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写真上から
トラムに乗ろうとする筆者
プラハ旧市街を望む
聖ヴィート大聖堂の尖塔
聖ヴィート大聖堂の壁の聖者物語
街路灯の下で夕焼けのプラハの町を望む筆者
鉛色の空の下、荘厳なゴシック建築の教会の塔が、天に向かって寒々とそびえています。
チェコの秋はとても短くあっという間に冬です。
中世を最も色濃く残す町プラハは、何度も訪れたい町です。
キリスト教の聖者にまつわる数々の伝説や聖像と重厚な中世の建物が凝縮された町です。
日本にない町並みと風景にはどうしても感傷的になりがちですが、キリスト教徒でないものにとって
は感傷の域をでることはできません。でも、それにしても確かに美しい町です。
プラハ城内のプラハを代表する聖ヴィート大聖堂を見上げながら思わざるをえません。その高度な建築
技術に感嘆するとともにキリスト教というものの「力」のすごさを。
今の日本人は、「愛」という言葉をいろんな意味で使うようになりました。愛という言葉は、明治
時代以前ではそんなに頻繁に使用されることはなく、ましてや今のような多様な意味を持って
いませんでした。
西洋では古来、愛は恋愛を意味するような愛をエロス、そして宗教的な愛をアガペーと
区別して考えられてきました。
日本でも、仏教ではエロスに相当する言葉にカーマがあります。これは性愛を意味することがあり
ますが、愛欲、欲望、欲求など欲一般を意味します。
そんな欲の利害を超える宗教的な愛を仏教では「慈悲」といわれます。
愛には、男女の性愛に代表するような愛と、それらを超えたところの宗教的な愛があると言うことで
す。仏教では、愛と言うときそれは執着の意味合いで使われていました。
愛と慈悲とは全く違います。
愛は、愛憎という言葉のように、時として憎しみを伴います。愛は独占性がありますから、その
反動として憎悪を内蔵しています。男女の場合などまさにそのことが裏腹です。激しい対立と
憎しみをもたらします。ですから愛という言葉を不用意には使えません。
しかし、慈悲はそんな対立の愛を超えて、人を懲らしめたり憎むということがありません。
愛は、無常ということです。とはいうものの愛はそれ自体自然で美しくもありますが、その上に慈悲の
域を目指した愛であることが望ましいのです。愛の上の慈悲の境地に感傷的でない本当の愛があります。
キリスト教は愛の宗教といわれますが、それは神の愛の宗教ということです。与えられる愛です。
信ずる者は救われる。つまり信じない者は救われない。神の愛は信じない者には及びません。
むしろ、異端者として改宗を迫られたり、罰しようとする傾向があります。中世では異端者は
火あぶりの刑です。愛は愛憎です。
仏教は、慈悲ですから憎むということがありませんのでそんな追求はありません。
一神教といわれるキリスト教やイスラム教、ユダヤ教などが主観と客観の区別をはっきりさせて、
相手を改宗させようとやっつけるという武闘的な傾向は十字軍以来今日もあまりかわっていない
ようです。そして、キリスト教は、神の愛は人間以外には及びません。仏教は草木国土悉皆成仏
といいますか、草木や山川や石や動物、何にでも慈悲が及びます。
ですからキリスト教は本来は自然破壊に無頓着なのです。戦争をすることは厭いません。
中世のヨーロッパの古い街々を歩いていますと、どんな小さな町にも天に突き刺すような塔を
もった立派な教会が必ずあります。日本人から見れば、いたるところ教会だらけです。
キリスト教の持つ「力」と原始キリスト教の精神から、中世以後社会機構そのものと変貌したキリスト
教の本質について日本人は今少し知っていく必要がありそうです。アメリカに付き従うのは敗戦国として
致し方ないのかもしれません。しかし両国の思想は全く違った歴史と文化の上にあります。
だからといって、日本は仏教的慈悲の精神ですから、「憎む」という伝統がないのですから問題
ありません。むしろアメリカが、キリスト教が内蔵している異端者として懲らしめようとする文化だけを
突出的に持っていることに配慮が必要かもしれません。アメリカはヨーロッパと違って「歴史」がない分
だけよけいに科学の力に頼っているのですから。ただ仏教とて、どちらかといえば現実否定的で「力」と
いうことにおいては全くと言っていいほど期待などできる状態ではありません。特に大方の日本人は無宗
教という浮き草の国ですから「力」においてはなにもないのが現状なのでしょう。
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プラハに行ったときは昼間の町しか見ていないので分からなかったのですが、夕陽の中に見える町は素敵ですね。
多分、今年、最後の記事だと思いますので、良い年をお迎えくださいね。新しい年も宜しくお願いします。
2007/12/31(月) 午前 5:01
大晦日にとても素敵な随筆に出会い嬉しいです。
愛のうち私は「出会い」の愛を大切にしています♪
良いお年をお迎えください(^^♪
2007/12/31(月) 午前 11:33 [ - ]
キリスト教の建造物が天に向かって伸びているように、キリスト教は天国志向なのに対して、仏教は「山川草木悉皆成仏」の言葉もあるように大地に根ざしていると言えますね。多様な価値観を認める発想は、曼荼羅にも見られると思います。
2007/12/31(月) 午後 1:16 [ bodai_ju ]
どうして日本人から見ると、アメリカンはそのように見えるのでしょうね、、、
何か悲しい、アメリカは確かに世界でも大きな力をもった国、それだけで、このような評価を受けるのってちょっと心外です。
普通のアメリカンは家庭を大切にする平和な国民、確かに国としては少々成熟していなう分、洗練されてい兄からがさつに見えるかもしれないけれど。
日本だって、どさくさにまぎれてうやむやにしようとしていますが、戦時中にはずいぶんな事をしてきたと思いますが。
明けましておめでとうございます♪
昨年は、いろいろとお世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願い致します。
おっちょこちょいで、口の悪い私ですが、女は愛嬌、これからもがんばりますので、応援して下さい。
それでは、素敵なお正月を。
サンディ
2008/1/1(火) 午前 3:29
明けましてお目でとう御座います。
本年も楽しい交流をお願いします^・^
2008/1/1(火) 午前 9:18 [ - ]
Miyokoさん、今年もよろしくおねがいします(^-^)ネ!
2008/1/2(水) 午前 9:55
amannda3さん、今年の正月は雪がたいへんなんじゃないですか
2008/1/2(水) 午前 9:55
mamiさん、そうですね、人は誰でも心の底では人を愛しているんですよね、いいことおっしゃいます
2008/1/2(水) 午前 9:57
seattleさん、昔のアメリカはロマンに溢れていたですが、今のアメリカはちょっと行きすぎた民主主義と強引さが目立つような気がします。ブッシュさんがおかしいんでしょうか
2008/1/2(水) 午前 10:00
確かに、彼はおかしいですね、、、
それは認めます。
でも、普通のアメリカンは、陽気で家庭を大事にする素敵な人々なんですが、、、
2008/1/3(木) 午前 3:48