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中国への旅 (2016年5月25

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9八大君の最初のコンサート   
八大君と初めて会ったのは昭和18年(1943年)、私が小学5年か6年の時だった。青島の第一国民学校から転校して第二国民学校の原田先生の組に入ってきた。「中村ハチダイ君です」と紹介されて変な名前だなと思ったが、私の直大と似ていたので親しみを感じた。私は「ナオヒロ」と読むのだが、あだ名は「チョクダイ」だったからだ。
 帰る家も忠の海の方角で私と同じだった。当時は同方向の児童はまとまって一緒に登下校することになっていて、私はそのグループの班長だった。
6年生のある土曜日の放課後。校門の近くで班の全員が揃うのを待っていたが、八大君がなかなか出てこない。教室に呼びに行かせると「弁当を食べている」とのこと。こちらは家に帰ってから食べるので腹が空いている。もう一度「速く食べろ」とせかせにやった。
その様子が周りからは、我われ悪ガキが八大君をいじめている、と見えたらしい。原田先生に注進がいったのである。教室にいた一人がやってきて、
「先生が職員室に来いって」
 班長の私と呼びに行った者が入っていくと、「なんで友達にそんなことをするんだ」と怒られて、しばらく立たされた。八大君は小柄できゃしゃな体格だった。傍からはいじめに見られても仕方がなかった。23分で「もういいから、早く帰れ」と言われ、校門に行くと全員が揃っていた。
「お前のおかげで立たされちゃったぞ」「そうなんだってねぇ」
 と笑いあって終わり。いつものようにおしゃべりしながら帰った。
実は八大君は当時、土曜日の午後は学校帰りにドイツ人のピアノの先生に習いに行っていた。だから弁当を食べないともたなかったのである。普段は速く食べて、昼飯を食べないで帰る我われをほとんど待たせなかったのだが、その日は何かの事情があって食べるのが遅くなったらしい。そういう細かいことは先生に説明しなかった。
原田先生は軍国主義を信ずる厳しい先生だった。当時としては当然のことで、厳しくても熱心な授業で曲がったことが嫌いな先生を、クラスの全員が好きで信頼し尊敬するようになっていた。私もちょっとぐらい誤解されるのは平気だった。
昭和19年の卒業文集に八大君の言葉も載っている。
「断じて行えば鬼神もこれを避く。山本元帥(注・戦死した連合艦隊司令長官)の国葬に参列した私は二度とない気持ちを味わった。涙が自然に出るのである。私は真珠湾の奥深く水く屍と散った横山少佐(注・特殊潜航艇による真珠湾攻撃で戦死、軍神とされた)のこの言葉を信条として生き抜く」
 クラスの全員がこれに似たような決意を書いている。なお原田先生は戦後、教師をやめて、ずっと自分の行動を反省されていた。
 昭和19年には青島中学に入った。太平洋戦争の真っ最中である。ある日突然、全校生徒が講堂に集められた。勤労動員のなかった日で700人ぐらいいた。何があるのかと思っていると、音楽の黒澤先生が壇上から重々しく訓示した。
「我が校にピアノの天才が入ってきた。中村八大君である。今日は特別に演奏してもらうことにする。滅多にない機会だからよく聴きなさい」
 学生服でピアノの前に座った八大君は、最初にベートーベンのピアノソナタ「月光」を弾いた。難しい曲はその1曲で、後は当時よく歌われていた軍歌のメドレーになった。
勇壮な曲、哀愁のこもった曲などを強弱をつけ、感情を込めて一時間近く弾きまくった。皆が聞き惚れて終わると大拍手だった。
八大君にとっては最初のコンサートだったに違いない。中学1年の13歳。選曲も演奏のスタイルも自分で決めたものだろう。今から思うと、編曲はピアノ独奏用に自分で考えてやったはずである。ラジオやレコードなどで聴いていた軍歌とはかなり違った感動が伝わってきた。
 最後に会ったのは八大君の晩年で、あまり大きなコンサートなどに出演しなくなってからである。私も新聞社を退職して時々、本を書いていた。ある出版社が私との関係を知って、八大君のことを書いてくれないかと言ってきた。
 会うと快く承諾してくれたが、話しているうちに私の音楽的な素養の無さが痛感された。クラシックもジャズも専門的な知識はゼロだから、いいものを書く自信がなくなった。「もう少し勉強してからにしよう」と延ばしていた。
 その時、話をしているうちに八大君が地方の小・中学校を回ってピアノ演奏をしていることを知った。全くお金にならない、誰にも知られない地味な仕事である。どうしてそんなことをしていたのだろうか。理由までは聞かなかった。
 つい先日、NHKの年末番組に指揮者の小沢征爾が出ていた。彼が忙しい日程の合間に「音楽キャラバン」をしていることを知った。バス1台に小人数のオーケストラを乗せて、日本の田舎を回っているのである。演奏場所は小学校やお寺の本堂。もちろん無料である。そこにはオーケストラやクラシック音楽など生まれて初めて、という子供やお爺さんお婆さんなども聴きに来る。
「お婆さんの表情を見ていると、うなづいてくれる。それが嬉しいんです。音楽は世界共通、確かに分かってくれたことが伝わってきてね。大都会、大ホールのコンサートでは味わえない歓びですよ」
 と話すのを聞いて、私は小沢さんを見直した。それとともに八大君を思い出した。音楽家として、きっと同じ心境だったに違いない。そうしてその原点は、私が聴いた青島中学の無料コンサートだったのかもしれない。
 
