フランス

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写真上 サン・シュルピス教会への道すがら

写真中 ローズ・ライン

写真下 ステンドグラスのまえには確かピエタがあったように記憶しているのですが
    それがなんだったのか思い出せなくてイライラしています




 サン・シュルピス教会へ行こうとシテ島からサン・ミシェル橋を渡りました。

 それにしても、パリはいつでも人でごった返しています。世界一の観光都市を実感

します。

 むかしから最近まで、学生時代からこの十年ほど前まで、フランスという国がどうも

好きになれませんでした。フランス革命の残忍な経緯はその一つでした。

マリーアントワネットの貴族社会から今の極端な個人主義への手のひらを返したような変

わりよう、あるいはもう随分昔になりますが、なんとかという女性の首相の「日本嫌い」

発言、などに「訳もなく」なじめませんでした。なにかしら、鼻持ちならないフランスと

いう国に対して、卑屈であったのかもしれません。

 ところが、このごろは「訳もなく」フランスがいいのです。

 パリは飽きることがない。日本の都会は、パチンコ屋や風俗店やゲームセンター

などという卑俗なものがハバをきかせていますが、全く趣が違います。外国にはどこにも

パチンコ屋やけばけばしい風俗店やゲームセンターなどのようなものは見かけることはな

く、その点日本の街は節操がありません。

 なんとかという女性首相に馬鹿にされても仕方がないと納得させられます。

 人々は、それぞれに自分の時間を生きているようにみえます。

 そしてまたパリへ。

 ダ・ヴィンチ・コードに出てくる「サン・シュルピス教会」。

そこにあるローズ・ラインとやらを見に行きました。

現在、世界の本初子午線は、ロンドンのグリニッチ天文台ですがそれ以前はパリの

サン・シュルピス教会を通っていました。

 教会の中を通り堂内を貫通する真鍮の標線がそれです。(写真二枚目)

床を這った真鍮の線は、オリベスクの表面をたどってその頂上まで達しています。

そこで、ラングドンの謎解きがつづくのです。

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マルセイユのお目当てはブイヤベース。

以前、日本のテレビ番組で「世界一うまいブイヤベースの店」とかなんとか言っていたの

覚えていて、日本から予約をしておきました。

昼間、マルセイユの街を歩き回りながら夜を待ちました。

くたくたになって、汗だくになるまで歩き回りました。

ノートルダム・ド・ラ・ギャルドバジリカ聖堂はマルセイユの象徴のようです。

なんと、その丘の上までも歩いて往復しました。

この日はすべてがブイヤベースのために汗をかいておなかを減らしました。

 そしていよいよ夕刻、ホテルでシャワーを浴びて、ネクタイをしてジャケットを決め

込んで、いよいよレストラン「ミラマール」へ。

地中海の夕暮れ、昼の暑さがうそのように引いていき心地よい風とともに席に着きま

した。

 出されたブイヤベースの上に蟹がのっていました。(写真下)

恥ずかしながら、この蟹の食べ方がわからず尋ねました。

僕に呼ばれた給仕の若い男、シャツの袖のボタンをはずして捲り上げ、そしてテーブル

のナイフとフォークを取り上げるや大仰に振りかぶって、その小さな蟹を、えいっ!とば

かりに斬りつけるまねをしました。

そして、静かに袖のボタンをもとに留め直して、いいました。

「ムッシュー、こんなものでいかがでしょうか?」

その時やっと僕は気がついて

「おおっ、すばらしい。とれびあん!」

といってその蟹さばきを称えました。

恥ずかしながら、デコレーションの蟹でしかなかったのです。

それでも、すばらしいジョークに助けられて、そして笑いながらワインボトルを

傾けました。

もちろんワインは、Cassis の白ワインにきまっているのです。

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写真 上  交通事故現場

   下  辺りの静かな街角 

 
 その日朝、シテ島からサン・シュルピス教会へ向かってぶらぶら歩いてました。

サン・ジェルマン通りに交わる交差点にさしかかると、白バイやパトカーのサイレンが

けたたましく迫ってきました。

 交通事故かなと思うと、案の定交差点の真ん中でバスにひかれて自転車が

ペシャンコになっていました。

 救急車が被害者を運び入れていました。

 大勢の人々が何事かと立ち止まっていました。

 そこで、警察官の振る舞いに感動しました。

 私服と制服の警察官たちが、交差点で立ち止まる野次馬に向かって

凄い形相で怒鳴り立てているのです。

「おまえたち!!これは見せ物じゃないんだ。さっさつ立ち去れ!」

警棒で殴りかからんばかりの剣幕です。本当に殴られるんじゃないかと思いました。

「こらぁーっ、わからんのか!ばかもん!近寄るな!さっさとあっちへ行け!」

とてもとても、その場に立ち止まって見ていられません。群がったり写真を撮る

なんてことは罪になるんでしょう。なにより被害者や加害者のことを

面白がるなんてことは言語道断だと理解させられました。

多くの人たちは、興味なんてないわよ、という風な顔をしてさっさと歩いていきます。

日本では、とても考えられません。黒山の人だかりでしょう。

 
 秋葉原での惨状は言葉で表せません。この国は病んでいます。

 殺人者は当然ですが、、事件現場に群がる人たちが一人残らず携帯やデジカメを

掲げて写真を撮っている光景は異常です。おまけにそれがインターネットで誇らしげに流

されています。

目の前の惨状に手を貸すことなく、笑いながら誰かに携帯電話で中継している若者なん

ぞ、殺人犯と同じようなものに思えます。

 
 かくいうわたくしも、パリの交通事故現場を一枚写真(上)を撮っていました。

 この一枚にずっと後悔をひきずっています。パリ市民の対応と警察官の凛々しさに

比べて改めて情けない自分を思います。今回の秋葉原の光景によって

よみがえりました。恥ずかしいことでした。

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写真上から
     フルヴィエールの丘の上のバジリカ教会
 
