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「パーティーは、予定通り開いて下さい。私は大丈夫です。陛下…」
「そうか…、では翊衛士を大幅に増員させるよう調整しよう」
国家が動き、懸命に捜査に当たっているが、シンを襲った主犯格は未だ検挙されないまま、皇室に反感を持つトラップを仕掛けた相手が、この状況をほくそ笑んでいるに違いない。
敵の思う壷にならぬよう、毅然とした対処をすべきだとの判断で、数日後に控えていた立憲君主国の大使等を招いての事実上、皇太子夫妻のお披露目に当たるパーティーを、厳重な警備の元、予定通り催す事になった。
犯人の特定も気がかりだったが、傷心のチェギョンにとってはその日に向けてダンスやマナーの特訓等、あらゆる面で憂鬱で気が重い日々の連続だった。
◇◇◇
パーティー当日。
シンは眼前に現れたチェギョンのその眩いばかりの輝きに、ゴクリと息を呑んだ。
「……!」
冴えない筈の自分の妻の、花開くような可憐なその美しさに不覚にも見とれてしまう。
緩くアップされた艶やかな黒髪には代々受け継がれるティアラが頭上で煌めき、襟元まで詰まった清楚で可愛らしいベビーブルーのプリンセスラインを描く禁欲的なドレスが、より一層男の妄想を掻立てる。
彼だけが知るその中身の全てを…
如何かしていると咳払いをして、善からぬ思考にストップをかけ意地悪く「馬子にも衣装」と呟き、
彼女を怒らせたのは云うまでも無い。
「皇太子殿下、妃殿下には、ご機嫌麗しく…」
美辞麗句を並べ立てるゲストに、ガチガチのぎこちない笑顔を見せるチェギョン。
不慣れながら、持ち前の明るさでなんとかこなしているように見えるが、時折周囲に怯え心許なさそうな表情で傍に寄り添って来る様を、シンは敏感に察知していた。
まるで小動物のような眼差しを向ける幼気な妻。
彼女が縋るのは夫である自分しか居ないのだと、彼は屈折した高揚感に包まれ、傍にそんな彼女があることがまんざらでもなく、むしろ殊の外気分が良かった。
シンは妻をスマートにエスコートし、各国大使や政府要人への挨拶を滞り無く終える。
「はふぅー。殿下、ちょっと化粧直しに…」
「ああ、分かった妃宮」
緊張の糸が切れ、ゲンナリして席を外すチェギョンの後姿を、
彼は人知れず柔らかな眼差しで見送った。
「遅いな…」
──あいつ、何処に行った?
中座したチェギョンがいつまで経っても戻って来ない。
一抹の不安を覚えたシンは、先程から雑踏の中へ視線を彷徨わせその姿を追っていた。
「チェギョン!どうしたのこんな処で?」
「あ、ユル君!…じゃなくて義誠君殿下。へへっちょっとねー、人当たり?
コッソリ休憩をばっ」
微笑み合い、ひっそりとパビリオンの片隅に設置された、従兄弟の妻の座るソファに躊躇もせず、
ユルは並んで腰掛ける。
「ハハッ無理も無い…お疲れさま!じゃあ、はい。これ!」
「うわぁー♪美味しそう♪お腹ペコペコだったのー!」
「疲れた時は、甘いモノが一番さ」
「でも、いいのかな?主役が食べたりして…」
「此処なら眼につかないよ。僕が壁になってあげるから、コッソリお食べ」
「そう?んじゃ、お言葉に甘えてお1ついただきまーす♪」
ユルの背に隠れるように、チェギョンは小皿の上のプチベリータルトをパクッと頬張った。
甘酸っぱいベリーの風味が口内にふわっと広がる。
美味しさの余り脚をバタつかせ身悶える彼女を眺め、クスクス笑うユルの瞳が光る。
──本来キミは僕の許嫁。その笑顔も僕のモノだった筈…望んじゃ駄目?
