ドイツ

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

 

写真上 フライブルク大学

写真下 シュヴァーベン門

 いつの間にか大学構内に入り込んでいました。にぎやかな通りからちょっと入っただけでそこは

フライブルク大学でした。大学門などなく、町中の建物の延長に大学の建物はありました。

 学生がちらほら歩いていましたが、みんな質素な感じで本を何冊も小脇に抱えて急ぎ足でした。

 学問しているのだ、というアカデミックな感じが漂ってました。

 日本のようなケバケバしい格好の女の子など見あたらず、みんなジーパンにTシャツ姿です。

 
 日本の大学はどこでも、入学すれば卒業までは時間つぶし。おしゃれとおしゃべりの毎日。

 でも、西欧では入学したら卒業の保証はありません。誰でもが入学できても、その大学にふさわしい

学問を身につけたと認めて貰わないと卒業証書はいただけません。黙々と本を読みます。

 日本とはシステムといいますか、根本的な考え方がちがいます。日本も、卒業を難しくすれば

全体の教育レベルが回復できるんじゃないでしょうか。そのようにすると大学の数が多すぎるということ

に気がつくと思います。事業としての商業的大学では、そのような理想の実現は無理でしょうから。 

 

 さて、フライブルク大学の私講師だったハイデガーは、1917年3月21日に、フライブルクの聖母

教会の大学礼拝堂で結婚式を挙げました。

 ハイデガーはカトリック、相手のエルフリーデ・ペトリはプロテスタント。当時では、プロテスタント

とカトリック、日本人にすれば同じキリスト教なのですが、異宗婚としてたいへん大胆なものでした。

 このころからハイデガーはプロテスタントやカトリックが正統とする信仰に関係なく、キリスト教

精神において神に祈るようになったようです。

 当時、カトリシズムのシステムがハイデガーにとって問題を孕むようになってキリスト教と形而上学に

ついては新たな意味でそれを受け入れたいと言ってます。

 フライブルク大学はカトリック、マールブルク大学はプロテスタントというようにそれぞれ色が付いて

いました。ハイデガーがマールブルク大学に正教授として就職できそうになったとき、彼はカトリックの

出であるということで断られます。それほどに、カトリックとプロテスタントの違いがありました。

 人生のほとんどをフライブルク大学とシュヴァルトヴァルトに生きたハイデガーはやがてキリスト教

をも超えたと言いますか、包括した境地に達します。それが日本人に共感を覚えさせ、アーリア人にして

こんな脱皮ができたんだと驚嘆もさせる哲人になりました。

 その思想は難解きわまりませんが、まずはフライブルク大学の地にたってみようと思いました。

 いまだに引きずっている「過去」を精算するために。新しい入り口を求めて。

 人間の本来性はどこに。



 

開く トラックバック(2)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 旅先の時のとき、それは夕暮れが近づいたとき、その日のおいしそうな酒場やレストランを探しはじめ

るとき、最高の時です。

 フライブルグのシュヴァーベン門界隈、夕暮れはいい雰囲気です。

 どこへ行っても、「美味そうなレストラン」「居心地のいい酒場」をさがす嗅覚には自信があります。

 そして期待に違わない店に行き当たると、それは大きな満足で、ひとり悦にいるのです。

 この日、Englers Weinkrugle(エンクラース・ヴァインクリュークレ?)という看板が目に

つきました。weinstube とあります。小さなワイン酒場というような意味です。店の前を一度

通り過ぎ、横目で店を伺い、何食わぬ顔をして次の角まで歩いて行きます。決断はその間です。

よし!この店に決めた!と思えば、ゆっくりとUターンをして、そしてあたかも住み慣れた町を

散策しているような歩調でその店に向かいます。(写真一番上の右の店)

店の前に来ると、立ち止まらず、ためらわず、いかにも行き慣れた店にはいるように、ドアを押します。

素早く店内を見渡します。その数秒で、当たりかどうかが決まります。当たり、の場合は今日の寝

床を確保できた安心感のような満足感が襲ってくるのです。
 
 どこへ行っても最初の一口はビール。一度、パリのカデ駅の近くのビストロで、「ビール!」

と叫ぶと、その店のとびっきりの美人ママが、「そんなものよしなさいよ、なんてったってワインです

よ。いいワインがあるんですからね」とほほえみながら諭されたことがあります。

 でも、やはりとりあえずはビールです。(写真上から二枚)

 なにが美味しいのかを聞くと、そりゃあなんたって「ます」だよ、という。この店の、いかにも勝ち気

そうで体格のいいママ?が両腕を腰に当てながら言いました。

 メニューには、シュヴァルトヴァルトの森の奥に棲む「ます」だとありました。(写真三枚目)

 それを注文して、まずはグビグビグビとビール。あっはぁー、ふぁーっ、何とも言えない瞬間です。

 隣の席では、六十半ばの男性二人がいい雰囲気で話し込んでいる。結構ワインのお代わりのペースが

早い。

ぼくはそれを見て、勝ち気なドイツ女をよんで「あれと同じワインをくれ」と注文しました。

彼女はなぜかにこやかになって右手で僕を指さし、左手を腰にあてがいながら二度頷きました。

いいものを注文したと言わんばかりです。

やはり、ワインなんでしょうか。(写真一番下)

しかしまたこのワイン、うまい!

