は見たことがない。よく探してきたな」
相当、探し回ったと思います。汚い水溜りかもしれませんが、子供が私と同じように狩猟本能を持っていそうなことがわかって、嬉しかったのです。
父が私の本能を伸ばしてくれたように、私もやらなければと思いました。しかし、近所には海も川もありません。行くとしたら2日がかり、しかも釣れるとは限らない。子供には向かないので止むを得ず釣堀にしました。
団地の近くにあったのは小さな池の釣堀でした。フナとコイが釣れるということでしたが、当たりは全くなし。1時間ぐらいして私の針にかかったのは大きな腹をした金魚でした。
金魚など釣る気もないのに哀れな姿、ハリをはずすために手に取ると、何か侮辱されたような気持ちになりました。
”こんな所に息子を連れてきてはいけない”
私は親父から受け継いだ狩猟本能のDNAを、息子に伝えることは出来ませんでした。
テレビの釣り番組は昔ほどではないが、相変わらずやっています。私は今の釣り方は嫌いなのですが、大物の暴れる姿には興奮して、つい見てしまいます。
前述した船頭との関係も気に入りませんが、最も嫌なのは「電動リール」の出現でした。釣り糸から直接指に伝わってくる魚とのやり取りが最大の楽しみなのに、それを機械任せにしてしまうのですから、自分と魚の間を遮断して、何のための釣りなのか分からない。
釣り番組ではなかったのですが、イギリスの田舎の漁が紹介されていました。そこでは大物を釣るのに直径2ミリ位の太い麻糸に
手のひら大のハリをつけ、1キロ位の巨大な肉塊を刺し、大きな石の重りをつけて、岩から海に投げ込んでいました。
”これこそ本当の釣りだ”
と感激しました。何が釣れたかは覚えていないのですが、その原始的な仕掛けに心が躍ったのです。
やってみたい!あれだったら釣られた魚だって、正々堂々、対等な勝負観があって怒らないのではないか。
電動リールなどで釣られたら、ごまかされた感じ。立場は違うが、私が金魚を釣らされたような屈辱感が残るのではないか。 (続く) その4(次回お楽しみ)
聖書の言葉:テサロニケ第1の手紙 5:15 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。(口語訳聖書) |
青島での魚釣りの思い出(直大) その2 皆さんお元気ですか。
ロスは、雨の日が続いていますが、今日、日曜日は晴れ模様で20度で風が出ていますが外は暖かです。
直大さんのその2をお届けします。
青島の釣りの思い出(その2)
■純粋な楽しみに雑念が入る
釣りとマージャンが、私の生涯を通じて最も時間を掛けた遊びだったことに間違いはありません。しかし、東京のサラリーマン生活の中で、時代の変化と私自身の高齢化にともなって、純粋さが失われていきました。
釣りでは青島と違って、東京の我が家から釣り場までは最低で数10キロの距離がある。前夜までに現地に着かなければならないので2日がかりです。
それではせいぜい月に1回。だから行ったら確実に釣りたい。海岸に行って自分で釣り場を探すのはムリだから、どうしても漁師に案内してもらう船釣りになります。
知り合いの画家がマダイ釣りの名人だったので、連れて行ってもらいました。青島でも親父に連れられて小埠頭からサンパン(手漕ぎの小舟)で沖に出て釣りましたが、クロダイ、スズキ、ヒラメ、コチぐらいでマダイは釣れなかった。だからマダイを釣るのはは夢でした。それが名人に連れて行ってもらい実現しました。
それに味をしめて以後10年ぐらいは打ち込みました。竿も名人に教わって自分で作り、伊豆諸島や千葉県沖などで、マダイだけではなくてシマアジやカンパチなどの高級魚を釣りまくりました。
「俺も名人並みだな」と内心思うようになりました。街を歩いていて魚屋を見かけるとついのぞきたくなります。釣ったのと同じような魚を見かけると、その時の感触を思い出し優越感にひたります。さらに、
”俺が釣ったような高級魚もあるな。幾らぐらいだろう?”
