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幕末・明治への旅 ご先祖さまに聞

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中国への旅 (2016年5月25日〜31日)(序)
 
寄稿者 武藤直大様の略歴(じこしょうかい)です。
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昭和6年中国アモイ市生まれ。父が外務省勤務のため中国大陸を転々し、昭和20年の終戦時は青島市で 中国の旅行時中学2年。郷里・熊本に引き揚げて、大卒後上京。産経新聞記者、週刊サンケイ記者、編集長を経て退社。

その後印刷会社の広報部門に転職、定年退職。以後、暇に任せて 昔の新聞記事から近代史を眺めてみようと『新聞記事に見る 激動近代史』(平成20年グラフ社刊)を書きました。それが縁で時々、講演の依頼があります。年の功だけで、人様より昔の事を知っている時代になりましたので、お話しすることにしています。 (ご本人提供)


年に1回の中国への旅は、もう10回以上続いている。私と同じく大陸生まれの家内が存命中に北京から長安、蘇州、上海を回ったのが2回目だった。その前に各自でそれぞれの一番の思い出の地に行った。家内は旧満州の吉林、瀋陽など。私は青島で、いずれも物心がついて、小学校から中学時代を過ごした2人にとってはいわば第二の故郷だ。
そこに何故二人で行かなかったのか、それぞれの都合もあったが、「ここは純粋に私一人の思い出の地」であり、「誰も、家内でさえ入り込まない完全に自由な心の状態で、思い出にふけりたい」というロマンもあった。
それが“追憶”
の旅だとすれば、以後は”発見”の旅だった。発見というのは、年齢が70台半ばとなってからだった。子供時代に見て、感じた中国と、急速に発
展した中国経済と共に変化していく街の様子、人の心である。
そういう気分になって旅をしたのは上海、重慶、厦門、成都、温州、徐州、済南、武漢、無錫等の大都市だ。厦門は私が生まれた所だが、その他は子供時代によく新聞に載った地名だから、戦争に何らかの関係があって覚えているのがほとんどだ。
これ等の旅の起点にしたのは杭州である。人口約800万、西湖があり観光地として有名だ。20169月には「G20」が開かれた。この地との関わりは、日本で私が肩こり腰痛の成人病の治療中に、杭州出身の大学教授の患者となったからで、以後親しくなって10数年の付き合いがある。
(上の写真は武藤様の提供です)  次回#1をお楽しみに


ドイツ統治時代の青島の地図
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聖書の言葉
 詩編 19:14 わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが/あなたの前に喜ばれますように。
 KJV21 Ps 19:14  Let the words of my mouth and the meditationof my heart be acceptable in Thy sight, O LORD, my Strength and my Redeemer.

皆様の上に、神様のお守りがありますように!!!

 
■幸徳秋水の大逆事件(第25回
・幸徳一派の大陰謀事件は大審院で特別組織の下に審理『明治43年(1910年)9月25日 東京朝日新聞』
 恐るべき大陰謀を企てた幸徳秋水、菅野すが等社会党員に対するその筋の大検挙は、東京、横浜、長野、神戸、和歌山その他全国各地にわたって着々進行した。大審院では特別の組織で審理に着手、松宮検事総長は神戸から上京してきた小山検事正、及び大賀、武宮等を専任にして、それぞれ監獄で取調べを続けている。何分にも重大事件なので、各被告はそれぞれ別房に分けて収禁しているとのことである。
 
 当時の大審院は現在の最高裁判所に当たる。地裁から高裁の順序を踏まず、いきなり最高裁で審理した。しかも「公安維持の必要上、公開は禁止する」とされた。
 
・有史以来の公判 傍聴は禁止となる『同年12月11日 東京日日新聞』
 身は金甌無欠(注・外国の侵略を受けたことがない強固な独立国家)、皇統連綿たる神州の民と生まれながら、不自然な西欧の曲学に心酔のあまり、ついに我が国有史以来かつてない大反逆を企てた無政府党・幸徳秋水以下26名の強欲非道は、吾人はその六族を亡ぼしてもなお足りぬ思いである。万人がその肉を食い、屍に鞭打ちたいと希うところだが、国家はこれら不忠の徒に対しても法を定めている。
 
