オランダ

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 前日、アムステルダム市内でオランダの田舎料理を食べました。

 オランダ料理というのは、世界でもあまり評判が良くなく、オランダのオリジナリティ

 なものはないように思います。でも家庭料理と称して、フェルメールの絵に出てくる

 ポットのようなお鉢に煮物が入れられたものなどを食べました。

 昔の植民地時代からなのでしょうが、オランダではなぜかインドネシア料理が一般的

で、これがオランダ料理となっている感じです。

 翌日の予定を考えながらビールを何度もおかわりしました。

 翌日は、オランダ中央駅から汽車に乗って、北へ向かう予定です。

 北海に臨む小さな町、デン・ヘルダーまで行き、そこからフェリーに乗って

 テクセル島へ。

 北海に浮かぶこの小さな島は、普通の地図では見あたりません。

 この小さな島のその北の端で北海を見たいと思いました。

 そこは想像通りの果てしない砂浜が続いていました。

 空と海だけです。

 あーあ、北海に臨んでまず深呼吸をしました。

 夏は避暑地として大いに賑わうところです。

 シーズンオフの浜辺は人影がまばらでした。

 打ち寄せる波と子供の頃のように戯れました。

 くりかえす波の音、どこまでも透き通って真っ青な空。

 日常生活に埋没していて忘れていた何かが突き出てきます。

 普段人々は誰でも、それぞれの仕事上の役柄に必死で、それを上手く演じることに明け

暮れていますが、そうじゃない本当の自分がいると思います。

 最果ての静かな海を前にして、本来あるべき自分が顔を出している?

 自分の中には、別の何かがある?

 それは何なんだ。

 

 浜辺の小さな町のメインストリートには、日本と同じように数々の土産物屋さん

 が軒を連ねています。

 しかし、そんなものより浜辺で拾った貝殻が貴重な記念品です。

 こんなところではまず日本人にお目にかかることはありません。

 そんな疎外感は、旅するものの特権だと思います。

 写真 上から

    ・ デン ヘルダーからのフェリー乗り場
    ・ フェリーの上で
    ・ テクセル島の北の端、北海を望む砂浜はどこまでも長く
    ・ テクセル島の小さなカフェ
    ・ 夕方のテクセル島メインストリート

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 フェルメールに本当に出会ったのは、小林頼子「フェルメールの世界」NHKBooksをなにげなく本屋で立ち読みした時からでした。ファン・メルヘーレン贋作事件の段がおおいに興味をわかせました。
 以前から30数点しか残っていない作家ということで、希少価値による評価かなと勝手に思っていましたが、いやいやちょっと詳しくなってみようと思いました。

 それから慌てて彼の絵を全部探しました。中でも「真珠の耳飾りの少女」を見てぜひ本物が見たいと思いました。彼の絵に頻繁に使われている青の色に引きつけられられました。中央アジアのクチャのキジル千仏洞でみたラピスラズリ色。カシュガルやペシャワール、テヘランで出会った青い宝石。この絵には、上村松園の「序の舞」を見たときと同じような衝動を覚えました。

 
 デン・ハーグのマウリッツハイス美術館にその絵があるという。例によってそこへ行くチャンスを狙っていました。そして行く機会が訪れました。
 実物は、それはそれは鳥肌がたつ思いでした。拡大鏡で覗くと、唇はまるで生きている少女そのもの、今にも何かをしゃべり出しそうでした。軟らかい頬にはほおずりしたくなりました。
 あまりにも額を絵に接近させてみていたので、警備員のおじさんに注意を受けてしまいました。日本と中国以外の国は、こういう貴重なものでも写真を撮るのに寛大で、フラッシュを焚かなければこの絵も写真オーケーでした。ミーハーの気分かな、と一人苦笑いしながら記念撮影をしました。

 美術館の周りは、静かな水路に囲まれていて落ち葉の上を歩く音が渇いていました。気持ちのいい風景の中にたたずんで、「真珠の耳飾りの少女」の余韻に浸りました。

 (写真)マウリッツハイス美術館  ・美術館周辺  ・真珠の耳飾りの少女

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日本は、300年近く「鎖国」をしました。そのことの功罪はいろいろとあるでしょうが、わたしは悪くもなかったのではないかと思っています。今日のように情報過多の時代になって、価値観がバラバラの時代になってみると、情報ルートはある程度絞られている方がアイデンティティという点では芯が出来るのかもしれません。明治以後、欧米の科学技術の摂取に躍起となってこの国がこの国でなくなったのを見ると、少しは鎖国でもして静かな瞑想の時が必要なんじゃないかと思うほどです。
  
 さて鎖国の間、日本は唯一オランダだけとは通商を認めました。そして長崎において「出島」が唯一の外界への窓口となりました。日本とは爾来因縁の深い国ですし、恩人の国といってもいいのではないでしょうか。日蘭関係は1600年に始まり、それ以来明治まで、中国以外の国では最も日本の国を形作るのに影響のあった国です。
 江戸幕府はなぜオランダだったのでしょうか。