 最後に中村君に聞いた話を混えながら、彼の音楽家としての略歴をたどってみよう。
昭和6年1月20日青島生まれ。小学校に入る頃、父が八大君の姉のためにピアノを買った。ところが姉さんの方はピアノがあまり好きじゃなくて、代わりに八大君が小さな体で椅子によじ登って弾いて遊んでいた。
 第一国民学校の校長をしていた父親は、八大君が小学校2、3年になってもピアノが好きだったので才能を認めるようになった。一時期、日本の音楽環境のいい学校に転校させたが、すぐ青島に戻る。父親が校長を退任すると、八大君は私のいた第二国民学校に転校してきた。この頃には本格的にピアノを練習していて、個人レッスンを受けるドイツ人教師の家に近いからである。それで冒頭の弁当事件が起きたのだ。
 戦後、落ち着くと、八大君は郷里の福岡県から上京して、早大学院、そして早大文学部に入った。大学在学中からプロのバンドに入って演奏、やがてジョージ川口、松本英彦、小野満と組んで「ビッグフォー」を結成、たちまちジャズ界で日本一の人気バンドとなった。
 演奏活動を続けながら、30代半ばぐらいから作曲に重点を移していく。最大のヒット作は「上を向いて歩こう」(1961)だろう。日本だけでなくアメリカでも発売され(1963)、「SUKIYAKI」の曲名で全米チャート1位(ビルボードが3週連続、キャッシュボックスが4週連続)になった。日本人では初めて。これは坂本九が歌ったものだが、後にアメリカ人の歌手たちも歌ってヒットさせ、世界中で流行った。
 他にも「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などでレコード大賞を受賞している。平成4年没。63歳の生涯で数え切れないほどの作品を残したが、どんな曲にも優しく明るく深みのある「おとなの味」がする。普通のポピュラー音楽作曲家とはかなり違うのである。
それは八大君にクラシックの素養があるからだろうが、私には全曲を通じて初夏のアカシアの甘い香りが感じられる。そして中国大陸の広大さも。「明日があるさ」「おさななじみ」などを聴くと八大君の生き方そのものだ。あの豊かな才能の中には、青島の自然が育んだ部分もあると感じてしまうのである。
 以上、武藤 直大様の寄稿文
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ありがとうございました。これからもお元気でお過ごしください。

 
中村八大様 画像
 

中村八大 ウィキペディア
 

相子老婆的山南海北的話

中村八大さん

 

16
―300を超える曲を作り日本人の心にエールを送った心優しき作曲家―
中村八大

 

青島満帆

ピアノの中村八大君

 

中村八大さんと青島

 

中村八大氏のお父さん

 

中村八大さんの旧宅を探す

 
月刊青島

www.qingdaojs.org/qd-nihonjinkai/gekkanqingdao/.../page07_3.html



中村 八大



「上を向いて歩こう」の中村八大が通った青島の中学を訪ねる


などを、参照ください。


聖書の言葉(口語訳) 