「ん〜!おいひ〜♪」
「あ、動かないで!」
「ふぇ?」
言われた通り素直に身動きを止めると、ユルの綺麗な顔が至近距離まで迫って来る。
「わわっ、ちょっ!」
驚いてギュッと眼を瞑り身を強張らせると、
フワリと口許に冷たい指先が触れて耳に柔らかな声が響く。
「よし取れた。ほら、ソースが付いてたのさ」
「うひゃッごめん!あ、ありがと…」
慌てて口許をナプキンで拭いながらチラッとユルを見上げると、
さも嬉しそうに親指の赤いソースをペロリと舐め取っていた。
──へ?!今、なっ舐めた?!
「…ん。本当だ、美味しいね!」
「あ、うっ…その…」
その仕草に思わず固まり、あわあわと視線を彷徨わせていると、
物凄い勢いで、グイッと左手首を誰かに掴まれた。
「おい!こんな処で何をしている?」
「あ、シンく‥殿下!」
怒気を孕んだ低い声に、チェギョンはビクッと背筋を凍らせた。
この状況を何と説明しようか考え倦ねていると、その隣でユルは悠然とシンに手を挙げ、ニッコリ微笑む。
「やぁ、シン。何って、見て分からない?お疲れの妃宮様にスイーツをサービスだよ」
「…ユル、お前っ!」
今にも胸倉を掴み掛かりそうな勢いのシンの形相に、柔和な微笑みを見せるユルの瞳の奥は笑っていない。眼と眼だけで火花を散らし、シンは苦虫を噛むようなしかめっ面で深呼吸すると、ふいっと
チェギョンに向き直って掴んだ手首を一旦放し、スッと右腕を差し伸べ紳士的なお辞儀をしてみせた。
それを合図に室内の照明がふと落ちて、スポットライトが3人の囲むソファを照らす。
「え?あ、あのっ」
「いいから、早く来い」
「ヤ、ヤダッ!」
「早く出ろっ!」
固唾を呑んでその様子を見守っている場内の注目を一身に浴び、般若のような恐ろしい笑顔でダンスに誘うシンの様子に逃げ場が無いと悟ったチェギョンは、半泣きで嫌々差し出されたその手を取った。
拍手と歓声が上がる中、フロア中央に向かいながら、シンは彼女を見ずにボソリと囁く。
「少しは踊れるんだろう?チェ尚宮から報告を受けているぞ。お手並み拝見と行こうか」
「うぅっ意地悪ー!」
「おい、いつもの威勢はどうした。怖じ気づいたか?シン・チェギョン?」
「べっ別にぃ〜!望むところよ!私の華麗な舞に度肝抜くわよ!」
「フッ、その意気だ。俺の足踏むなよ?」
「わ、わかってるわよ!」
シンが手を挙げると同時に、ノスタルジックなタンゴのメロディが奏でられる。
表情を一変させグイッと強引なホールドを組むと、彼は力強いリードでチェギョンを振り回すように華麗なステップを踏み、情熱的なリズムに合わせてスタッカートを刻む。
あの夜以来、手を触れる事さえ無かった二人。
肢体を密着させ刻む官能的なステップは、あの夜を彷彿とさせて二人の呼吸を早くする。
間近で感じるその息遣いに、互いの秘めたる夜の顔が幾度も脳裏に瞬いて、ドクドクと胸は高鳴り、
躰は火照り妙な気分が湧き上がって来る。
カァッ‥と羞恥を覚え、心の奥に潜む疾しさを知られたく無いのに。
射抜くような切れ長の漆黒の双眸に捕らえられ、チェギョンは眼を反らす事が出来ない。
──なんで?どうして? 最低なヤツで大っ嫌いな筈なのに…この手を離せないの?
強引。なのに、パズルのピースがピッタリ嵌ったみたいに踊りやすくて…
悔しいけど、皇太子はダンスも完璧なんだね。こんな上手だってことは物凄ーく慣れてるんだ。
ね…あのヒトとも、こんな風にたくさん踊ったの?
今、その瞳に映るのは私? それとも別のヒト?
