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ポンソビー通りを右に曲がろうとしたら、ビールの看板が見えた。
レトロなその建物の雰囲気に引き込まれてドアを押した。
注文を聞きに来た女性が日本語を吐いた。
「日本人の方でいらっしゃいますか」
丁寧な日本語に、なんとも懐かしい気持ちになった。
中心部から離れたこんなところで日本人。
日本人と言うだけで信じられる何かがある。
これは何だろうか?
 
昨日、迷い子預かり所でいまにも泣き出しそうな子供。
四、五歳くらいだろうか?
不安一杯の真剣なその表情、こちらまで涙目になりそう。
そこに母親が現れた。
子供は脱兎のごとく走り出し、母親の手の中にジャンプ。
そして小さなこぶしで母親を叩きながら号泣。
この世の中で母親が一番信頼できる。
純粋で疑い様がない。
信じ切っている。
  
大人は、信じるということを信じない。
認識することは、妥当を求め常識に行き当たる。
それは信じることの放棄である。
むかし、祖母は朝夕の祈りを欠かさなかった。
それを見ていて、なんとも迷信的におもったが、その祖母の言葉が今ごろよみがえる。
「念仏を唱えていれば、あの世が信じられるようになる」
信じられるものがあるということはいいことだ。

フッサールがいった。
認識はどのようにして自己を超えて、その客観に確実に的中しうるのであろうか?「現象学の理念」
それはそうなのだが、その結果、人間はみんな独我論に陥りやすい。
信じることは独我ではない。

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