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写真上から 重い雲の下、ドナウ川
ロフスガッセ駅(Rochusgasse)
ヴィトゲンシュタイン・ハウス
表札
ウィーンの晩秋、どんよりとした日が続いています。
寒々としたドナウの河畔に人の気配は全くありませんでした。
無意味な彷徨にも飽きて、そろそろメランジェのぬくもりが恋しくなりました。
アテもなく歩いていると、それまで頭の中はとりとめなく混沌としていましたが、
そのうちに一つのことを考えるようになっていました。
「言葉について」です。
これまでの人生、いかにあやふやで意味不明な言葉を使ってきたことか、そしてそれに
よってどれだけの人たちを翻弄してきたか、自嘲の舌打ちをしてしまいました。
ちっとも誠実でなかった。なにも分かっていなかった。もっと早く気がつくべきだった。
なんという時間の無駄をしてしまったのか。
ドナウの鉛色の流れにすべてを巻き込んで流してほしいと思いました。
つまり、アリストテレスの論理学的に言うと次のようなことです。
1.犬は動物である
2.犬は動物でない。
3.1は正しくて2は間違い
4.動物は生き物である
5.だから犬は生き物である。
高校生の時に習った三段論法です。
一見、実に正確で、まさに「論理的」です。
でも、それでいいんでしょうか。
アリストテレスは、そもそも「犬」という名詞を概念を表すものと考えました。
名詞(ものの名前)は、つまり「犬」は概念として「犬」なので、本当は犬とはいっても
色も違えば大きさも違います。私たちだって、「おまえは人間だ」という大きな括り
で言われると、そりゃあそうだが、なにか個性を無視されたようであまり気分はよろしく
ありません。
犬やヒバリやラーメンや山や川、みんな名詞は混沌として個別のものを一つ集まりと
しています。よく言えば秩序をつくっているとも言えます。
ですから、言葉は概念です。メタファーなのです。じつは、あやふやです。
メタファー以前、メタファーもわいていない言葉、よく分かってもいない言葉、難しそう
な言葉を、雰囲気だけの言葉を、さも当たり前のように、分かった風に語ることは実に無
意味です。これは、罪作りになるかもしれません。
ドナウの畔でそんなことを考え始めると、思わず大きな声を出して頭を振り払いまし
た。過去の自分の言葉への懺悔、後悔がほとばしり出てしまったのです。
ついでながら数について。
言葉が指し示すもの、犬なら犬で何匹もいます。
何匹もいると言うことは、それらを、1,2,3・・・と数えます。
ここに「数」が生まれます。言葉と数は密接な関係があります。
人間は言葉を持っていますし、数えることができます。
しかし、動物は数えるという能力は在りません。ですから、「言葉」は持っていないと
思われます。
でも、犬が遠吠えをして仲間に何かを知らせるというのは言葉じゃないのでしょうか
という疑問がわきますが、「数」つまり数学的思考のない「犬」に「言葉」はないと
いうことです。
論理学と数学について、密接な関係があることがわかります。
こんなことから言語について考え続けたひとがヴィトゲンシュタインです。
いつしか、私は地下鉄U3に乗ってロフスガッセ駅(Rochusgasse)(写真)に降り立っ
ていました。その駅近くの住宅街の一角にヴィトゲンシュタインの家(写真)があるので
す。
枯れ葉舞う、静かなところにひっそりと建っています。
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ヨーロッパの初冬、厚い雲の下に佇むと、自分のこと、いろんなこと、深く重く考えてしまったりしますね。未来も雲に閉ざされているようで。日本に戻ったら、秋も冬も明るい気持ちでいるようになった気がします。
2009/11/12(木) 午後 5:28
何だかパリの天気と同じですね。
どんよりとした鉛色の低い空、ヨーロッパの空はkのようなものなんですね。
改めてパリだけがこのような空かと思っていましたよ。
犬はウイーンに居ましたか。
イヌを数えるよりも、自分の安住の地を探すほうが先だと思いますが、
時間を無駄にしないためにも.....
2009/11/13(金) 午前 6:07
速く落ち着けるように、ボッチ!
2009/11/13(金) 午前 6:07
masumieさん、気候に恵まれているのとそうでないのとでは、人々の感性に大きな影響があるようです。今日聞いてきた話。北海道では、冬は雪に閉ざされ、いつでも土を掘り返し作物や花が身近にある土地と、半年ぶりにしか花や土が見えないのとでは、春が来たときの喜びはひとしおだそうです。ヨーロッパの人が太陽を大切に思っているのがよく理解できます。
2009/11/13(金) 午後 5:18
Miyokoさん、なかなか落ち着けませんね(笑)一生勉強です。
2009/11/13(金) 午後 5:19