インド

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ガンジスの祈り

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 ガンジス河畔では毎晩祈りがささげられている。
  死人がそのまま流れ、また河岸で焼かれて白くなった灰が撒かれるその中で人々は沐浴する。何が過去で未来だかわからなくなる。
インドで仏教が生まれたことと無関係ではないのだろう。
 
 わたしたちは、フィトネスクラブのウォーキングマシンの上を走っているようなものだ。どこかに向かって走っているつもりでいてその実どこへもむかっていない。それが「今」なのだ。「現在」とは、過去を消化しながら来るべき未来にむかっていることのようにみえるが、即ちそれはウォーキングマシンの上で汗をかきながら喘いでいることにほかならない。一歩も進んでなどいない。だから、時間は流れていないことになる。なにも変わっていないのだから。
しかし、わからないのは自分はどこから来たのかということだ。いったい、どこから来てこのウォーキングマシンの上で汗をかきながら走り続けているのか。
 インドに居ると、否応なしに般若の空におそわれる。

デリーの人たち

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とにかく、暑さのなかを異臭が充ち満ちていました。
道路はバイクや車が走るたびに砂埃を舞いあげ、道ばたはゴミ箱でした。
 いかようであっても、人は生きている。
 それにもかかわらず人間は生きている。
デリーに限らず、世界のどこに行っても、どんな環境であれ、それぞれの幸福を夢見て生きている。
ひとはそれぞれの欲望を持ち、その実現に向かっている。
でも、それは決して実現されることなく一生を終えるのが普通です。
死んだらおしまいなのに、みんなそれぞれに理想を持って生きている。
いくら理想に向かっていても、死んだらおしまいなのに・・・。
たとえば、明日死ぬという人が何らかの欲望や理想をもって生きていけるものなのだろうか?それなら、死が一年後に確実としたらどうなんだろうか?あるいは十年後ならどうなのだろうか?五十年後なら?
この違いはなになのだろう?

人によっては、耐えられないと思う環境であれ、五体不満足であれ、人は生きていく。


しかしどこへ行っても、子供達は笑顔で振り向いてくれる。

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写真 インド・アーグラ城


アーグラ城は、デリーからアーグラへの遷都に伴い、アクバル王によって1565

年に作り始められました。完成にに8年かかったそうです。

このアクバル王の碑文に刻まれています。。

「イエス言う、この世は橋である。それを渡れ。だがそこに住処を建てるな」

これは、いわゆる外典「トマス福音書」(講談社学術文庫)の中の

『イエスは言われた。”過ぎ行く者たちのようになれ”』

の部分が伝わったのではないかと言われています。

こういうと、ほら見よ!なんでもキリスト教の影響下にあるのだ!と

言う向きもありましょうが、そんなことになんの意味もありません。

「住処」とは文字通り「家」あるいは「会社」、「いろんな組織」また己の愛

するもの何でも、など執心するものと考えられます。

つまり、愛着や執心があれば、「過ぎゆくもの」としては生きて行かれないと

言うことなのでしょう。
 
 えてして、宗教は「救う」「与える」が対となっているように思います。

信じなさい、そうすれば救われる。と言うことです。

 しかし、本当にそうでしょうか。キリストさんだって、お釈迦さんだって、

もう2千年以上も昔のことで本当はどう考えていたのかちょっと疑問に

思います。2千年の間、いろんな人たちの手を経て、「あなた方は罪人なん

だ」と脅し、だから信じなさい、救われるよ、と都合良く解釈されて変貌して

きたのではないのか、とついつい疑ってしまうときがあります。仏教の言う

「慈悲」も同じことが言えます。

 トマス福音書」の中の

『イエスは言われた。”過ぎ行く者たちのようになれ”』

これを読み解くとなおさらそんな疑問が深まるのです。

 原初の名残を感じます。

 これはむしろ仏教の言う「空」の世界にも通じるのではないでしょうか。

原初では、慈悲や救済の脅し文句のない、キリスト教も仏教もイスラム教も何

の区別のない、純粋な自己の「性起」(華厳経)のような境位、ハイデガーの

いう現存在の瞬間、ウィトゲンシャタインのいう言葉の限界の向こう側、そん

なところに宗教の原点があったのだと思わざるを得ません。

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二回目の夜が訪れようとしていました。

はじめはそれなりに珍しかった車窓にも、とっくに飽きていてました。

本を読みかけては、それも続かず、やはりぼぉーつと外を見つめているだけでした。

いま、デカン高原のちょうど真ん中あたりだろう。

時折留まる駅は唯一の退屈しのぎです。そのたびにデッキにむかいます。

プラットホームなどはなくてどこが駅だかわかりませんが、線路には降りていく人や出迎える人が

忙しく走り回っています。そしてみんな大きな荷物を担いでいます。

線路に沿って物売りが窓を見上げて声をかけています。

デッキから身を乗り出して落花生売りから一袋買いました。粗末で汚い紙袋には痩せた落花生が

デカンをもの語っていました。

ここには飾るものなんて何もありません。

身を飾るもの、言葉を飾るもの、己を飾るもの・・、なにもありません。

あるのは、悠久の静けさの中に生きる健気な人たちの宿命だけです。

意味のない言葉を羅列して、意味のないセンチメンタリズムに浸っている人なんていません。

着飾った言葉の男に出会えば、その男は間違いなく詐欺師です。

ここでの言葉は一つ一つとても重くて、生きる言葉です。

人間の原点は、「生きるということに懸命」なんだと気づきます。

闇雲に抽象的な言葉や、着飾った言葉なんて人を幻惑させるだけなんだ、そんなもので

飯は食えない、ということです。わたしたちだって、飯を食うのにたいへんなのです。

彼らとは表現方法がちょっとちがっているだけなのですが、結局はたいした違いはありません。

そんな彼らを文明に遅れていると言えるのでしょうか。

延々と続く繰り返しの車窓。その向こうには延々と続いている無言の生活がありました。

やがて窓の外はすっかり暗くなります。そして今夜も薄暗い車内でネズミの走り回る床を

見つめながらとりとめのない思案を繰り返すことになるのです。

(写真・デカン高原を行く列車のデッキ)

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昔、日本もそうでした。

ほんの半世紀も経たない前のことです。

日本の駅のプラットホームはどこでも、とにかくごちゃついていて、誰の目も血走ってい

ました。

傷痍軍人がアコーデオンをがなりたてる中、行き交う人々は足早でした。

そして誰もが大きな荷物を抱えていました。

古びた大きな皮のトランクを重そうに持っている人。どんごろすの袋をふらふらになりな

がら担いでいる人。風呂敷包みを肩にかけ、両手には子供を抱えている人。

そして列車に乗ろうと、押し合いへし合いして我先に扉に殺到していました。

そう、いまの中国のプラットホームのようでした。

今では考えられませんが、日本でも列を並ぶなんてことはありませんでした。

座席を確保しようと、窓から乗り込む人も珍しくありませんでした。

ホームの端っこでは、レールの上に立ち小便をしていました。

レールのまわりもホームの上も煙草の吸い殻で満ちあふれていました。

ときどき衝突がおきて、大きな声で怒鳴りあっているのもどうってことありませんで

した。子供たちも、そんな雑踏の中でいろんなことを学びました。

でも、そんなことが懐かしいです。というより生き生きとしていたと微笑ましく

も思えます。

黙々と、うつむいて、機械仕掛けのように自動改札口いくロボットのような

今のサラリーマンとは全く違う風景でした。

インドでは、そういう昔の日本の活気がありました。

そういうインドを見て、眉をしかめる人たちのことが理解できません。

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