中国

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 天山南路に点在するオアシスは、すべて天山山脈に被る雪の恩恵を受けています。

 多くは湧き出る泉として、あるいは河川となってオアシスをつくっています。

 地下を通って雪解け水が地上にわき出たところにオアシスが出来ています。


 しかし、カレーズ(地下水路)は、人間の血と汗と涙によってつくられた人工のもので

す。

 ふつうは雪解けの水が地下を伝ってオアシスを潤わせていますが、この「カレーズ」

は、積極的に天山山脈の水を取り入れるシステムです。

人間の英知と努力には今更ながら驚かされるばかりである。
 

 天山山脈の麓から、地下水道でトルファンの町まで水を導いてきているのです。沙漠の

地下にトンネルを掘ってトルファンの町まで水を引いています。

 その為に、砂漠の中を数十メートルごとに縦穴を掘って、そして地下で横穴をつないで

います。
 
 上の最初の写真が、砂漠上につながる縦穴です。

 この下を横穴が水路としてトルファンまで何十キロメートルも、その数、千数百本掘ら

れています。

 沙漠を走っていますと、至る所にぽっかりと大きな穴が空いてます。

 その中の一つにうっかりとはまったりでもしたものなら、誰にも気付かれることなく死

んでしまうでしょう。それにしても、にわかには信じがたい壮大な水路です。よくもま

あ、こんなものを沙漠の地下に掘ったものだと思います。

 この水が、トルファンの生命であり、中国一の葡萄の産地の原動力なのです。

 中国ではどこでも、生水は禁物です。

 ただ唯一、このトルファンの水だけは中国一だそうです。

 天山山脈の雪解け水は有名で、訪れていた中国人観光客は、地下の横穴を流れる澄

んで清らかな水を容器にすくって美味しそうに飲んでいました。

灼熱の沙漠のど真ん中で、冷たい雪解け水なんて信じられませんでした。

 北極の氷が溶けてなくなりそうなほどの温暖化ですが、天山山脈の雪がなくなったらど

うなるんでしょ

うか。オアシスの街々は消えてなくなってしまうんじゃないかと心配になります。

写真 上から

  ・沙漠の中につづくカレーズの縦穴。この下を水路が続いています

  ・矢印のところが縦穴がぽっかりと口を開けているところです。どこまでも続いています

  ・カレーズの中、横穴の水路を水が流れています

  ・カレーズの中から上に縦穴を見上げたところです


 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

 火焔山。西遊記に出てくる燃えさかる山。

 砂漠を走り一路火焔山に向かいました。

 暑い!とにかく暑い。

 汗と砂埃で体中がベトベト。

 灼熱の国トルファンは、その昔「火州」と言われていたわけです。

 火焔山はあっけなく目の前に現れました。

 はじめは砂漠のなかの丘のように見えていたのでそれが火焔山とは思いませんでした。

 幅10Km、長さ100Kmkのその山脈は真っ赤でした。

 まさに炎のように真っ赤に燃えさかっていました。

 三蔵法師が求法の旅の途中この山を越えようとしたとき、この燃えさかる山の火を消す

ように、鉄扇皇女から芭蕉扇を借りました。そして孫悟空がきんとん雲にのってこれを

消したのでした。

 ベットボトルは命綱です。のどが渇かなくとも、露出した皮膚から水分がどんどん

蒸発していきます。

トルファンの人は誰もみな、どこへ行くにしてもかならずペットボトルを持ち歩いていま

す。

 いまから1400年近くも前、今でもこんなに過酷な土地なのに、よくもまあ

三蔵法師はこんなところを越えて天竺まで歩いていったものです。

 それほどまでして求めたものに羨望を覚えます。

 何かを求める、それは漫然と過ぎゆく日常にあってもっとも欠けているものなのです。

 人は皆、何かを求める余裕が無くなりました。

 純粋な求法の気持ちはすっかり覆い隠されてしまいました。

 畏怖するべき大地を肌で感じなくなってしまいました。

 現代人の行き着く先はどんな砂漠なのでしょうか。

写真上から
      火焔山

      トルファン市内

      バザール

      砂漠一望

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

 深田久弥「シルクロード」角川新書、という本を1965年(昭和40年)に購入しています。
 本棚の隅で埃をかぶっていますがわたくしにとっては、当時の少年の夢を懐かしむ貴重な本なのです。
 むかし、シルクロードは、書物の上でロマンを拡げるしかない西域の果無の世界のことでした。そのころは、シルクロードどころか中国という国へすら行けるものではありませんでした。
 今日こうして、少年の頃の夢を叶えられる時代になるなんて信じられないころでした。
 
