|
二回目の夜が訪れようとしていました。
はじめはそれなりに珍しかった車窓にも、とっくに飽きていてました。
本を読みかけては、それも続かず、やはりぼぉーつと外を見つめているだけでした。
いま、デカン高原のちょうど真ん中あたりだろう。
時折留まる駅は唯一の退屈しのぎです。そのたびにデッキにむかいます。
プラットホームなどはなくてどこが駅だかわかりませんが、線路には降りていく人や出迎える人が
忙しく走り回っています。そしてみんな大きな荷物を担いでいます。
線路に沿って物売りが窓を見上げて声をかけています。
デッキから身を乗り出して落花生売りから一袋買いました。粗末で汚い紙袋には痩せた落花生が
デカンをもの語っていました。
ここには飾るものなんて何もありません。
身を飾るもの、言葉を飾るもの、己を飾るもの・・、なにもありません。
あるのは、悠久の静けさの中に生きる健気な人たちの宿命だけです。
意味のない言葉を羅列して、意味のないセンチメンタリズムに浸っている人なんていません。
着飾った言葉の男に出会えば、その男は間違いなく詐欺師です。
ここでの言葉は一つ一つとても重くて、生きる言葉です。
人間の原点は、「生きるということに懸命」なんだと気づきます。
闇雲に抽象的な言葉や、着飾った言葉なんて人を幻惑させるだけなんだ、そんなもので
飯は食えない、ということです。わたしたちだって、飯を食うのにたいへんなのです。
彼らとは表現方法がちょっとちがっているだけなのですが、結局はたいした違いはありません。
そんな彼らを文明に遅れていると言えるのでしょうか。
延々と続く繰り返しの車窓。その向こうには延々と続いている無言の生活がありました。
やがて窓の外はすっかり暗くなります。そして今夜も薄暗い車内でネズミの走り回る床を
見つめながらとりとめのない思案を繰り返すことになるのです。
(写真・デカン高原を行く列車のデッキ)
|