仏心風景

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

白血病、祈り

イメージ 1

                        写真 高野山大塔

古い友人が昨年夏前から入院しています。

突然、白血病だなんて・・・。

ドナーを探していましたが、なかなか見つからずにこの2/1に臍帯血移植をしました。

ドナー登録者が全国に五名見つかったのですが、いざとなると結局1人も提供

してもらえなかったようで、臍帯血移植になりました。

移植後、生死をさまよっている友人からの携帯メールを紹介します

「心配かけてます。 こちら血小板、ヘモグロビンがさがり連日の輸血です、前処理の効果が丁度きき白血球も最低まで下がって、放射線全身照射で色素沈着、粘膜や咽頭、味覚障害に加えGVHD抑制の大量薬を毎日8回飲むのが辛く、発熱、嘔吐、下痢など、これらを通過し造血細胞生着が明らかになるまでスーパークリーン室です、毎朝イチ採血検査で状況を見て貰ってます。看護師が3交代で付きっきりで、やっと慣れましたが点滴のため1〜2時間で尿意をもよおし深い睡眠は取れてません。 早く美味い酒を飲みたいです」

それに対してメールしました。
「明日、高野山へ行く用事があるので、弘法大師空海様にお願いします」

返事は
「ありがとうございます。弘法大師様によろしくお伝え下さい」


病院のベッドの中で一人、携帯電話を握りしめて歯を食いしばっている姿が浮かんできます。

神仏にすがる想いというのは、「辛い」です。じつに辛い。
人ごとではありません。とくに日頃は祈ることを忘れてしまってますから。
日頃、神仏はそっちのけで自分自分の不遜な毎日ですが、誰でも祈らずにはおれない
時があります。死との直面に際しては祈るしかありません。

わたしは祈ります。

人は所詮祈りに生きていくものなのでしょう。
日頃から、無我に生きて「空」に鎮座していたいものです。

友人が元気になりますように、お祈りしてきたいと思います。
早く治ってまた楽しくゴルフができるように祈ってきます。
美味しい酒を一緒に酌み交わせるように祈ってきます。
わたくしは無信仰者ですが、弘法大師様は聞いてくださると思います。

イメージ 1

 字に関するものを見に行くのが楽しみの一つです。
  談山神社への参道、国の重要文化財「魔尼輪塔」をご存知の方は少ないかもしれません。
  すごく重厚でそこに大きく書かれた「阿字」は見応えがあります。 

 談山神社は、大化の改新に際して、藤原鎌足が蘇我蝦夷、入鹿親子を打つべく談合を行ったところです。
 朱色の大きな鳥居をくぐって急な階段を一段一段数えながらやっとのことで登り切ったところに神殿があります。
これまた鮮やかな朱い色の中心的建物でその中には数々の宝物が展示されてあります。
 境内を歩いていますと、三重の塔に出くわします。
 ここは神社のはずなのに三重の塔?
 いわれによりますと、鎌足没後、長男の定慧和尚が唐より帰国したときに父を偲んで建立したと言うことです。
 
 古来、日本には八百万の神の神話があります。
仏教が伝来する以前からあったようです。ところが、仏教が伝来すると八百万の神々は、その存在が薄くなってしまいました。
舶来のきらびやかで体系的な思想や伝来品はあっという間に日本人を魅了したと思われます。昔から日本人は舶来に弱いのです。

 「日本霊異記」に、大安寺の僧・恵勝の話しがあります。
 近江の国の陀我大神の社の近くで修行していたところ、突然「我が為に経を読め」という声が聞こえてきたそうです。そうして法華経を読んでくれと頼まれました。
神が仏に帰依するということが書かれています。神様が仏に隷属する話しです。
 当時それだけ、仏教の威力は凄かったと言うことでしょう。
これは、「神身離脱」という現象で、特に密教などの持つ呪力霊力が神々を席巻したものと思われます。

 さて、談山神社への登り道、その参道の最後に「魔尼輪塔」と呼ばれる重要文化財にも指定されている石の塔があります。
 この塔には、梵字のアーク(阿字)という文字が彫られています。
アークとは、胎蔵界大日如来の種字です。
大日如来とは、密教においてもっとも中心となる最高の仏様です。
大日如来は、宇宙の真理そのものの法身なのです。法とは宇宙の真理ということです。
 人間が、自分たちの都合の良いように解釈することによって出来た我々の法律とは全然ちがいます。
 
 この塔の柱部分には、乾元二年(1303)とあります。
 密教がその後、「元寇」の神風に象徴されるように、神道に巻き返されます。
 反仏教の旗頭、伊勢神宮をはじめとして神祇信仰が力を盛り返して復権していきます。
 こうした押したり引いたりの歴史の過程で、仏教と神道は互いに迎合しあって共存を図っていきました。
 今はやりの陰陽道なども、神官の格好をしながら発想的には密教の呪術的なところが随所に認められます。
 そして神仏習合の長い歴史の中で、日本人の宗教心は、イスラム教徒やキリスト教徒のような明確な意志を持たずに今日まで来ています。
 この国の前の不幸な戦争では、神道が突出してしまったということはありますが、この国の歴史は総じて一神教ではありませんでした。
 
