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ハイデガーやヤスパースなど、無神論であるかないかに関係なく、「存在」を
ある種の「神」のように超越的に捉えたようです。存在論はいずれにせよこう
いう帰結になりそうに思います。
しかしサルトルは、「存在」は「神」なんかじゃない、として冷たく放り投げ
ました。
ハイデガーとサルトルの狭間を行ったり来たりです。
「存在」を見た?
と聞かれて「見た」と言った瞬間、いかがわしい宗教と同じレベルになります
が、といってもう少し近づきたい、という気持ちもあって、こうなるとむしろ
すなおにお経を唱えたり聖書の言葉を復唱している人が羨ましいです。
ウィトゲンシュタイン曰く、
「神秘的なのは世界が如何にあるかではなく、世界が〈ある〉ということであ
る」(6.44)
ウィトゲンシュタインとハイデガーは同じ年に生まれています。
ライプニッツ曰く
「なぜなにもないのではなく、何かが存在するのか」
そういうわけで、無神論である仏教、とりわけ密教を勉強したりもしました。
「ある」の神秘を忘れた現代人や畏れなくなった科学の世の中に再び「畏れ
る」ことの大切さを取り戻すべきだと思い至りました。
キリスト教世界は、「神の存在」の証明の歴史です。
仏教は神の存在を言いません。
仏教的なものはついつい小乗的になりがちですし、「神の存在」を存在者と
してみる姿勢にも少し納得いき難しですし、しかしまさに「現存在が存在する
限りに於いて存在は〈ある〉」(SZ212)ようですし・・・・・。
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