列王上  8:23 言った、「イスラエルの神、主よ、上の天にも、下の地にも、あなたのような神はありません。あなたは契約を守られ、心をつくしてあなたの前に歩むあなたのしもべらに、いつくしみを施し、

ヨブ  34:21 神の目が人の道の上にあって、/そのすべての歩みを見られるからだ。

皆様の上に、神様の祝福とお守りをお祈りしています。









8.■先が見えない長橋

8.■先が見えない長橋
 帰りは蘇州を通って私の希望で杭州湾大橋を渡ることにした。何しろ36キロもあると聞いたので好奇心を刺激された。“海天一州”とも言うようだ。橋の途中に18階建ての高楼があって、レストランやホテル、博物館などもある。それでも残念ながら世界一の長さではないらしい。
 橋の長さといっても、どこに架けられているかで単純には比べられないようだ。難しいことは抜きにして単純に順番をつけると、NO1はアメリカ・フロリダ半島からキーウェストに架かる橋で総延長202キロだが、途中で島を通っているので、全部が水上ではない。中国の最長橋は丹陽−昆山特大橋165キロだが、これは高速鉄道の高架橋ということで、陸の上も水の上も通っている。

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 海上だけでは中国の青島膠州湾大橋が48キロ。というようなことで、私が渡ろうとする杭州湾大橋は世界で9番目となるようだ。そんなに長い橋を渡る気分はどんなものだろう、一度は味わってみたい気になっていた。
 橋のたもとには記念館・スーパー・レストランを兼ねたような建物があった。おそらく対岸の寧波にも、同じような施設があるに違いない。そこで少し休憩、リフレッシュして海の沖に向けスタートした。
潮の満ち干が分かる海岸はすぐ見えなくなって、左右は全て薄茶色の海、時速100キロでも、スピードは感じられない。景色が変わらないからだろう。前方の一直線に続く道路の先はかすんで見えなかった。
何も変化のない海上を突っ走っていると、爽快な気分はやがて消えて退屈した。テレビのCMでは天国のように美しく見えるが、それはせいぜい何十秒かの間だ。
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“これなら向こう岸まで行ってまた帰ることもないのではないか”
そんな気分になったところで中ほどに造られた楼閣に着いた。直線状の橋上にあるのではなくて、横に曲がる道が人工島につながっている。野球場位の広さだろうか。島のヘリの岸壁に欄干があって、今まで走ってきた長橋とこれから走る予定の長橋がくっきりと見えた。橋げたに波が打ち寄せ、白波が立っている。これは壮観だ。帽子を飛ばされそうな強い海風に吹かれて、自分が今どこに立っているのか、改めて自覚出来た。これが今の中国だ。車中から海だけ眺めていたよりも感動的だった。
よくもまぁ、こんな長いものを造ったものだ!まだ何か造るだろう
それで私の好奇心は満足した。一緒に眺めていた友人たちも同じだったらしい。対岸まで行くのは止めた。海天一州を一周して駐車場まで歩き、橋の道を引き返して杭州への帰途についた。例によって拙い漢詩が浮かんできた。
          渡杭州湾長橋
長橋百里通海天  迫車窓驚異光景
波頭百層襲我車  前方直道消雲霞

以上、武藤様の寄稿文



杭州湾海上大橋 ウィキペディアより ↓

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杭州湾海上大橋 各種表記繁体字簡体字
Hangzhou Bay Bridge ABA 1360 AK1.jpg
杭州湾海上大橋
杭州灣跨海大橋
杭州湾跨海大桥
テンプレートを表示
杭州湾海上大橋の位置

杭州湾海上大橋(こうしゅうわんかいじょうおおはし、中国語: 杭州湾跨海大桥)は、中華人民共和国浙江省東部の杭州湾を南北に縦断する海上橋である。2008年5月1日に開通した。北は嘉興市海塩県、南は寧波市慈渓県級市を結び、全長35,673m、6車線で、最高速度は100km/時。

歴史[編集]

