イタリア

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「創世記」六日目。
第一章二十七節。「神は御自分をかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」
そして、このことは第二章でもくりかえされる。
しかし、第二章ではちょっとニュアンスが変わります。
明らかに、第二章では男と女の前後関係がはっきりと区別されています。一章では男女が同時に生まれたのに、二章以降は明らかに男が先で女が後で、序列関係が意識されています。
聖書では、アダムとエヴァが最初の男と女であり、夫婦であり、カインとアベルの両親です。
兄カインは人類最初の人殺しということになっています。
そのエヴァがアダムから産まれたのです。そう書かれています。
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二章にはこのように書かれていますが、もちろんこのことに対するいろんな解釈は承知しています。
ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の正面の扉をとりまくように旧約の物語のレリーフがあります。
 
アダムとエヴァの物語が、第一章と第二章や三章でちがったニュアンスになっているのはどういうことなのて゜しょうか?わたしは、人類はその気の遠くなる昔より、宇宙の始まりと人間の始まりについて様々な想いを巡らせてきたのだとおもいます。そして、それは今日に至るまで何の進歩も解決もしていないと言うことに気づかされるのです。いろんな人がいろ色悩み苦しんできました。今日に至るまで様々な解釈や講釈は語りきれないほどありましたが、今日まで誰ひとり悟り得ませんでした。そして、聖書の解決は神による天地創造でした。しかし、根本的な解決になっていないことは、アダムとエヴァのこのような物語のように、聖書自身が物語っているように思います。
  きっとそのこたえは「存在」の問題の中にあるのだと思います。存在論的差異の問題にあります。そもそも、哲学とは、存在の学にほかなりませんから。オントロギッシユなことです。
 その、アダムから生まれるエヴァをみたくてバスを乗り継いで行ってみました。
(↑修理中で、鉄パイプの影が邪魔ですが、アダムの脇腹からか、肋骨からなのか、エヴァが生まれています。サン・ゼーノ聖堂正面)
 
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考えてみれば、これまで随分と無駄な、虚しい言葉を吐いてきました。それによって数え切れな
 
いほどにいろんなものを傷つけ破壊してきました。冷や汗が出ます。
 
われわれの言葉、言葉は罪深い。
 
われわれの言葉は何もかもすべてを言い表すことが出来るわけではありません。
 
すべてをいい表すことが出来るとするなら、言葉の限界が世界の限界だと言うことになります。
 
これは言語が客観的であると言うことに他なりません。
 
日常の中での意味解釈に一喜一憂していますが、言語の限界の向こう側に話しが及びそうに
 
なると、言語の客観性はそこまでで停止してしまい、言語の向こう側の客観を超えた主体を考え
 
ることに拒絶反応をしてしまいます。
 
ヴィトゲンシュタインという人が、「論理哲学論考」という本の5.6に書いています。
 
「私の言語の限界とは私の世界の限界を指している」と。
 
このことの意味するところは、神学者にとっては乗り越えなければならないたいへんな難関
 
だと思います。なぜなら聖書が言葉なら、世界の限界内に収まってしまうからです。
 
 ヴェネチアの夕刻、神学者でもないのに言語の限界について反省をしながら歩いていると、
 
街灯の下にボソボソと言葉を交わしながらワインを傾けている人たちがいました。
 
 路地の突き当たりのようなところ、なんとなく秘密の隠れ家を見つけたような気分になって
 
わたくしはそのレストラン(オステリア)の一角に腰を下ろしました。
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フィレンツェでいちばん美しいファサードと思っています、サンタ・クローチェ教会。
フランチェスコ会は1221年以来フィレンツェにサンタ・クローチェ聖堂を持っていました。
1295年アルノルフォ・カンビオがそれまでの質素な聖堂を現在の美しく立派な新聖堂
としました。
その中のバルディ礼拝堂の壁画、「聖フランチェスコの死」。
かのジョット(Giotto)によるものです。
フランチェスコはなぜか東洋のお坊さんに似ていて、やることなすこと親しみを覚えます。
そして、ジョットにはいつも魅せられます。
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サンタ・クローチェ教会
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聖フランチェスコの死(ジョット)
 
 
 
 
 

キリストと姦通女

 
 
 
昨日、京都であった展覧会に行ったところ、二、三の印象的な絵に出会いました。
 
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その中の一つ、「キリストと姦通女」
 
 姦通の現場で捕らえられた女を石打ちの刑に処すために連れてきて、イエスにさあこの女を
どうする?!と問いつめました。
 そしてイエスが言いました。
「あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石をなげなさい」(ヨハネ8:7)
 
言葉の意味よりも、イエスが「字を書いている」ところが面白く感じられました。
 絵の中ではオランダ語で「DIE SONDER SONDE IS DIEV・・・・」(罪なきものが・・・)
 
QVI  SINE  PECCATO  EST  VESTRVM , PRIMVS IN  ILLAM  LAPIDEM  MITTAT.
(あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石をなげなさい)
 
 なぜか人は人を裁くことが大好きなんです。また、おしゃべりとかゴシップが大好きです。
 あることないこと、なんでもかんでも面白くおかしくどんどん捏造が進みます。
 自分より人をおとしめるためにはへっちゃらです。
 世の中みんなモンスターだらけになっちゃいました。
 
 
 
 

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