 ヨーロッパの歴史はハプスブルグ家を無視しては語れません。13世紀から700年間にわたってヨーロッパを支配し続けた王朝です。ヨーロッパは、今でこそ多くの国々がありますが、それまではハプスブルグという一つの国が大半を占めていました。
 1556年にハプスブルグの皇帝カールが退位しました。そのとき支配下の国の一つ、スペイン・ハプスブルグを息子フェリペ二世に譲りました。フェリペは勇猛な君主でその力は強力でした。スペイン無敵艦隊は誰もが知るところです。フェリペは当時台頭してきていたプロテスタントの弾圧に対して激しいものがありました。
 ハプスブルグ家は宗教改革に対して、カトリックを守る立場でした。カトリック一色のキリスト教文化のヨーロッパにおいて、その自らの堕落によって新しく出現したプロテスタントとの対立はハプスブルグのあちこちで激しい対立を引き起こしていました。

 オランダも例外ではなく、フェリペはオランダで過酷な新教徒(プロテスタント)の弾圧をしました。それに対して、オランダでは、市民が武器を持って立ち向かいました。そして1581年オランダ北部7州の独立を勝ち取りました。残念ながら南部は(ベルギーあたり)はスペインに屈しましたが、絶大な力を持つカトリック教会に対してこれは画期的なことでした。
 オランダのその国民性が、はるばる喜望峰を迂回し、万里の荒波を越えて日本に来させたのでしよう。1600年のことです。
 1600年より少し前、スペイン人やポルトガル人が日本へやって来ていて、いわゆるキリシタン(カトリック)を布教していました。キリシタンが邪教として禁止されて鎖国に至ったのですが、その後やって来たオランダだけは交易を許されました。
 これは、ハプスブルグのカトリックに反抗したプロテスタントの国として、つまりキリシタンに抵抗した国としてみとめられたのだと思われます。オランダは、プロテスタントとしてカトリック(キリシタン)に抵抗して勝利した国として江戸幕府がいささかの評価をしたようです。

 オランダは、海水面より低い国として有名です。ですから、運河があちこちに張り巡らされていてどの街々もとても美しい街並です。そしてアムステルダムの街中の迷路のような運河を舟で揺られていく時、水上から見上げる古い街並みにそんな歴史を思います。オランダは、郊外に出ると水路が何処までも続いていて、なんとも美しい自然があふれていて、その豊かさに羨望するほどです。
     アムステルダムの運河

 

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 この間、ユトレヒトで道に迷いました。地図を見るのはかなり自信があって方向音痴ではない方とだと思っているのですが、駅に併設された大ショッピングセンターの迷路を抜けて外に出たら方向がわからなくなりました。向こうに見えるのがドム教会の塔だと見当をつけて歩き出しましたが違う教会の塔でした。
 こんなとき道行く人に尋ねればいいのですが、なにせオランダ語、ドイツ語圏です。しかし、たいていは英語が通じるのですが、全然通じないときもあり聞くのをためらってしまいます。旅をしていますと、言葉が自由に話せたらどんなに面白いだろうかとしょっちゅう思います。
 小学校での英語教育は必要がない、と伊吹文部科学相が言いましたが、十年間英語を学んでも全然喋ることのできない民族であること自体不自然です。幼い頃から英語に親しめば少なくとも我々のような喋れない受験英語よりはマシになると思います。喋れると言うことを目的に考えるならば、できるだけ早く英語に耳をかすほうがいいに決まっています。英語は音感ですから。文部科学相の言うことが全く理解できません。古い人なんでしょうかねぇ。(ユトレヒト駅にて我が後ろ姿)

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僕にとってウィトゲンシュタインは昔から忘れられない、ほっておけない存在です。
クリムトの絵にウィトゲンシュタインの妹が登場すると言うところがうれしくて、なんていうか、身近な存在というか、形而上学的でないというか、僕にとってはその辺にあの難解なウィトゲンシュタインが漂っています。
 わざわざ、ウイーンのウィトゲンシュタインの住んでいたところまで行ってしまいました。
 ウィーンの中心部から地下鉄に乗っていくつ目の駅だったか忘れましたが、そこは郊外という町並みでした。ウィトゲンシュタインの住んでいたところを探して、大まかでいい加減な地図を見ながら街角をいくつも回りました。同じ所をなんども歩きましたがなかなか見つかりませんでした。諦めかけたときに、すれ違いざま、黒い毛皮のコートをまとった二人の老夫婦が声をかけてきました。「もしかしてウィトゲンシュタインの家を探しているのなら、あちらの角の向こうよ」と指さしました。
 僕は笑顔でお礼を言うと、二人は何事もなかったかのように手を振って立ち去りました。
 なぜウィトゲンシュタインの家を探しているとわかったのだろう。きっとこの辺りでは、これくらいしか名所?がないのだろう。僕は、冷たい風にさらされながら、ウィトゲンシュタインの暮らしていたところの前に立って満足しました。
 

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