10年間にわたる調査の末、2003年に認可され、2004年6月8日起工式が挙行された。2007年6月30日に貫通、2008年5月1日に開通した。完成後は上海から寧波への路程が320キロ短縮され、輸送や観光に大きな役割をはたすものと期待されている。完工時期は2010年上海国際博覧会にタイミングを合わせたものとみられる。総投資額は118億人民元に及び、このうち35%が寧波の私営企業から調達され、残りは国家開発銀行などの金融機関がファイナンスを担当している。開通時の普通車の通行料金は80元。開通当初は景色を見るために徐行運転をしたり駐車したりする者が多く、大渋滞が発生した。追突事故も多発したという。上海市から寧波市まで、長距離バスで3時間程で行ける。

なお、世界最長の橋は青島膠州湾大橋(全長41.58キロ)で、杭州湾海上大橋は世界第三位、海上橋としては世界第二位である。ただし、海上橋ではあるが、大部分は常時陸地もしくは潮位によっては干潟となる部分であり、水上を通る部分も銭塘江の淡水と混じり合う汽水域である。
イメージ 3




青島膠州湾大橋 ウィキペディアより ↓

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青島膠州湾大橋 基本情報 国 所在地 交差物件 用途
Jiaozhou-Bay-Bridge.jpg
中華人民共和国の旗 中国
山東省青島市
膠州湾
道路橋
7.■兵役帰りのドライバー
 土日は友人も休めるので、毎回2〜3日の小旅行をすることにしている。今回は無錫だった。上海から奥地に入った、交通の便が良く水も豊富な地帯で、工場の立地にいいらしい。多くの日本企業が進出している。ところが梅雨の季節だったので、ずっと雨に振り込められた。市内見物もあまりできず、大きな湖を一周した以外、印象に残るものはなかった。友人がカラオケで歌った「襟裳の春は 何もない春です」を思い出した。しかし、予期しなかった別の収穫があった。
 遠ければ飛行機や新幹線で行くが、無錫は杭州から300キロ位なので車にした。ホテルに迎えに来たのが23歳の青年R君である。身長180センチ位、筋肉質で髪は五分刈りのきりりとしたハンサム。車はフォルクスワーゲンで彼が最近買ったものだと言う。
「軍隊に3年いて退役した。地雷のことしか習わなかった、と言っていたよ。でも見どころがありそうだったので、就職の世話をしてやった。製薬会社の営業マンをやっている」
 と友人が紹介してくれた。日本にも昔、もう2,30年前だったか、こういう青年が多くいたことを思い出した。工場の工員たちが身分不相応と思われる高級車を買って磨き立て、乗り回していた。
 R君はこういう機会に恩返ししているのだろうか。友人の言葉にはきはき返事して、行動が早い。といっても車のスピードは厳守して姿勢正しく、高速道路を運転していく。友人と故郷が同じなのか、偶然の出会いだったのかは聞かなかったが、余裕のある大人が若者を助ける、昔の日本の有力者と書生のような関係にも見えた。
 二日間付き合ったが、きちっとした態度はずっと崩さなかった。口数は少ないが気配りは常に感じられる。私が車に乗る時は、いつもドアについていて注意していた。老人へのいたわりだろうか、本人はまだ大丈夫のつもりだが。
 無錫の夜は友人のおごりで、食事とマッサージ店にいった。彼はたんたんとして私と同じ待遇を受けている。常に胸を張り、世話になっているという卑屈な感じはない。私は昔の自分を思い出した。こんな体型、こんな気分の時代もあった。
 車の後部座席に座っていて、ふと横に本があるのに気が付いた。取ってみると『百年の孤独』(ガルシア・マルケス)の中国語訳である。驚いた。
「こんな本読んでるの」
「はい」
 ブラジル人のノーベル賞作家。私は定年後に読もうとしたが、すぐに諦めた本である。あまり覚えていないが、主人公の行動は古代から現代まで時代が飛んで錯そうし、哲学的思考が延々と続く。高校出で兵隊帰りの彼に理解できるとは思えないが、何かを分かろうとして努力している。今の日本ではほとんど見かけなくなった青年だ。



無錫市(むしゃく-し、中国語:无锡市、英語:Wuxi)は中華人民共和国江蘇省の南部に位置する地級市
改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。長江デルタに位置し、東の上海からは128km、西の江蘇省省都・南京からは183kmの距離。東隣は蘇州市、西隣は常州市
無錫の市域の北部境界は長江南岸にあたり、無錫市管轄下の港湾都市・江陰市が泰州市を対岸に臨む。南部の境界は太湖北岸だが、市域はさらに太湖をはさんで飛び地となっている宜興市も管轄している。宜興市は北と西を常州市に囲まれ、南は浙江省に接している。  https://ja.wikipedia.org/wiki/無錫市 
ウィキペディアより↑