 この本には、シルクロードへの夢をかき立てる西域オアシスの名前が次々と書かれています。
 目次には、トルファン、ウルムチ、カラシャール、ロプ・ノール、クーチャ、アクス、カシュガール、コータン、チャルチェンなどと書かれてあります。
 地図を拡げてそれらの地名をなぞりながらこの本を何度も何度も読んだものです。
 そして空想が果てしなく頭の中を駆けめぐり、いつの間にか密航してでもシルクロードへ行こうとする自分の空想がありました。
 この本に書かれている、コータンは、現在ホータンと呼ばれているオアシス都市です。今では、西域南道で一番大きなオアシスとなっています。
 
 数年前にカシュガルを訪れた時のようなバザールの古い賑わいがここにはまだ残っています。 今年訪れたカシュガルのバザールは、現代的に舗装され、アーケードに覆われてしまって昔の情緒がすっかり消えてしまっていました。
 でもここホータンには、懐かしい喧噪と雑踏の賑わいで気持ちが浮き浮きしてしまう昔のままのバザールが残っていました。
 ホータンの隣のオアシス町、ヤルカンドも同じように昔のままのバザールでしたが、これらのバザールもやがてすべてカシュガルのように都市化され区画整理された近代的なものへと変わっていくのだろうと思うと、一刻も早く出来る限り西域南道を歩かなくちゃと焦る思いになるのです。

 崑崙山脈の雪解け水が西域南道のオアシスをつくっていて、民豊、且末、若羌、そしてロブノールへと続くのです。タクラマカン砂漠を間に挟んで天山山脈の雪解け水を水源とするトルファン、コルラ、クチャ、アクスなどの西域北道のオアシスのつならりと対照的です。そしていずれもその雪解け水はタクラマカン砂漠の中へと消えていくのです。

 以下この本を少し読んでみますと昔の感動がよみがえります。
 「コータンは極めて古い町で、その伝説的な歴史の始まりは、玄奘の大唐西域記の中にも記されている。紀元前二世紀に漢人がここを知ったときには、すでに非常に繁盛していた。KhotanのKを無音にしてホータンとも呼び・・・。そこに産する玉はホータンの玉として幾世紀にもわたり中国人の間に珍重されてきた。ユルン・カシュ河は白玉河、カラ・カシュ河は黒玉河の意で、これらの河の渓谷の岩石中にある玉が、河床で磨かれて、堆積した岩屑の層の中に発見されるのである」

 バザールでは、様々なそして大量の玉市がたっていて、男達も女達も手の中で大切そうに玉を転がしていました。玉の持つ精気が身体にいいと言われているせいもありますが、日本人は玉への興味はさほどでないのに、中国人はみんな玉が本当に大好きです。
 ユルン・カシュ河とカラ・カシュ河とが合流して、ユーロン・カシュ河になります。玉龍喀什河です。この河原に降りたって、足下にあるそれらしい石を拾って、あるいは玉かもしれないと思いながら大事にポケットにしまい込みました。
 あとで現地の玉を売る店で聞いてみましたが、ただの石っころだと笑われました。しかし、その石っころは今、わたくしの机の上で玉と同じ、いやそれ以上の価値をもってころがっています。
 遠くシルクロードの町、ホータンから、そして遠くなった少年時代の彼方からやってきた石なのです。