 ここでは、犯人ではない親戚縁者まで「六族を亡ぼし」、「その肉を食い、屍を鞭打ちたい」等と激烈で感情的な表現を使っている。読んだご先祖さまたちは、いったい何事が起こったのかと驚き興奮したことだろう。しかし新聞には、いきなり大審院で裁判することや、傍聴禁止についての疑問や批判は見られない。
当時の政府の言論圧迫は、未だそれほどではなかった(それは後述する大正時代の新聞で分かる)。これらの記事は大衆の気分に迎合し、人気を得ようとする新聞社の下心の方が強く感じられる。
 この裁判は新聞には「某重大事件」「大反逆」と書かれただけで、国民にはいったい何があったのか、真相は一切知らされなかった。昭和に入って終戦後、発表された幸徳秋水の資料でようやく知ることが出来たのである。
それを読むと、確かに当時の国民には知られたくない情報だった。
 秋水は明治40年1月、「天下に社会主義思想を広める」と宣言して『平民新聞』を発行した。そかし当局に度々発行禁止され、同年4月に廃刊した。この以前に秋水はアメリカに行き、無政府主義者と付き合い、社会革命党を結成している。
この党が出した雑誌『革命』の第1号に「日本皇帝睦仁君(明治天皇のこと)に与う」という論文がある。問題にされたと思われる部分を要約すると、
「天皇の祖先の神武天皇は神の子とされているが、それはウソで事実は猿類の進化したものである。明治天皇は支那とロシアと戦った。戦場に行った平民は死んだり捕虜となったが、天皇とその周囲の者は何も失わず得をした。睦仁君、憐れな睦仁君、足下の命は旦夕に迫っている。爆裂弾が貴方の周囲にあって、将に爆発せんとしている。さらば足下よ。                                 
無政府党暗殺主義者」
「天皇の先祖は神様である」と教育され、信じ込まされてきた国民にとって、「本当は神様ではなくてサルである」と言われたらショックである。実はダーウインの進化論『種の起源』は1859年に発刊され、その後の世界で最新知識とされていた。しかし天皇の権威を確立させたい明治政府としては、神話を疑わしくさせるような科学の学説は、国民には知ってもらいたくはなかっただろう。


*遅まきながら、新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

武藤様の寄稿「明治編」はこれで終了です。
有難うございました。「大正編」・「昭和編」はまたの機会にさせていただきます。
武藤様の中国旅行を近々掲載させていただきます。ご期待ください。


■マスコミの弊害が現れる(第24回)

 明治政府は成立以来マスコミに対してかなり言論の自由を許していた。しかし征韓論や自由民権思想が高まってきた頃、政府はこれを抑えようと明治8年、讒謗律8か条と新聞条例16か条をつくった。これで実際に取締りが行なわれ、新聞の発刊停止や書いた記者が禁固刑などを受けたが、それほど厳しいものではなかったことが、当時の新聞記事で分かる。

 

・新聞記事による犠牲者続出『明治8年(1875年)8月16日 東京日日新聞』

 放置新聞社編集長代理・岡敬孝は一昨14日裁判所にお呼び出しになり、また朝野新聞へもお鉢が回って成島柳北先生も昨15日警視庁に呼び出され、本月9日の論説に付き検事局からの注意があって、町内預けの処分になりました。

 大体、新聞屋という奴は、泥棒が縛られたとか、密通男が捕まったなど人の事を嬉しがって書いているから、その報いで新聞屋も小さなことで捕まるのでしょう。因果応報の理というものは争えない。

 

・成島柳北訊問の手記『明治8年9月2日 朝野新聞』

 担当官は掲載された新聞を取り出し、「この雑話はどういう目的で書いたのか」と問うた。私は謹んで答えた。

「これは今、軽薄な書生たちがみだりの天下国家を論じているのを戒めるために書いた。私の塾でもよく見かけているので、、、」

「塾生がそういうことをしたら、そこで訓戒したらいいことで、どうして記事にしたのか」

「わたしの塾だけではなくて、一般の風潮なので書いたものである」(後略)

 

 成島は禁獄5日の刑を受けた。なお成島はこの記事の後の方で、訊問した法官の言葉を紹介している。

「どんな国でも徐々に進歩していくもので、日本もなお一層文明度が高まり、人民の知識も広まれば、新聞条例の改定もあるだろう。しかし今日の段階では、政府の法律であるこの条例は、絶対に守らねばならないのではないか」

 私は法官がこのようなことを言えるのは、日本の国と人民のために喜ばしいことだと思った。

 

 成島の最後の言葉には、現代にも通じる重要な意味がある。

 政府を批判する新聞の主張が常に正しいとは限らない。いや間違えることが多いのは、昭和、平成に入っても、国政を左右する大問題でよく起こった。終戦後は「全面講和」、「安保条約改定反対」、「経済不況についてのマスコミの総悲観説」「民主党の支持」など。新聞の主張どおりにしていたら、現在の日本の繁栄はなかっただろう。

 明治時代にそれがはっきりと現れたのは、日露戦争の講和条約についてだった。大国ロシアを相手に国力を使い果たしていた日本は、一刻も早く戦争を終わらせたかった。そのために講和条約は、国民に満足の行くものにはならなかった。それに対して新聞は猛烈に攻撃する。

 