百年の孤独』(ひゃくねんのこどく、西: Cien Años de Soledad、シエン アニョス デ ソレダッ)は、ガブリエル・ガルシア=マルケス長編小説。初版は1967年に出版された。日本語版は1972年新潮社から刊行された。
ガルシア=マルケスの代表作品で、世界各国でベストセラーになり、ラテンアメリカ文学ブームを巻き起こした。本作を主に、ガルシア=マルケスは1982年ノーベル文学賞を受賞した。2002年ノルウェイブッククラブによって「世界傑作文学100」に選ばれている。
1982年、日本の寺山修司監督によりいったん映画化されたが、原作者と係争となって公開できず、改題(『さらば箱舟』)および原作クレジットの削除などの条件を受諾して2年後に公開された。したがって現在は無関係な作品として扱われるが、ストーリーは共通している
ウィキペディアより↑

↓グーグルマップより 赤い地域が無錫
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次回お楽しみ
8.■先が見えない長橋

聖書の言葉 詩編17:6−8(ダビデの祈 口語訳) 
 17:6 神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます。どうか耳を傾けて、わたしの述べることをお聞きください。
 17:7 寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、

 17:8 ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、

皆様の上に、神様のお守りと祝福をお祈りしています。

6.■若者の街


6.■若者の街
「東京では渋谷が若者の街と言われているけれど、杭州にそんな所はない?」
 友人に聞いてみた。
「渋谷みたいなおしゃれな街はないけど、“ごみの街”といわれる繁華街がある。案内させるよ」
 例によってKさんと一緒にタクシーに乗った。最初に行ったのは友人が講座を持っている医科系の大学。学生は1万5千人というから敷地は広大だった。キャンパスは並木通りや芝生の広場もあって、学生は歩いたり芝生に転がっておしゃべりしている。寄宿舎もあった。これも日本とあまり変わらない。
 歩き回った後、Kさんが入って行ったのは学生食堂だった。そういえばもうお昼だった。最初の建物は混んでいたので別の棟へ。いずれも学校の講堂位の広さはある。列に並んで初めにお盆のように大きな金属のお皿を取った。4つに仕切られていて、その面積はかなり広い。窓口に行くと肉、魚、野菜などの料理がそれぞれ大鍋に湯気を立てている。皿が4分割されているということは、4種類選べるということかと勝手に解釈して指差すと、エプロンのおばさんが杓子で指差した4種類をよそってくれた。かなりのボリュームである。ご飯と汁は別に付く。
料金はKさんが友人のカードで支払ってくれた。
「すごい量だね。これで幾らぐらい」
「日本円で500円ぐらいかな」
テーブルは6人座れる普通の食堂の長テーブルで、学生と並んで食べた。ここでもKさんと日本語でしゃべっていて、珍しげには見られなかった。話しかけられもしなかったが、反日感情などどこの国の話だろうかと思うほど。
【下:旅行中の武藤様、ご本人提供)
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腹ごしらえをしてから“ごみの街”である。
なんでそんな名称がついたのか。街の住民としては嫌だろう。その理由があまりはっきりしない。東京にも昭和時代「夢の島」という所があった。東京湾に都内のごみを埋め立てて造った島だが、そこに土をかぶせて緑化された。やがてそういう“いわれ“を思い出させるような名前も消えてしまった。ここでは何故ゴミのままなのか。
・杭州市でごみ処理場を作ろうとしたが、住民の反対で延び延びになっている
・近所に大学があって貧乏学生が多いので、住みやすく安いものが売られている
そのような漠然とした話を聞いたり後で調べてみたのだが、はっきりとは分からない。
現地に着いた。道路の片側に屋台が延々と並んでいる。500㍍以上はあるだろう。近づいてみると、店は間口も奥行きも2㍍足らず、天井も壁も5センチぐらいの厚さのコンクリートで造られている。
同じ造りの店で売っているのは食べ物ばかりだった。小龍包や餃子などは分かるが、さまざまの麺や万頭や、肉、野菜の炒めもの。店の前の道路には何メートルか置きに粗末な椅子とテーブルが置かれている。
一品の値段はどれもこれも100円から200円とかなり安い。Kさんが小麦粉を練って焼いたもので肉野菜を挟んだのを買ってくれた。美味かったが、食事後すぐでもあって食べきれなかった。聞くと各土地の自慢のB級グルメが集まっているという。立ち食いしても歩きながらでも、テーブルに座ってもいい。何でもありの気楽な街だ。
ところで道路の片側、つまり店の反対側はどうなっているのか。何もない。というのは草ぼうぼうか、荒れ果てた空き家が放置されたまま。やはりごみ処理場など都市計画の途中なのだろうか。私の感覚では、観光名所にしてもいいほど活気のある面白い街だった。
そこからタクシーで10分位、銭塘江の川べりの公園に着いた。高層ビルと河の間に延々と続く緑地帯だ。広い石畳みの道路の50㍍置き位に花畑があって、色とりどりの花を咲かせている。緑の木立、道路、花、その先に川の流れがあって対岸のビル群も新築の美しさがある。
そして極めつけは道路の途中に立っていたお寺のような屋根の建物。もしかしたら、、、と思って近づいたらやはりそうだった。公衆便所である。中に入るとマサに仰天!床も壁も天井も、そしてずらりと並ぶ便器もピッカピカの輝き。世界一美しい公衆便所である。もちろん無料。
放出していると正に深山幽谷に入って、せせらぎの音が聞こえてくる感じ。こんな美しいトイレを私は85歳の今日まで見たことはない。当然、何故だろう、と考えてしまう。なんとなく想像できた。「G20」である。今年の9月、杭州市で開かれて世界の首脳が集まる。おそらくここが彼等の散歩道になるのではないか。
通りから木立に入った所に瀟洒な造りの飯店があった。店の前の木立の陰にはテーブルがあちこちに置かれてカフェになっている。腰かけてコーヒーを注文した。かすかな風の音だけで静寂な森の気配。まるで天国である。“やると思えば どこまでやるさ”中国人の心意気か、それとも見栄か意地か。これも新しい発見であった。




