|
写真 馬渡島
馬渡島カトリック教会天主堂
玄海灘は穏やかそうに見えても、小さな船にとっては荒海でした。
小さな離島のその奥に、上陸して徒歩30分ほど、小さなキリシタンの形がありまし
た。
その教会の前に立って、「信じる」世界の「語り得ない重さ」に心が震えました。
宗教は、どんな宗教でも主観と客観の区別がなくなる境地を求めていると思います。
自分と他者とを区別することに一生懸命になっている愚かな人間の性と対峙します。
人間は、自分だけは別なのだ、いや別になりたい、他者とは違うのだと思われたい、
賢いと思われたい、そういう自我意識に埋没しています。
そんな自我意識が無くなれば他人も自分も同じ、世界は一つ、という境地がうまれます。
世界の宗教とはそういう境位を目指しているようです(キリスト教も仏教もイスラム教も
みんなそうです)。
オレがオレが、と言う自我意識、そのために様々な策を弄します。目立ちたい、認められ
たい、そういう意識が強ければ強いほど、他者との区別に一生懸命です。そのためにます
ます自分の言葉を忘れ、自分を見失っていくのです。
そして、ものごとを客観的にしか見れなくなったあげく、語り得ないことまでまことしや
かに語り出すのです。
人気のない孤島にあるのは、青い空と海。それを分ける水平線の彼方は語り得ない
大宇宙。人間の言葉に思想性を持たせるのはこの語り得ない宇宙との合一なのでしょう。
どこまでも、人はヒステリックに自分の主張ばっかりで自己の立場を離れることができな
いのですが(そういう自分に気づくことはほとんど難しい)、それが人というものです
が、梵我一如の境位に少しでも近づきたいものです。
島は、静かです。大きな波と小さな波のユニゾンが心地よい。
主客の区別などない世界がたたずんでいます。
|