こうして今夜も酔っぱらってしまうのです。

 

イメージ 1

イメージ 2

写真上 フライブルグの大聖堂

写真下 大聖堂の上からシュヴァルトヴァルト方面遠望


フライブルグは、15世紀半ばに創立された大学のある古くて由緒ある町です。

そして町の中心部に屹立する大聖堂、キリスト教世界でもっとも美しい塔を持つ大聖堂

はロマネスクとゴシックが織り混ざっていて実に美しく、1345年の着工から150年かかって

完成しています。大学と大聖堂の歴史に圧倒されます。

シュヴァルトヴァルトから流れるドライザム川がながれ、そしてその川から町中に大小の疎水が引

かれています。清流とともにある町というのはとても気持ちのよいものです。

「存在しているというのが様々な意味において語られるなら、その場合、どれが主となる基本的

意味なのだろうか、存在とは何の謂いなのか、という思いに動かされた」

 ここの大学で二十歳前にしてハイデガーは、ここフライブルグで「存在」の神秘を問うたので

す。

イメージ 1

シュヴァルツヴァルトを列車で突き抜けると、最初の都会がフライブルグです。

緑深き黒い森、そのまっただ中をくぐり抜けてフライブルグに到着したときは、なんとなく気の抜け

たような気になりました。

あれほどあこがれていたシュヴァルトヴァルトがあっけなく通り過ぎてしまったのです。

しかし、森に囲まれた小さな都会、フライブルグは期待に違わないすばらしい町でした。

これぞドイツ!

町の中を綺麗な水路が流れ、それをまたいで多くの人たちが行き来していました。

市電に乗っては降りて、降りては乗って、それほど広くない町を行き当たりばったりに

さすらいました。ヨーロッパの町はどこでもそうですが、大聖堂の塔が目印です。

小さなレストランでビールを飲み、教会の広場の自由市場をひやかし、そして夜はシュヴァルト

ヴァルトの奥深い清流に棲む鱒と白ワインとテーブルの蝋燭の揺らめきに時間を忘れました。

こんなとき、頭を巡るのは過去のことばかり。

思わず頭を振って、思い出すことを拒否して、なんとか違うことを考えようとする嫌な思い出もある。

そしていつしか、幼き頃の楽しかった、涙が出るほど純粋だった頃の思い出に浸っているのです。

懐古趣味は嫌いだなんて気障なことを言う人がいますが、それは青い頃の粋がりです。


過去への回帰は自然への回帰にちがいなくて、科学の進歩へのあたりまえの抵抗に違いない。

それは、それこそが人間の本能です。

過去への回帰は、生まれる前への回帰に辿る。羊水の記憶。

それは未来に訪れる死への回帰と同じで、無への憧憬としての本能です。

人間は、所詮、無の深淵より出でて、無の深淵に帰るのですから、その本能は

当たり前といえば当たり前です。

フライブルグの雑踏を前にして、ワインボトルを撫でながら、この町で学んだハイデガー

を偲んで考え続けました。存在について。

メスキルヒの森 3

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 この森の入り口にあった聖マルティン教会に一人座っていたときからターち

ゃんの予感はしていました。

 彼女は誰からもターちゃんと呼ばれていました。

 その頃、ターちゃんの通う教会に誘われたときはとっても嬉しかったのを覚

えています。これで僕は特別なんだと思いました。

 でも、僕は断りました。その後何度か誘われてもその都度断りました。

 そして何度か渋ったあげく、ある春の日、ついにその教会に行くことにしま

した。断る理由などなんにもなかったのに、むしろすぐにでも行きたかったの

に、常々無神論者を気取っていた手前から格好をつけていただけのことです。

 随分昔のことなのに、昨日のことのようです。

 記憶の断片をつなぎ合わせようと集中しました。

 教会がどこにあったのか、いま行こうとしても駅からの道筋をどうしても思

い出せない。でも、陽光差し込むチャペルの白い壁とオルガンの音色

ははっきりと思い出せます。

 あのような日々のことを忘れ去ってしまうのは悲しい気持ちです。

 忘れ去りたい忌まわしい過去は幾つもありますが、あの頃の小さな恋心には

本来的な自分を取り戻すことができる何かを含んでいます。それを忘れては、

今の自分は何なのだということです。過去は今が過ぎ去ったことではなく、過

去は今現在なのです。時間は流れてなんぞいません。

 二人並んで賛美歌を歌いました。彼女は美しく輝いていました。その彼女の

隣にいる僕は注目の的でした。

 ターちゃんが、男の子を連れてきた!!

 周りの人たちはそういう目で僕たちを横目している。

 僕には、彼女の行くところはどこでも明るいスポットライトが当てられてい

るように見えていました。きょうは、そのスポットライトの中に僕も一緒にい

るんだと思うと、してやったり!という不純な昂揚と満足に浸っていました。

 そのころ、僕は何ごとも言葉で美しく飾ろうとするほうの男の子でした。言

葉で、自分を賢く見せようと本を読んでいました。

 言葉など、邪魔なだけで何の自分の存在を示し得るものではないとわかるの

にはずいぶんと時間がかかりました。

 言葉は、ご都合主義者の概念、人それぞれの勝手な思い、他人を自分に従わ

せる為の道具、つまり自分を認めさせるための道具として貶められています。

 言葉は罪つくりです。

 僕は、その邪念の言葉を翻弄駆使して彼女に虚勢を張っていました。

 たいていの場合、甘美な言葉の羅列や雰囲気だけの言葉、あるいは小難しい

哲学的な言葉で通用することが彼女には通用しませんでした。自由という言葉

や愛という言葉、思想や信仰、理性や感性などの怪しげな解釈を繰り返して

空回りしていました。

 ですから、僕はいつも焦っていました。

 言葉の本当の意味がわかるようになるのにも随分の時間がかかりました。

 たしか、十九才からハタチになろうかとするころの想い出です。


 



 

 

 

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

過去の記事一覧

ZuiZan
ZuiZan
非公開 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事