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 ワルザザートの西方33Kmに「アイト・ベン・ハッドゥ」というカスバの村

があります。「カスバ」とは日干し煉瓦で造られた要塞化された古い村のことです。

 このカスバは今は観光化されていて、現実に住んでいるのは5家族ほどで、

麓にあたらしい集落ができています。現代では、なにもそんな山の上に暮らす必要はあり

ません。

 「カスバの女」に出会わないものかかと要塞村に登りました。ここはアラビアのロレン

スという映画のロケに使われたところとしても有名なカスバです。

 しかし、「カスバの女」などというロマンチックな幻想は、赤土煉瓦と灼熱の太陽の中

であっという間に昇華してしまいました。

 現実の生活の厳しさを垣間見るにつけて人間の生の営みの多様さと宿命を感じました。

 人は様々な「生」を生きています。

 そして人は、その与えられた舞台で懸命に己のパフォーマンスを発揮しようと生きてい

 く宿命なのです。「我思うゆえに我有り」とデカルトが言いましたが、我思うことの

 余裕もなく、日々の暮らしに没頭しているのです。

 日本のサラリーマンだって同じで、仕立てのいいスーツとこじゃれたネクタイに

 気取ってみても、「我思うゆえに・・」なんて思わせてくれる時間もなく、ただ

 目の前の課長役、部長役をこなしていくのに精一杯です。

 冷静に目の前のものを眺めて主体的に生きるものだと思っていたらそれは「幻想」

 でしかありません。人は、否応なく与えられた舞台に投げ出されていて、投げ

 出されたからにはそこでの役柄になりきろうとして生きるものなのです。

 カスバに生まれ、カスバに死んでいく。カスバの女という役柄を演じて

 カスバという劇場で死んでいく。ただそれだけ。

 日本のサラリーマン役で文句を言いながらも、ちょっとだけ人を出し抜きながら

 「課長」「部長」という役柄を追いかけて、そして気がついたらカスバの女

 のほうがいい役柄だったんじゃない、と思う自分がいるのです。

 主体的に生きるというとかっこうよく聞こえますが、普通にしていては主体的に生きる

ことなどとうていできることではないのです。

 カスバの女は、山の上で洗濯をしていました。

写真・上から

         アイト・ベン・ハッドゥ遠景と筆者

         麓の村人たち

         アイト・ベン・ハッドゥの頂上からの眺望

         麓の村の中

         アイト・ベン・ハッドゥに住む洗濯するカスバの女

         

         

 

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