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ふと思うことがあります。
自分はどのようにして死ぬのか。
死ぬときの姿はどんなのだろうか。
病院のベッドで、家族の顔を見ながら死んでいくのか。
何かの事故で、あっという間に死んでしまうのだろうか。
意識はあるのに、見かけは植物人間で毎日涙を流すのか。
つきなみに弱っていって、何かの病気とともにあれよあれよといってるうちに死ぬのか。
いずれにしても、生と死の境目に臨んで、生と死の境目に居るんだと認識できる状態ってどんなだろう。どんな風にして息を引き取るんだろう。その時は、涙がでるんだろうか。
それって、どんなんだろう?
そして死後のこと、これまで築き上げた自分ワールド、はどうなっちゃうんだろうか。
それなりに偏ったかなりの蔵書。それなりにこだわった世界の写真集、それなりに苦労した「僕の人生」というもの。もちろん、すぐにみんなに忘れられてしまうようなものだが。
フェズの町の迷路にウロウロしながら、人生の迷路から抜け出る時のことを考えてしまいました。考えてみれば迷路にいるときがイチバン幸せなのかもしれない。
たとえ貧しくとも、少々手足が不自由でも、迷路にいると、取りあえず目先のことは忘れられる。このままずっと迷路にいる保証があるのなら最高だけど、これは迷路に紛れているだけだと思い知らされるときが来る。それが「死」だ。
迷路の中の日常の不満なんて、迷路の外があることを思えばたいしたことはありません。
だから、迷路の中と外を超越した境地に幻想を抱き続けているのです。
死んだらおしまいだ。
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モロッコ
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確かに死んだらお終いなんでしょうね・・・
あんな人だったね、こんなこと言ってたねと思い出の中の人になっちゃうんでしょうね・・・
今不満だらけなのは幸せな事なのでしょうか(#^.^#)
迷路の街・・・私は恐らく同じ場所に二度と帰れないと思います(笑)
すっごい方向音痴ですからね(^○^)
2012/8/19(日) 午後 10:40 [ ふーちゃん ]
死んだらおしまい
なのに だから
死 のこと、死ぬこと
を思ってしまいます。
死んでしまった人々のことも
思います。。。
でも思うということは
思うチカラがあるから
なのだと思ったら
生まれたこと
生きて来たこと
生きてること
迷っても 向かうところに
向かっているんだなぁと
もしかしたら
遅いか 早いか
ぐらいの違いかもしれないなぁ
なんて
降るように鳴き騒ぐ蝉の声を
全身に浴びながら
考えておりました。。。
お元気ですか??
2012/8/20(月) 午前 2:19
ふーちゃん、人は皆日常の喧噪の中に、無意識的か意識的かわかりませんが、埋没しようとしているのかもしれません。それは、なにかのときにふと思う「死」について不安だからだし、わからないことだからかもしれません。
2012/8/20(月) 午前 8:01
secbonbonさん、ひさしぶりですねぇ。
あと何年生きるのかと考えたとき、それがそれほど長くないなと思ったとき、さぁーて自分ははどんな風に死んでいくんだろうかと考え込むときがあります。考えたって仕方ないのにね。
2012/8/20(月) 午前 8:04
ジョゼフィーヌさん、御無沙汰。九月末から、ミュンヘンへの航空券予約しました。久しぶりのオクトバーフェストに行こうとおもいたちました。また、シトットガルトのブンデスリーガの席も予約しました。ビールとソーセージを腹いっぱい食べてケセラセラ(笑)
2012/8/20(月) 午後 5:39
mamiさん、わたしは想い出が怖いのです。過去を想い出すことは、それによってはフラッシュバックのように、パニックになるのです。
2012/8/20(月) 午後 9:20