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テヘランのエマーム・ホメイニ廟は多くの巡礼者でごったがえしていました。
廟のなかは、靴を脱いで荷物を預けてあがります。カメラももちろん禁止。
靴を脱いであがるのは、なんとなく日本的です。欧米で靴を脱ぐことはあまりありませんが、
この点では東洋的と言えるのでしょうか。アメリカ人なら文化の違いとはいえ自分たちとはちがうとし
さげすむ気持ちになるところでしょうか。昔ですが、日本の家屋へ上がるのに靴を脱いでくださいと言っ
たら、なぜなんだ、とばかりに靴のままあがって畳を踏みにじっているのを何度か見たことがあります。
イスラムといえば今、テロと同義語のようにとられがちですが、それは全くの認識違いです。
一部の原理主義者のしわざで、どこの国にもその程度の分からず屋がいるというものです。
多くの一般市民は、とっても親切です。
古い町の路地裏通りを歩いていますと、出会った老女が笑顔で挨拶してくれました。
そして、手招いてお茶でも飲んでいけ、と言ってくれます。
昔の日本を思い起こします。昔の日本でも、知らない道行きの人にでも親切に声をかけたものですし、
トンドの芋をわけあったものです。
そんなイランをまたアメリカが攻撃しようとしています。
一般市民は圧倒的に普通の善良な市民です。
テヘランでジェフ君にそんな話しをしますと彼が言いました。
「アメリカがイランに核を持つことを禁止する権利はどこにあるのか。アメリカだけが核を持っていて
他国にはダメだという。アメリカが核を放棄してからいうのならわかるが・・。日本も持てばいいの
だ。日本の技術があればすぐにできるのに」
それに答えて、ちょっと無理がありましたが僕は言いました。
「ハハハ、日本はアメリカと同じ道は歩かないってことさ。アメリカのやり方はいつか行き詰まる
ときがくるよ。だからイランもアメリカのように核に頼ろうとしないで、核など持たないように
すればいいのに」
いまアメリカがなにをしようと世界の誰も止めることができません。ですから、アメリカン一人一人に
もそんなおごりがあって、アメリカの暴力を止めようとしないのかもしれません。
オバマになってこの点はどうなんでしょうか。
相手の話を聞いて受け入れるべきは受け入れるという普通の国にチェンジできるのでしょうか。
相手をやりこめるという行きすぎた個人主義的国民性はそうそうチェンジできるようには思えません。
とくに日本人は、どうしても外国コンプレックスがあって、外国にもの申すということが苦手で、
むしろ理屈抜きに外国の風景や習慣を受け入れてしまうところがあるのはどうなのでしょうか。
そういう日本人の国民性もチェンジしなくてはならないようです。
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