・天人不許の罪悪『明治38年9月3日 報知新聞』

 日本に外交なし、否な日本の外交なるものは桂内閣、小村全権によって滅亡させられ、国民と軍隊は彼らによって売られた。我輩は彼らのために国家が滅亡に導かれることを憤慨するのである。▼政府者は韓国の保護や満州の解放を得た事で、日露戦争の目的を達したとする。樺太の分割、鉄道、租借権の譲与等は目的以上の獲物である、というのを見聞きして、我輩は彼らに良心と常識のほんの僅かもないと断言せざるを得ない。▼外交において終止、屈従主義を取る元老、内閣と小村全権の国を売り民を売って平気で反省しない行為は、天人共に許さない行為である。

 

・白骨の悲憤『同年9月6日 大阪朝日新聞』

 アヽ我らは売られしか!!我らは欺かれしか!!!国難に殉へよ、平和の犠牲になれよとは、国民が我らの出征を送るはなむけの辞ならざりしか。

 兄は弟を捨て、子は親を顧みず、奮って砲火の火柱の中に躍り入り、剣の林に飛び込みタルは、祖国に仇なす敵を破らんためなりき。ああ何事ぞ!!!武臣は戦いに捷ちて文臣は敵に降れり。

 我ら数万の血潮と骨とは、この大不名誉なる大屈辱なる祖宗の国家に一大汚点を染むる三千年来未だ曽つてあらざる講和条約とは化しけるか!!!

 

 新聞記事とは思えないような文章が延々と続く。記事というよりも読者をあじる檄文である。ほとんどの新聞がこのような調子で政府を攻撃した。政府を擁護する記事を書いた国民新聞は、他紙から「御用新聞」とののしられ、攻撃された。そのため国民新聞は暴徒に襲われ、日比谷公園など数ヶ所の交番が焼き討ちにあった。

 新聞には当時の政治家や軍部のように、客観的に「世界の中の日本」の力を判断する能力はなく、ただ国民感情に従って、新聞を売らんがためにあおりにあおったのである。このような新聞の傾向は、明治末期にまた別の形で表れてくる。

■日露戦争と伊藤博文(第23回

 戦争の状況は知られているので、この頃の伊藤博文の行動を追ってみよう。昭和以後の政治家との余りの違いに驚かされる。

 

・捨小舟 海女が子の嘆きぞ悲し 滄浪閣の前のおとど阿福を捨て給う『明治37年(1904年)4月11日 東京朝日新聞』

 先に藤公(伊藤博文のこと)は夜な夜な大磯の滄浪閣(伊藤宅)を出て、同地の旅館仙招閣に通っていたことがある。当時は旅館に1人だけ美人の女中がいてお福(20)といった。近所の漁夫の長女で、一生を海に潜らせ、雪の肌を黒くするよりもと、大磯の町に出したのである。

 藤公はその色香をめで、旅館の主人に話してお福を自由にした。お福は赤心をこめてかしづいたので、藤公の寵愛一方ならず、表面はお腰元、裏面はお部屋さまとして暮らしていた。しかしとかくさめ易いのが藤公の癖で、お福との間にも秋風が吹いて、昨年6月、300円の涙金で暇を出した。

 ところが大磯の小商人に黒木屋某という者がいて、息子の正賢(23)は小学校教師をしている。嫁を迎えてやろうと思っている時にお福のことを聞き込んだ。

“伊藤さんのお手がついた女なら結構だ。おまけに300円の持参金とは”

 とばかり縁談を結んで、4、5日前に結婚した。式場で嬉しくなった黒木屋は出席していた船頭たちに、

「お手前方は漁船に乗るが、倅は今日から親船に乗ったも同然。早晩、伊藤さんに取り立てられ、文部大臣になるでしょう」

 とエビで鯛釣る考えはお里が知れる。

 日露戦争のさなかに、こんなのんびりした記事が載った。同じ日の紙面に、伊藤が特使として朝鮮に向かったニュースが出ている。当時としては政治家に限らず、裕福な男が妾をつくることは珍しいことではなく、スキャンダルにもならなかった。戦争中にもこれだけの余裕を持っていることを、知らせたかったのだろうか。

 しかし伊藤は遊んでばかりいたわけではない。次の記事では、さすがという芸当をやり遂げている。

 

・伊藤公が酒乱の放言乱語『明治38年(1905年)2月2日 萬朝報』

 水交社(海軍軍人のクラブ)で開かれた東郷大将歓迎会で、伊藤博文が傲然として演説し、物議をかもした。演説の要点は次の通りである。

「自分は内閣に頼まれて言うわけではない(当時は桂首相)。今日までの陸海軍は連戦連勝、偉大な成績で感謝のほかはない。しかし、この偉大な功績を完了することは至難で、外交上最も大切な事業と言わざるを得ない。