     バジリカ教会のステンドグラス

     告白者を待つ司祭 confession

     丘の上から見たリヨンの街の屋根屋根


「confession」 という立て看板の向こうに1人の司祭が聖書を

ひろげて信者を待っていました。

 CONFESSION つまり、「告白」「懺悔」の時間です。

 キリスト教の教会はどこでも、「懺悔」の部屋があります。

 人々はそこで自分を悔い改めるのです。なにもかも神の御前で告白し

 許しを乞うのです。

 日本の仏教や神道にはそのような習慣はあるのでしょうか、いやあったのでしょうか。

 いずれにしてもそもそも、宗教はすべからく、その営みの歴史に於いて現実に生きる

人々の苦難に対してどれほどの力を発揮してきたかはかなり疑問のあるところです。

生きている今の不安や苦悩に何をなしえることができてきたのでしょうか。

 生きている今と、死んでしまった後のあの世とを繋ぐ神話にまぎれてきたという

のがほとんどじゃないでしょうか。

 それでも「神」が救ってくれるのだということにおすがりするしかないのだろうか。

 科学の進歩がどれだけ進もうと、科学教がどれだけ存在者の有り様を

合理的に解釈してくれようと、われわれの「存在」を合理的に因数分解することは

できるはずもありません。

 「神」に告白しようと、科学教の合理性に身をゆだねようと、われわれの「存在」

について考え続けるならば、それこそが「大いなるもの」への唯一の接近

となるのではないでしょうか。

そうすると、神が存在するのではなく、存在が神ということになります。

 その点まだしも、本来の仏教的発想は、自分の心の中の問題として、自ら自身で解決し

ようとします。神や司祭への「告白」という他者に頼りません。

 せっかく自ら自身で悟りを模索しようという文化があるのに、科学の進歩と

それに伴うお金に信仰心が移っているのが現状じゃないでしょうか。

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写真 上から
      この日の宿、ホテル ラ レディデンス 

      ソーヌ川にかかる吊り橋

      フランス人は年齢に関係なくオシャレ

      朝市で買い物をするご婦人

      サン・ジャン通りにて


リヨンのヴィクトル・ユーゴー通りの南西角にホテルはありました。

 昼間は大勢の人通りでごった返しているのに、日本と違ってどこでも夜になると、ひと

通りは全くなくなります。不気味なほどで、昼間の喧噪が嘘のようになります。

 この日、ホテル ラ レディデンスの部屋は値段の割には広くておしゃれでした。

フロントでインターネット予約している旨を告げるとすぐにキーを渡してくれました。

 ここリヨンは、第二次世界大戦時はレジスタンス活動の中心都市でした。でも、そんな

戦争の名残はトラブールで偲ぶことができる程度です。明るく美しい町です。

 戦争は人類の繰り返しです。潰しては建てて、建てては潰す。戦争はその繰り返しでし

た。でもそんなことは遠い昔とばかりに、リヨンの街角は美しい中世の町でした。

 戦争といえば、今後もう戦争が起こらないなんてことはあり得ません。現にいまでも世

界のどこかで戦争をやっています。日本だけはもう、日本だけは絶対に、戦争なんて、

と言い切ることができるのでしょうか。古来、人は同じことの繰り返しです。

 毎日なんとなくやり過ごすからでしょうか。無責任な流れに流された結果、戦争だって

なんだってはじまってしまうのでしょうか。

 毎日、そんなはずじゃない自分を生きているからなのでしょうか。戦争を起こさないホ

ントの今を生きれば戦争のない歴史がうまれるのでしょうか。

 

 人はいつでも、わかっていながら同じことの繰り返し。そしてすぐに忘れてしまう。

ホテルの窓から暗い通りを見下ろしながら、何のために毎日同じことを繰り返すばかりな

のか、それからのつかの間の逃避が旅なのか、そんなことを考えました。


 アルベール・カミユに『シーシュポスの神話』と言う本があります。

シーシュポスとは神様に背信した人間のことです。ある日、シーシュポスは死んであの

世へ行きました。ところがシーシュポスはどうしてもやり残したことを想い出して、なん

とか元の世に戻してほしいと神々に頼みました。神様にお願いを聞いてもらったシーシュ

ポスは、現世に戻って忘れ物を片付けたのですが、やはりなんといっても現世は居心地が

良くて神様との約束の期限が来てもとぼけて現世に居座り続けてしまいました。そしたら

神様が怒り出してシーシュポスを無理矢理あの世に連れ戻してきつく叱り、神様はシーシ

ュポスに罰を授けたのです。その罰というのは、大きな岩を丘の上まで運んで行けという

ものでありました。シーシュポスは、何日も何ヶ月もの間、大汗をかいてやっとのことで

丘の頂上まで大きな岩を運び上げました。と、運び上げた途端に岩は丘の上からごろごろ

とあっという間に丘の下まで転がり落ちてしまったのです。せっかく運び上げたのに、シ

ーシュポスは再び一から運び上げなければならないことになりました。そして再びやっと

の思いで丘の頂上まで押し上げたのですが、なんとまたまた転がり落ちてしまいました。

彼はこの繰り返しを一生することとなったのです。楽しみは、わずかばかりの食べ物をい

ただくときだけでした。

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