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写真 上から  市場を行き交う人たち

        路地裏の祖母と母と孫

        マラケシュの迷路を行くジュラバの筆者

        路地で談笑する老人二人


 どこへ行っても、街角の片隅で行き交う人たちを見つめているのが好きです。

じっといつまでも見つめています。時間の過ぎるのを忘れます。人たちはそれぞれ

どこへ何を目的に急いでるんだろうか、と。

 でも、皮膚の色、衣服やオシャレの仕方、建物や窓のかたち、そしてその国の人たちの

習慣など、何もかも違いますが人間は皆同じだなと思います。

 なにかうれしいことがあったのか飛び跳ねながら過ぎゆく人たち、、あるいは身振り手

振りで怒りを連れの人にぶつけている人、老人たちは路地で井戸端会議に忙しい。

そこにはわれわれのまわりと何ら変わらない日常があります。

 悩み苦しみ、泣いたり笑ったり、人はしょせん無邪気なんだと思います。

 生きて行くのはたしかに大変です。

 心豊かに夢見て生きようとすれば生活は苦しくなりそうですし、生活を楽にしよう

とシビアーに生きれば精神が荒廃しそうです。

 どちらかを欲すればどちらかを失う。それが人の世の常ですが、

その二律背反は「お金」か゜解決してくれて両方を手に入れることができると思われてい

ます。

果たしてそうでしょうか。「お金」に満足したとき、それに比例して精神も向上

しているものなのでしょうか。

 多くの人は、風雅に生きたいと思っても、日常の忙しさにあくせくしていては風雅どこ

ろではないと言います。生活のためには風雅どころではないというわけです。

果たしてそうでしょうか。お金がないと風雅は手に入れられないのでしょうか。

 お金や地位があっても、人はなにかしら「安らぎ」に飢えています。

 お金や地位がなくとも、やはり「安らぎ」は欲しいものです。

 この「安らぎ」の正体は、貧しき国に行けば行くほど垣間見ることができるように

 思います。

 食うための苦闘と「真に生きる」ための本能とは両立しているように見えます。

 貧しくとも、美しく生きているような気がします。

    友がみな われよりえらく 見ゆる日よ

    花を買い来て 妻としたしむ  (石川啄木)

 いくら生き方がヘタでも 美しい生き方は目の前にあるのですが、

 わかっているのですが、わたしもヘタないわゆる失敗者なのでしょう(笑)。





 

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