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ふと思うことがあります。
自分はどのようにして死ぬのか。
死ぬときの姿はどんなのだろうか。
病院のベッドで、家族の顔を見ながら死んでいくのか。
何かの事故で、あっという間に死んでしまうのだろうか。
意識はあるのに、見かけは植物人間で毎日涙を流すのか。
つきなみに弱っていって、何かの病気とともにあれよあれよといってるうちに死ぬのか。
いずれにしても、生と死の境目に臨んで、生と死の境目に居るんだと認識できる状態ってどんなだろう。どんな風にして息を引き取るんだろう。その時は、涙がでるんだろうか。
それって、どんなんだろう?
そして死後のこと、これまで築き上げた自分ワールド、はどうなっちゃうんだろうか。
それなりに偏ったかなりの蔵書。それなりにこだわった世界の写真集、それなりに苦労した「僕の人生」というもの。もちろん、すぐにみんなに忘れられてしまうようなものだが。
フェズの町の迷路にウロウロしながら、人生の迷路から抜け出る時のことを考えてしまいました。考えてみれば迷路にいるときがイチバン幸せなのかもしれない。
たとえ貧しくとも、少々手足が不自由でも、迷路にいると、取りあえず目先のことは忘れられる。このままずっと迷路にいる保証があるのなら最高だけど、これは迷路に紛れているだけだと思い知らされるときが来る。それが「死」だ。
迷路の中の日常の不満なんて、迷路の外があることを思えばたいしたことはありません。
だから、迷路の中と外を超越した境地に幻想を抱き続けているのです。
死んだらおしまいだ。
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モロッコ
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人生は、寂しいなぁ
こんなはずやなかったのに
人生は、混沌としていて、一寸先は闇。
食べることが生きること、その原点に気づいたら、なにをチャラチャラ甘えたたことをしていたのかと・・・・。
食べて、生きて、そしてそれを共有する・・・。たったそれだけのことなのに。
食べることを忘れ、生きることを忘れ、うつつを抜かしていたことに、いまさら・・・、遅い・・・。
でも、そんなこと言っても、もうなにも始まることがないんだから、
ただ、元気を出して過去を振り返らずに生きていくしかないし、そうしていればまたいいこともあると思うよ。
みんな寂しいんだから
考えすぎは身体に悪いと思う。
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写真 夜明けのサハラ砂漠 |

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写真 上から 市場を行き交う人たち |

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ワルザザートの西方33Kmに「アイト・ベン・ハッドゥ」というカスバの村 |

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