昭和40年代後半から50年代にかけて釣りブームとなりました。テレビにも釣り番組が多くなり、釣りのプロまで出て来た。行きつけの船宿のも客が大勢押しかけて、船内も窮屈になりました。
それでも続けていたのですが、何となく余計なことに気がつくようになった。魚は広い海の中である特別な場所にしかいない。しかも潮時や水温などで、目の前にエサがあっても食わない時がある。船頭はそれを全部知っていて、客に釣らせるわけです。
陸地が近いときは2方向を見てヤマをたて、魚群探知機で海底や魚群を見て船を操る。正確な場所に行っても魚の食い気がなくて釣れない時もあるが、船頭がわざとヤマをはずすことがある。何度も行って経験すると、それがおぼろげながら感じられるようになったんです。
船頭としては客が多くなったので、釣れないので1回だけでこりて、2度と来なくてもいいんです。あまり釣らせて、大事な魚場を荒らしたくない、、、と言う気持ちも分かる。客に釣らせてやるかどうかは、船頭の気持ち一つ。
そういうことに気がつくと、どうもバカらしくなった。考えてみたら船釣りというのは99%船頭まかせ。魚のいる所に連れて行ってもらわなければ、自分の腕なんてあってもなくても同じです。広い海でも実際は釣堀のようなもの。そんなことなら初めから魚屋に行って買った方がましではないか。
それで本当の魚釣りを楽しむには、青島のように海に近い家に住まなければダメと思うようになりました。
マージャンも年齢とともに似たような経緯をたどります。
40歳を超して役職に就くようになると、同僚だったメンバーが次々に消えていった。他の部署に行ったり辞めていったりでなかなか4人揃わない。それで若い部下を入れるようになりました。いわば胸を貸す気分です。
「勝負の世界に情けはないぞ」
私も昔はそれで上司とやってきた。勝つと仲間に勝つより気分が良かった。ところが私の後輩はそうではかなかった。
ある日、腹具合が悪くてトイレに入っていると、部下が2人入ってきて小便しながらの立ち話。
「おい、昨日はお前どうだった」
「いやぁ、散々さ。部長のやろう、安月給の俺からむしりとりやがった」
といかにも憎々しそう。それが、冗談か本心かは声でわかります。私にもそんな時があったが、
「いやぁ昨日はツイてなかった。次はコテンパンにやっつけてやるさ」
と話していたものです。
それで部下とのマージャンを止めたわけではなく、誘われることもあって続けたがどうも面白くなくなった。どうしても本気になれないんです。雑念が入って純粋に勝負を楽しめなくなった。
釣りもマージャンも、余計なことが頭に入ると楽しくなくなることが分かりました。定年退職とともにマージャンは一切止めましたが、釣りは青島時代の味が忘れられず、旅に釣竿を携行するようになりました。
(続く)
でもそんなに言われたぐらいで止めるのはシャクだったので、部下とも続けました。
その3を待ってて下さい。
数年前の青島初旅行のスナップ
聖書の言葉
テサロニケ第1の手紙 5:14 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。(口語訳聖書) |
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武藤直大様からお便りをいただきました。
釣り好きの武藤様、青島の子供時代の思い出に浸りながら、釣果は如何に? 答えは・・・読んでのお楽しみ!!! 青島の魚釣りの思い出(直大)その1 ■釣りのため青島を「ついの棲家」と考えたこともあります サラリーマン時代に私が一番時間を費やした遊びはマージャンでした。30年以上の間に、会社が終わってから何百何千時間を過ごしたことか。
青島時代の小学5年から終戦の中学2年までは、放課後の魚釣りでした。家が海岸にすぐ近くの金口一路にあった頃です。学校から帰ると毎日飽きずに夕方まで釣りまくりました。
東京で定年退職して子供は成人し、全く自由になりました。旧満州育ちの家内と海外移住も考えて、世界中を候補地探しに旅したものです。
その中の1つが青島でした。もう10年も前になるでしょうか。その時は竿を持って1人で青島に行きました。50数年前の釣り場で、じっくり誰にも邪魔されず、心ゆくまで釣りたかったからです。
私の釣り場の海浜公園は「忠の海」海水浴場の沖に向かって右側にあります。その岩場が干潮のときから徐々に満ちてくる時間が魚の食い時です。
釣れるのはアイナメとメバルが主でした。たまにクロダイが来ます。何年も通っているうちに、潮の満ちてくるにつれての魚の居場所が分かるようになりました。岩の形、海草の生え具合を覚えていて、そこにハリを落とせばほとんど百発百中で、誰よりも沢山釣っていました。
その釣り場に50数年の年月を経て到着しました。ホテルを出て、ゴカイなどのエサ屋は見つからなかったので、市場で生エビを買いました。海浜公園についてみると、潮はあいにく満潮に近い状態でした。よく釣れた岩はもう海の底になっています。それは危惧していたことですが仕方ありません。
そういう潮時でも少しは釣れた岩場を思い出して、そこでに行きました。中国の老人が4、5人釣っていました。彼らが竿を出していない釣れそうな場所を探して糸を垂れると、すぐ小突いて来ました。懐かしい懐かしいこの感触。緊張してさっと上げると、12センチぐらいのアイナメ!昔と全く同じ引きで同じ魚が上がって来たのです。
体が熱くなり、それだけで青島まで来たかいがありました。季節外れの1月ですが寒さは感じませんでした。2時間ほどいてアイナメとメバルを合計5匹釣りました。
隣にいた老人に釣った魚と残った餌のエビを上げて喜ばれました。びくをのぞくと、獲物は私よりも少なかった。”腕は落ちていない”といい気持ちでした。
条件は良くなかったけれど、青島で釣れるということは分かりました。でもすぐには永住の地、と決めるわけにはいきません。世界にはもっとよく釣れる場所があるかもしれないし、家内の意思も無視はできません。そして青島にもっとよく釣れる場所が新しくできているかもしれない。(続く)
その2をご期待ください。 アメ・ハラはクリスチャンです。聖書の言葉を書きます。 宜しくお願い致します。 「3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも 滅びないで、永遠の命を得るためである」 新約聖書 ヨハネによる福音書3:16(口語訳) |
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