参照




次回お楽しみ
7.■兵役帰りのドライバー


青島 河北路
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聖書の言葉 ミカ書6章
  6:1 あなたがたは/主の言われることを聞き、立ちあがって、もろもろの山の前に訴えをのべ、もろもろの丘にあなたの声を聞かせよ。
 6:2 もろもろの山よ、地の変ることなき基よ、主の言い争いを聞け。主はその民と言い争い、イスラエルと論争されるからである。
 6:3 「わが民よ、わたしはあなたに何をなしたか、何によってあなたを疲れさせたか、わたしに答えよ。
 6:4 わたしはエジプトの国からあなたを導きのぼり、奴隷の家からあなたをあがない出し、モーセ、アロンおよびミリアムをつかわして、あなたに先だたせた。
 6:5 わが民よ、モアブの王バラクがたくらんだ事、ベオルの子バラムが彼に答えた事、シッテムからギルガルに至るまでに/起った事どもを思い起せ。そうすれば、あなたは主の正義のみわざを/知るであろう」。
 6:6 「わたしは何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。燔祭および当歳の子牛をもって/そのみ前に行くべきか。
 6:7 主は数千の雄羊、万流の油を喜ばれるだろうか。わがとがのためにわが長子をささぐべきか。わが魂の罪のためにわが身の子をささぐべきか」。
 6:8 人よ、彼はさきによい事のなんであるかを/あなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。
 6:9 主の声が町にむかって呼ばわる――全き知恵はあなたの名を恐れることである――「部族および町の会衆よ、聞け。
 6:10 わたしは悪人の家にある不義の財宝、のろうべき不正な枡を忘れ得ようか。
 6:11 不正なはかりを用い、偽りのおもしを入れた袋を用いる人を/わたしは罪なしとするだろうか。
 6:12 あなたのうちの富める人は暴虐で満ち、あなたの住民は偽りを言い、その舌は口で欺くことをなす。
 6:13 それゆえ、わたしはあなたを撃ち、あなたをその罪のために滅ぼすことを始めた。
 6:14 あなたは食べても、飽くことがなく、あなたの腹はいつもひもじい。あなたは移しても、救うことができない。あなたが救う者を、わたしはつるぎにわたす。
 6:15 あなたは種をまいても、刈ることがなく、オリブの実を踏んでも、その身に油を塗ることがなく、ぶどうを踏んでも、その酒を飲むことがない。
 6:16 あなたはオムリの定めを守り、アハブの家のすべてのわざをおこない、彼らの計りごとに従って歩んだ。これはわたしがあなたを荒し、その住民を笑い物とするためである。あなたがたは民のはずかしめを負わねばならぬ」。

