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少年がいじめで自殺しました。
昔、うーん、四、五十年前と、いじめの質が違うでしょうが、いじめで自殺はあまり聞かなかったように思いますが、どうなんでしょうか。
いずれにしても今日的な異常な出来事です。
いじめ自殺が起きて、学校で全校生徒を前にして先生が一列に並んで生徒に謝る。
これも、前後の事情はともかくとして、なんとも「異常」な光景。
「謝る」ことによって、なにかが良い方向に進むというよりは、「進まない」のではないか、とも思えます。先生が謝るから何かを失うこともあります。交通事故と一緒で、過失は一方だけのものなのでしょうか。先生とは弱い商売になったものです。この「弱さ」に本質的な今日的問題があるようにも思えます。
授業で先生が生徒を前にして敬語で話しをする。
先生は、萎縮しているのか、なんで敬語なの?
いじめで息子を失った親の気持ちは、よくわかります。何処へ持って行っていいのかわからない憤り。
わたしならもっと気が狂うでしょうね。
しかし、ことの本質、いじめがなぜ起こっているのか、・・・むずかしい問題です。
保身、世渡りなどは、先生の敬語やいじめなしの環境ではぐくまれるものではないです。
なにか教育現場の萎縮というか、強さというか、なにかその辺のことがかけているんじやないでしょうか。もちろん常識はずれの教員が許せませんが、なぜそんな教員がはびこっているのか。
先生も一部の生徒もみんなおかしくなってしまった。
良い先生も受難の時代。ちょっと頭をつついたら、子どもが親に言いつけて、その先生は問責される。
子どものほうが、脅しのカードを握って居るんですよね。
学校の先生なんてやってらよれない、といつもぼやいている友人が居ます。
マスコミも一方的な報道でセンセーショナルに先生を叩きますからねぇ。
北朝鮮の食うに困った、そこら中でこづかれ疎んじられている、そしてもちろん学校にも行けない垢で真っ黒になった子ども達を見ていると、それでも弱くないんですよね、そういうテレビ映像を見ているとまだしも日本の五、六十年前に近いとも思えます。
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いじめは、むかしもありました。よくいじめた記憶があります。よくないことだったと反省しています。 でも、今のようないじめの展開はなかったように思います。 このごろの異常な少年犯罪、殺傷事件の増加となにか根底で関係があるんじゃないですか
2006/10/17(火) 午前 10:48 [ stock ]