済州島での睦まじい二人の笑顔がチラついて、一瞬で心が曇る。
曲が終盤へと盛り上がる中、いつの間にかするりとシンの手を離し、動きが止まってしまった。
「?!」
その異変に咄嗟にシンが機転を効かし、彼女の手を引っ張り、よろける反動を活かしてくるりと
1ターンさせ腕の中に引き寄せる。
「おい!」
耳元で呼び掛けるシンの声にハッとして、チェギョンはなんとか気を取り直し、フィニッシュのポーズを決めた。初々しくも情熱的なダンスを披露した若く美しい皇太子夫妻へ、割れんばかりの拍手喝采が場内を包み込む。
大失敗を免れ、微かに震える指先を包むように繋がれたシンの掌のぬくもりが温かくて、チェギョンの胸の奥はキュンと疼いた。
「ったく、冷や冷やさせやがって」
「デへッ」
「でも、まぁ…」
「おっほぉー? へっへーん、どーよ!」
「調子に乗るな!馬鹿!」
苦笑してバンと背中を叩いて移動するシンの手が離れ行く様が、スローモーションのように眼に留る。
──あの手は、私のモノじゃない。いつか手放さなきゃいけないんだよね?
ズキンと痛む胸元で、手に残るぬくもりを確かめるように両手を合わせながら、切な気にシンの背中を見つめる。トクトクと高鳴る胸の音に本音を見た気がして、チェギョンは益々混乱した。
ヒュルルル… ドドーーン パラパラパラ…
パーティーのフィナーレを彩る花火の音に誘われて、歓声を上げる雑踏に紛れ、チェギョンは物思いに耽りながら、ぼんやりとテラスへ向かう。
夜空に咲く幾つもの大輪の炎の華は、一瞬、眼が眩む程煌めき、瞬く間に煙に変わる。
だからこそ、儚く美しい。
「わぁ、キレイ…!」
──踊ってる間は、私だけがその瞳に映ったかもしれない。
でも、この花火みたいにそれは一瞬の夢かも?
人の心は移ろい易いもの。期待しちゃダメ。
でも、それでも…あんなズルいサイテー野郎なのに、大嫌いになりたいのに…
どうしよー、これってやっぱり…私…
否定する様にプルプルと頭を振って、妙にひんやりする足元に視線を落とすと、片足が素足だった。
ぼんやりしている間に何処かで靴が脱げてしまったことに、しまった!と慌てふためく。
「…あわわっ、靴がっ!」
最後の最後に粗相をしてしまい、オロオロと周囲を探す彼女から、少し離れた場所にパンプスは転がっていた。
それに気が付き、どうしようと思案する中、見覚えのある大きな手が、ひょいっと靴を拾い上げた。
「あっ」
パンプスを手に、おとぎ話の王子様宜しく腰を屈めゆっくりと近付き、
そっと彼女の前に跪く彼は、紛れもない本物の皇子様のシンだった。
やさしい手つきでパンプスを御手ずから履かせる。
細い足首に触れた瞬間、シンはゾクッと身震いした。
──触れてはならないと解っていた。
再び触れれば、如何にかなってしまいそうだと、本能的に俺は危惧していた筈。だのに…
触れたシンの掌の温度が火柱のように熱くて、チェギョンの胸はドクンと音を立てる。
──ぁ、ヤダッまたその瞳。ズルイ、よ…
爪先のリボンの形をそっと整えて優雅に顔を上げたシンの眼差しは、あの夜と同じようにやさしい色を
していて、彼女の心を激しく揺さぶった。
──ったく、お転婆め。
そういえば…最近あの声聴こえないな?何時からだ?
おいおい、待てよ!イ・シン。お前、そんなにこいつのことばかり考えてるのか?
違う!そんな筈ない…如何かしている。
じゃあこの胸に渦巻く言葉では表現出来ない感情は何だ?
触れた瞬間に湧き上がる衝動と甘い疼き。腕の中に誂えたように馴染む体温。
ユルが傍に居るだけで苛立ち、独占欲剥き出しの怒りが爆発する。
こいつの笑顔も、触れて良いのも俺だけだ!
なぁ、如何でもいい筈なのに、何故こんなに気になって仕方ないんだ?
──ねぇ、これってもしかして…
──おい、これってまさか…
『…Perhaps Love?』
微笑ましい光景に拍手が上がる中、加速度を上げる二人の高鳴る鼓動のように劈く爆音が空に木霊す。
今夜最大級の花火が、次々と一斉に上がり幾つも華開いて行く。
夜空に舞い降る七色に煌めく華を背に、
シンとチェギョンは、揺れる瞳を大きく見開いたまま、時が止まったように見つめ合った。
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