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インドはこれまで訪れた国の中ではもっとも印象的な国の一つです。
インドを歩くと、歩き方により大きく違いますが、今のわれわれがどれだけ恵まれているかをついつい考えさせられます。現象的には、つまり目の前に次々と現れる極端な貧困の中に反省させられることがごろごろしています。
これとて無常なのでしょうが、しかしながら、本当の豊かさとは何か、自分が生きていくだけで精一杯の人々を見ていると、無常のなんたるかに想いをやらずにいられません。
24時間の列車の中で真夜中も朝も昼も目にしたものは、インド人の日常生活の縮図そのものでした。
一般の人はあまり乗れないエアコン付き寝台車でも列車の床をネズミが這いずり回っていました。
ましてや最下層の貧しい人々の車両は折り重なるようにぎゅうぎゅう詰めで糞尿と生ゴミの臭いに満ちあふれていました。生きるための移動にはすざましいものがありました。しかしそこにはむしろ妙に純粋なものも垣間見ました。
そもそもインドでは。「色即是空」とは、「ものには執着するな」と言うことを意味していました。しかし、中国や日本ではそれが「諸法実相」といいますか、現実のものはものとして肯定的な考え方になりました。現象は否定されるべきものであったのですが、現実世界が絶対世界であるとする思想に変遷しました。
インドのあまりの貧困の中に、インド本来の、ものには執着するな、と言う考え方が皮肉にもインドの貧しさの中に垣間見ました。生きるとはなにか、そんな原点を考えさせるインド人達がいました。
デカン高原の野山には収穫をする人々が豊かに見えました。自然はやはり豊かです。緑の大地には農夫達が小麦の束を担いでいました。
都会ほど汚く貧困が目立つようです。都会では人々はなすすべもなく道ばたに溢れています。人は何処の国でも都会に集まり、それが人をダメにしていくようです。都会は進んでいて、お金がいちばんあるように思うのは何処の国でも同じです。何処の国も同じです。
都会は心とお金が引き裂かれていて、貧しいものは己の魂をどんどん見失って、お金に対する執着がすべてになってしまいがちです。田舎ではまだ自然の恵みと結びついた豊かさを感じました。
インドの町中はどの町でも生ゴミのにおいでむせかえっていて、まるでゴミ処理場の悪臭の中にいるみたいです。埃と異臭のなかでじっとしている人と動き回っている人でごった返しています。
そんなインド人を見ていて救われる気になるのが彼らの信仰心です。彼らの多くがガンガーに還ることを夢見ていることには、超越した羨望を覚えました。還るところを知っています。
文化教室やフィットネスクラブ通いといったようなお決まりの老後の過ごし方しか知らない日本人の多いことを思えば、インドの老人達はみな遠くを見ながらいつまでもじっとただ静かに座っているだけでした。諦観という言葉を想い出しました。
お金を消耗することによって老後を支えることしかできない日本人におかしさをおぼえます。大いなるものへの畏怖が科学によって蹂躙された結果、日本人は本来の魂を見失いました。
彼らは、ガンジスの流れに口づけし、その水を浴び、そしてうやうやしく飲んでいます。我々から見るとなんと不潔な、ナンセンスな信仰なのかと思います。
しかし、豊かとされる私たちは、お金という信仰に躍起ですが、ガンジスの信仰より勝れているのでしょうか。
ガンジスの流れはやはり偉大ですし、インドそのものです。人々はガンガーに流されることによってのみ救われるのでしょう。私たちはなにによって救われるのでしょうか。
インドを訪れた人は、二とおりにわかれるといいます。もう二度とインドにはいきたくない、という人と、もう一度行きたいと、そしてインドに取り付かれる人との二通りです。
たしかにインドは、不思議な国です。
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