 街中で紙を漉いている家がありました。
 汚い水で、桑の木を繊維とした粗末な紙です。
 でも、この地方では昔はこれでも貴重な紙でした。

 その紙を十枚買いました。
 その紙で書いてみました。
 
 「福禄寿」と書きました。めでたい文句です。
  意外としっかりした紙で、それなりに面白い味があるのかなとおもいます。

(写真)上から
    「福禄寿」
    「紙漉の枠と水貯め」
    「子育て中」
    「砂漠で遊ぶ子供」
    「村の中のの道」

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 チベットは、信仰の国です。
 中国に強引に併合されてもなお、彼らはチベット仏教を守り自分たちの民族性に誇りを持っているように思えます。
 チベットの街々ではどこでも、僧侶が行き交い、バターの灯明の臭いで満ちあふれています。
 祈る人たちで溢れています。
 人は、みな祈ることに生きています。
 
 インドで興った仏教は、その原型をチベットにその本来の姿を残しています。その仏教を守り続けています。
 日本仏教は、中世以後輸入されていませんので本来の形とは相当違ったものになっているようです。それまで遣唐使などで中国と行き来していましたが、遣唐使が遣わされなくなって以降は、日本はそれまでに入ってきた仏教経典を今日まで様々に解釈し展開したのです。
 
 その点、チベットはインド文化をはじめ、丸ごと仏教を受け入れ今日まで忠実に伝えていて、日本の仏教に馴れたものからすれば大変奇異に映ります。
 しかし、日本のほうが、日本文化の枠組みの中でかなり仏教というものを変質させてしまったという方が正確だと思います。
 
「さとりの境地とはいかに求めればよいのでしょうか」という問いが密教の大日経にあります。
 答えは、「如実知自心」
 つまり、自らの本来の心をありのままに知ることだ、というのです。
 
 これは、簡単そうでもありますが、難しいことです。人が大小を問わず罪を犯したり、人が人を裁いて得意になったりするのは、様々な分別に覆われているからで、人の本源は本来清浄で輝いているのにそれに気付いていないだけなのだと言うことです。
 これは、「般若経」以来仏教に普遍する心です。真言密教においては、まずこれが「さとりへの初門」とされています。弘法大師空海の有名な著作「十住心論」の第八の境地「一道無為心」です。
 チベットは、この「密教」の国です。
 チベットの仏教は、「チベット密教」なのです。
 
 自らの本来の心のあり方を求めて、過去を懺悔して「発心」し、そして出来れば解脱の境地を目指して修行の道に入ればいいのに入らないのは、修行して何が得られるのかという現実的な利益から抜けきれないからでしょう。チベットの人は、ブータンでもそうですが、欲には限りがないとして現実的利益に対して極めて冷静です。しかし、近頃は、中国の漢民族のチベットへの進出が激しくて、その商業ベース優先の拝金主義に犯されつつあるように見えます。
 チベットへ行くたびに、町の様相はどんどん近代的に変わっています。それに伴い、チベット人の心もどんどん変わっているように思います。

 修行をするひまがあれば、自己顕示欲のための解釈学を勉強した方がましだということなのでしょう。 お金が信仰の対象になりつつあります。
 権限や利権とそれを正当化する大義名分さえあれば人生の勝者になれる。

 以前は、チベットを歩いていますと、失礼だがそれはそれは貧しい。貧しいから捨てるものがない。人間の欲にはきりがないけれど、チベットでは科学の進歩とお金の先進国ニッポンにはない時間が流れていました。
 貧しいということは、日本のように欲が多様化していないということです。
 ですから、チベットではひたすらに祈る人たちの姿をあちらこちらで見かけます。祈るしかないのです。巡礼者達が手を合わせている光景はまったく珍しくありません。ひたすら祈ることは、「自性清浄心」の境地であり、人間を覆っている様々な方便や分別を除く修行に他なりません。
 
 その「祈るこころ」に変質の兆しが見える気がします。中国の漢民族によってやがてチベットは、チベットでなくなると言われています。チベットを中国領として併合したその強引な過去を消し去るためにも、漢民族を入植させて、チベットにおける漢民族の人口比率を上げる政策がとられています。
 
 チベットのこころは、東洋人の持つ東洋の心、仏教の「空」なる境地です。
 チベットには、われわれの魂に響くいにしえの原風景があります。
 静かに考えさせてくれる何かがあります。いつまでもチベットの心が失われないようにと祈らずにはいられません。
  
