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Q.
相談ではありませんが、難聴者としての経験を知ってほしいのでよろしくお願いします。私は難聴女性で、ずっと読話と補聴器を頼りにしています。両親は、難聴の私が聞こえる世界に生きることが大事だと信じていました。子供の頃、一般の学校に通い、ろう学校のことは知りませんでした。しかし、周囲から孤立され、とても楽しい学校生活ではありませんでした。振り返ってみると、私はまるで霧の中を生きていたようなものでした。何人か友達がいましたが、親友というほどでもなく、友達との会話で何を話しているかあまりよくわからなかったため、的外れな返事をしていたと思います。辛い気持ちもあったのですが、それを表にだしませんでした。
将来のことを考えて自分で決めました。聞こえる人に囲まれて暮らそうと思ったものの、うまくいきませんでした。ろう者の世界は狭いと言われています。でも、私にとっては広いと思っています。まさに広い世界を泳いでいる大きな魚のような気持ちで、気に入っています。聞こえる人が私のことをごまかして生きていると言うかもしれません。でも、やっと本当の自分になれたのです。つまり、私はもう聞こえる人のふりをしなくていいということです。聞こえる人のまねをする必要はありません。
私は難聴ですが、ろう者の世界を受け入れて精神的に安定しています。
ーーーろう者の世界に生きる難聴女性
A.
難聴者がろう者よりも聞こえる人に近いと考えている人が大勢です。すぐれた性能をもつ補聴器を使うほど聴力損失が軽い程度の人たちは聞こえる人とはあまり変わりません。重度の聴力損失をもっている子供や大人たちもいて、補聴器などを使っても話し言葉を理解することができません。そのため、音声が十分に聞こえず、会話から取り残されている経験をしているのは、ろう者と同じです。
また補聴器などを使って聞こえを頼っている人たちは「聴力障害」「聴覚障害」というような言葉を使いたくないということもあります。これらの言葉よりも「難聴」という言葉が好まれています。しかし、補聴器や人工内耳を使っても本当に聞こえるというわけではないのです。
難聴であったため、周囲の音がよく聞き取れず、聞こえる世界に溶けこむことができなかったとのこと、日常生活のなかでは、毎日聞こえる人に囲まれて暮らしていながら、孤立されるという苦痛を取り除くことで頑張ってきたと思います。それを生き通して耐えたあと、やっと適切に適応したのではないでしょうか。あなたの経験をお伺いして、難聴の子供にとっての幸せとはなにか、と深刻に考えなければならないと思います。
ろう者の世界を選んだことにより、自分の気持ちを欺かずにすんだということはたいへん嬉しいことです。大人になるために健全な決断をしたと思います。あなたと同様の経験を通してきた難聴者は一般の社会の中で不満をもちながら生きていることが多いです。その人たちは、ろう者の世界が狭いだけでなく、多くの場合、聞こえる世界より劣っていると洗脳されています。
ろう者、または難聴者が聞こえる世界だけで生活を楽しんでいるのであれば、それはすばらしいことです。ただ、不満をもちながら不幸せな気持ちで聞こえる世界に生きるのは悲しいことです。気持ちをごまかして生きることももっと悲しい。
最近は、ろう者の世界に興味を感じている難聴者もいるようです。意欲的に手話を覚えようとする難聴者もいます。ろう者も難聴者を受け入れて仲良く助け合っていきたいものです。
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