*もう直ぐ9月ですが、まだ暑い毎日ですね。
 お元気でお過ごしください。
 神様のお守りをお祈りしています。
 



5.■学生達とカラオケに
この夜は友人の教授の教え子たちと夕食を取って、その流れでカラオケに行くことになった。8階建てのビルの4階以上が全てカラオケホールだ。廊下とエントランスは大理石に金ぴかの壁の装飾、大きな金縁の鏡。
部屋に入ると大学の階段教室のような造りだった。テーブルにはビールやコーラの瓶、それに西瓜などの果物が並んでいる。1700円位であとは飲み食いした分が料金だそうだ。たちまち大轟音が響きわたり、学生が歌い始めた。中国の流行歌はかなり日本の演歌に似ている。
歌っている間に、他の学生がニコニコしてコップを持ち、乾杯しに来てくれる。反日感情などかけらも感じられない。ここはどこだろう?と考えてしまう。 (↓ 中国旅行中の武藤様 ご本人提供)
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そういえば、助手のKさんに私の息子一家の写真を見せた時である。
「あ、安倍さんに似てる」と笑っていた。安倍首相の顔を知っているのは驚くほどのことではないかもしれない。しかし彼女の声と笑顔には、憎しみなど全く感じられない。映画俳優の誰れ彼れと似ているというような感じ。その後タクシーに乗った時、Kさんは運転手にも話した。
「この人は日本の首相の安倍さんのお父さんよ。どう?似てるでしょう」
 運転手は私の顔をしばらく眺めて言った。
「ふーん。その割には若いなぁ」
 運転手が安倍さんの顔を知っていたかどうかは分からない。しかし、そんな話題を出しても、普通の中国人には特別な反応はない。Kさんもそれを知っているから、“親子の秘密”を平気で笑いのタネに出来るのである。
カラオケ音はますます大きくなり、持っているコップが音響で震えるほど。
その時の大音響の主は友人だった。“襟裳の春は何もない春です”と日本語で森信一並みの感情がこもっている。昔の曲もある。私も付き合いたくなって、コンピューターの目次画面を探した。手こずっていると横から学生がすぐ手伝つだって「蘇州夜曲」を探し出してくれた。
画面の日本語の歌詞を見ながらいい気持になって歌ったが、誰もあまり聞いていないのは日本と同じだった。

次回お楽しみ
  6.■若者の街



  李香蘭(山口淑子)の歌唱を前提に作られ、李香蘭主演の映画「支那の 夜」(1940年(昭和15年)6月公開)の劇中歌として発表された。同年8月、渡辺はま子霧島昇歌唱でコロムビアからレコードが発売された。

1953年(昭和28年)には、山口淑子歌唱のレコードが、自身主演の映画『抱擁』の主題歌として発売された。



聖書の言葉:詩編16章(口語訳聖書)
 ダビデのミクタムの歌*
 16:1 神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼みます。
 16:2 わたしは主に言う、「あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はない」と。
 16:3 地にある聖徒は、すべてわたしの喜ぶすぐれた人々である。
 16:4 おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。
 16:5 主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。
 16:6 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。
 16:7 わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。
 16:8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
 16:9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。
 16:10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
 16:11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。
*ミクタムは音楽用語か、詳細は不詳?
「ダビデのミクタム」とは「ダビデの珠玉の歌の中から」、あるいは「ダビデの 
  最高に美しい詩の中から」とも解することができます。(牧師の書斎より抜粋)

◎まだまだ暑い毎日が続いていますね。お大事にお過ごしください
 米国より、お祈りしています。


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