 この難局に対して、小村君(寿太郎外相)のような豪傑で、ビスマルクにしんにゅうを掛けたような大人物であっても、目的を達することは難しい。この難局を切り抜けるには、正しい主義を立てて行動しなければならない。その主義は世界的に観て、決して攘夷的であってはならない。あの対露同士会(対露強硬派の集まり)や7博士(同じく強硬派の七人の東大教授)のような無法な攘夷論は、徒に列国の感情を害して大事を誤るものであるから、断じて排斥しなければならない。万事を世界主義から割り出して、初めてこの難局から切り抜けられるのである」

 伊藤の論旨はさておいて、酒気ふんぷんとして態度が傲慢無礼なことが列席者の感情を害し、殊に軍人に対して大きな要求をする事を戒め、政府に対しても暗に自分に従えと示威したことが物議の種となった。

 翌日、山本海相と小村外相が伊藤を訪問して真意を確かめようとしたが、伊藤は、

「そのような事を言ったかどうか、何分、酔っていて覚えていない」

 と要領を得ないため、責める者もそれで止めてしまった。

 伊藤が今日でも世間に攘夷思想があるが如く言うのは実に愚であり、また失礼である。耄碌翁はあまり口を叩かぬがよろしい。

 

 この頃、陸軍は旅順を攻略し、満州、朝鮮での戦闘に勝っていた。海軍も日本海海戦前だったが、かなりの敵艦を沈めて、国内は戦勝気分に酔っていた。しかしロシアは超大国で、日本が最後まで勝てるという見通しはなかった。それで、この戦争を止めることの大切さ、難しさを分からせようとしたのである。

 真正面から言うと大反対され、命も危ないので、酔った振りをして真実を少しでも知らせようとした。

このような行為は、太平洋戦争でいうなら、ハワイやシンガポール、ジャカルタ等で日本が連戦連勝していた時期に、山本連合艦隊司令長官の歓迎会で、「今は勝っていても、戦争は止める時が大変だ」と言うようなものだ。昭和の時代には、そういう政治家は1人もいなかった。

 伊藤は明治42年10月26日、満州視察中にハルビン駅で朝鮮人安重根に暗殺された。韓国は今、この安を独立運動の英雄として記念碑を建てようとしている。しかし伊藤は初代韓国統監にはなったが、生存中は韓国の日本併合には反対していたのだ。

「韓国は古来、完全に独立したことはなし。日本の助けで世界列国のⅠ員になったが、依然として自立することは出来ないでいる。日清戦争後に韓国のしたことと言えば、日露戦争の原因をつくり、我が国に数万の英霊と多額の戦費を費やさしたことだけである。

 韓国の併合は徒に厄介を増すだけである。韓国に自治の能力を養成してやって、後に日韓連邦政府のようなものをつくるのが、日本の利益になる」(明治43年8月30日 読売新聞)

 政界最長老の持論なので、併合論者も反対は出来なかった。それが安によって暗殺されたので、翌43年、韓国を併合して「朝鮮」と改称し、朝鮮総督府を置いた。もし安が伊藤を暗殺していなければ、もっと違った形になっていたかもしれない。安のしたことが併合を速めたのは確かである。

■日露戦争までの10年間(第22回)
 日清戦争は明治28年に終わり、日露戦争は明治37年に始まった。この短い期間にもいろいろなことが起こっている。それを新聞見出しで羅列しよう。
・車夫のスネを出すのさえ喧しいのに、一糸まとわぬ裸体画をさらすとは 博覧会の裸体画陳列問題『明治28年(1895年)4月14日 日本』
 これは当時の有名な洋画家黒田清輝の裸体画で、初め新聞は当局はなぜ取り締まらないのかと騒いでいた。しかし当局がその絵の女性の局部にだけ黒布を掛けて見えないようにしたら、今度は「芸術を解さない」と攻撃した。
 
・南米ブラジルに移民の計画『明治29年(1896年)6月12日 読売新聞』
 政府がブラジルと通商条約を結んだことで、条約が成立すると2万人の移民が送られることになった。
 
・匪徒義和団北京に乱入 列国公使館が危険に『明治33年(1900年)5月20日 国民新聞』
 この時は欧米諸国から日本に出兵して居留民を守るよう要請された。
 
・日英同盟成立 桂総理大臣 議会に報告『明治35年(1902年)2月13日 時事新報』
 イギリスがロシアのアジアでの南下政策を恐れて日本と同盟を結んだ。この条約のおかげで、日露戦争で日本は有利になった。
 
・厳頭の感の一文 華厳の滝に藤村操投身『明治36年(1903年)5月27日 報知新聞』
 高等学校生の藤村が家出し、「厳頭之感」という詩を残して滝に飛び込んだ。以後、若者の自殺が流行った。
 
・露兵続々と南下『明治36年10月16日 東京朝日新聞』
 ロシア兵が連日、南満州に輸送され、旅順、大連の兵営では昼夜兼行で防御工事が行なわれていると伝えている。

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