 中東における紛争、イラク問題、これらは明らかに宗教戦争です。
 一つの思想に基づく民族の抵抗です。
 西欧諸国が、テロ思想対抗という大義名分で抹殺してしまえるものではありませんし、ムスリムはそもそもテロ集団ではありません。
 強固な真理と信念を持つイスラム思想と、アメリカのおしつけ民主主義という思想のぶつかり合いなのです。そしてなにより、イスラエルという国の成り立ちを合法化するための方便なのでしょう。
 
 どちらの信念をも持ち合わさない思想の脆弱な日本人が、強烈な一神教の国々の間でなにが出来るというのでしょうか。そして、こういうことを日本の宗教人達はどう考えているのでしょうか。
 
 談山神社への参道にある魔尼輪塔や境内の三重塔は、日本では特に珍しい混在ではなく、伊勢神宮の神宮寺のようなもので日本人の折衷主義といいますか、思想的に弱い国民性の表れかもしれません。宗教は、思想ですから。

 この日の目的は、この魔尼輪塔を見ることでした。想像していた以上に重厚で、700年の年月を経たとは思えない斬新なイメージの石塔です。
 談山神社から西門を経て、北山、横柿、高塚の村々では、春の暖かい日差しを受けていろんな花が咲いていました。里山をぶらぶら歩くと心が洗われる思いがします。
 そして、一気に香具山から八木まで歩きました。この辺りを歩いた帰りに立ち寄る行きつけの店で飲むビールはいつも格別です。

談山神社への参道、魔尼輪塔  

イメージ 1

 壺阪寺は、目の御利益があるお寺で有名です。
近鉄壺阪寺駅を降りて、土佐の古い街並みを歩く。そこには忘れていた昔の日本の街並みが佇んでいました。  
 道路も、家々の生け垣も、川の水も、とにかく整然としていて美しく配慮されているのに驚かされました。
 玄関先には、道行く人を意識した花が飾られていたり、出窓にはその家の家宝とも思える日本人形がこちらに向けてありました。
 自分の家の前の道を掃くのは、少し前まで、どの家でも母親達の日課でした。毎朝、各戸から、母親達が先陣を争うようにして箒を持って家の前の道を掃除し、そして水をまく。そんな懐かしさのある街並みです。こんなところに、と言ってはとても失礼なのですが、驚きました。実に素晴らしい街並みがありました。古き良き日本がありました。
 清水谷という集落を過ぎて、壺阪寺への山登り。旧街道の道すがら、点在する石仏がちょうどよい休憩になります。
 壺阪寺から高取城跡まで、香高山と呼ばれる山肌をくねくねと歩く。途中、山肌に刻まれた五百羅漢様達に出くわして、見上げながら汗をぬぐう。1600年前後に刻されたそうだが、400年あまりの風雪に耐えた羅漢さま達の彷徨を見ました。
 584mの高取城跡にのぼり、猿石を見ながら下山して、子島の村から土佐まで、そしてついでに飛鳥駅まで歩いて15kmというところです。
 小春日和、高取城からの大和平野一望はすばらしい眺めでした。
       

イメージ 1

東大寺勧学院での仏教美術講座を聴きに南大門をくぐります。。ほかの聴講している人たちほどに理解は及ばないものの、それなりに啓発を受ける楽しみがあります。
 
 その日は、栃木県足利市にある光得寺の大日如来座像。
 この像を運慶作とする文献はないが、限りなく運慶に近いといいます。
 30cmほどの小像ながら、写真で見ると、台座を支える小獅子の四頭にも興味がわきました。周囲に金剛界三十七尊が取り巻く作りは、現存しないが東大寺講堂大日如来像に似ているといいます。

 X線撮影では、体内に五輪塔形の木札、心月輪が納められていて、白毫裏には舎利を納めた珠状のものが写っているそうで、これらのことは他の運慶の作品にも共通して見られます。

 この小さな大日如来像の実物を是非拝みたいと思いました。しかし、栃木県ではいささか遠すぎますが、ふとしたことでこの仏様が東京国立博物館にいらっしゃるというのを発見しました。
 ふらふらと上野の森へこの大日如来座像様にお目にかかりに出かけました。
 「鑁阿寺樺崎縁起」には、この像と思われる金剛界大日如来と三十七尊のことが見え、足利義兼の造立といわれます。
 小さな像ですので、迫力には欠けるかもしれませんが、わざわざ東京まで出かけた甲斐がありました。
 
 この世の中、何処にいても沈みゆく泥船に思えることがたくさんあります。
 失望と落胆、諦めの中でも希望は必要です。中傷誹謗悪口陰口など、それでもまだ他人を船からけ落とす争いもあることでしょう。そんな泥船の中でも立身に躍起となるのが人間かもしれません。
 しかし、諸法無我、梵我一如、人間らしく生きる希望を忘れてはなりません、と、そういっておられる柔らかな笑みが印象的でした。

全1ページ

[1]


.

過去の記事一覧

ZuiZan
ZuiZan
非公開 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事