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写真上から
キジル千仏洞への途中、塩水渓谷。川が干上がって白い塩が一面に噴いている
荒涼とした大地
キジル千仏洞の玄関口 鳩摩羅汁の銅像が建っている
キジル千仏洞の岩肌の石窟
石窟の飛天図
クチャ(庫車)の西方、荒れ地を走ること80Km。後漢にさかのぼる仏教石窟遺跡があります。
とにかくものすごい難路、悪路。おしりを車の座席から浮かせて中腰にしていないと
とてもじゃないが座っていられない。上下左右に飛び跳ねながら草木のない茶色の大地を
走り続けました。
そうして随分単調な時間が過ぎました。汗と砂埃でくちやくちゃです。
まだかまだかと、いくつかの岩山を越えたとき、あっけなくキジル千仏洞が現れました。
そこはわずかながらも緑の土地でもありました。緑の木々がこんなにも人の目を癒すのかとホッとしま
した。
毎日何気なく過ぎていく、それが当然と思っている私たちの日常からすれば、ここではそんな
日常なんてなんの自慢にもなりません。
この砂漠の岩山の果てには、私たちの毎日とはちがう何かが潜んでいます。
こんなところに立っていると、なぜ自分が「ある」のか、あまりにもちっぽけな己の存在に
呆れてしまいます。
タクラマカン砂漠の北縁、天山山脈の南、ここキジル千仏洞は宇宙そのものです。
惰性に過ごしている毎日にあって、誰しもふと「こんなはずじゃない」と疑問におそわれる
時があります。それなりに没頭して過ごしている毎日ですが、ふと空虚になって得体の知れない
不安や疑問に取り憑かれるときがあります。何かが違うのではないか、もっと違った生き方があるん
じゃないかと。
毎日の目的と思って過ごしているものが、じつは目的なんてなにもないんじゃないかって。
目的の根っこがわからない。
とても詰まらぬことに夢中になってるんじゃないか、無駄な時間の繰り返しじゃないかって。
テレビゲームに夢中になっている子供と同じじゃないかって。
キジル千仏洞あたりには、そんなことに対する出口がありそうな空間が開けていました。
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