  (写真)上、タシルンポ寺を出て行く僧侶。
      中、ジョカン寺のバターランプ 
      下、お寺にあったトイレは実に開放的です。用を足していると、チベット人が向かいに無表        情でしゃがみ込みました。
        にらめっこになって思わずにこっと笑いかけると相手もにこっとしました


 

                                             

イメージ 1

香港の街角は、いつでも世界中から集まった多くの人種でごった返しています。白人はもとより、インド人、アフリカ人、それに中国奥地から出てきたとおもわれる出稼ぎの人たち。昔から相変わらず怪しげな街です。
 そんな街中に立っていますと、偽物のロレックスを売りつけにくるイスパニッシュ風の男達が言い寄ります。
 時計いりませんか?安いですよ。
 不思議に思うのは、間違いなく日本語で接してくることです。片言の日本語にせよ、こちらを日本人と見破っている。どうしてわかるのだろう、いつも不思議で仕方がない。
 
 先日このことについて、大連で親しい中国人に聞いてみました。
 そりゃあ、一目瞭然ですよ。どこからみても日本人ですよ。という答えが返ってきました。
 なぜ、どこが?
 確かにいつも、中国のどこを歩いても、一目見るなり日本語で語りかけられています。
 日本国内でも、このごろは中国人が珍しくなくなってきました。でも、中国人かなぁと思って見ても、なかなか確信は持てません。なんとなく風体でわかることもありますが、気にしなければほとんどわかりません。この目の違いは、いったいどういうことなのでしょうか?

 試しに、ロレックスいらない?と言い寄られたスパニッシュについていくことにしました。
 
「どんな時計があるの?」
 
「なんでもあるよ、ロレックス、シャネル、カルチェ、なんでもあるよ」
といいながら、ついてこいと顎をしゃくりました。
 
 とあるビルの細い入り口に入っていきました。その通路は狭くて薄暗くて薄気味悪く、少し緊張しました。奥まったところにエレベーターがあってそれに乗るようです。写真やテレビでよく見る、あの汚なく積み上げたような貧民窟のようなビルです。
 昔々のエレベーターで、ドアーはなく鉄の柵があるだけです。
 ガターァンと大きな音を立ててエレベーターがゆっくり上昇し始めました。
 12階で止まって鉄柵の扉を手で開けて降りろと言いました。笑顔が不気味に思えました。
 迷路のような通路は、波打っていて少し傾いているようです。通路が平らじゃないので、あちこちに水たまりができていて、それを避けながら一室の前に到着です。異臭が漂っています。
 中へ入るともう一人の男がいて、大きな身振りと笑顔で迎えていました。意外と広く明るい部屋です。

 中の男が言いました。
「いらっしゃい、時計いろいろあるよ」

瞬く内に、いろんな時計を机の上に拡げていました。
どれもこれも、一見してニセモノとはわからないものばかりです。
「このロレックスはいくら?}
と中国語で聞きました。
「ああ、10,000円ね」
と日本語でかえってきました。

「そりゃあ高すぎる、いらないよ」
というと
「じゃあ、いくらなら買うか?」

「うーん、一つ千円だね」

「そりゃあひどい、じゃあ一つ5千円で」

と言うようなやりとりをした結果、5つで一万円で商談成立です。
ロレックス二つと、カルチェ二つと、シャネル一つ。

あらかじめポケットに小分けして突っ込んである(海外ではこれは大切なこと)お金を取り出して支払いました。財布は胴巻きの中です。

彼らは、私の肩を抱くようにしてきて、そして握手しました。ありがとう、さようなら。
歸りは、一人です。エレベーターに巧く乗れるかなと不安でしたがなんとか生還することができました。
 
 お腹が減りました。
 加連威老道にある太平館で、名物の鳩料理を食べようと行ってみました。
テーブルに着くとウェイトレスが言いました。「はと」美味しいですよ、とまた日本語で。

 (写真)九龍のペニュンシュラ近くの交差点

 

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

過去の記事一覧

ZuiZan
ZuiZan
非公開 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事