|
メスキルヒ・ホーフガルテン(ハイデガー思索の森)↑ すべてがコンピューター化した現在、二進法的思考原理は、0か1という二元の組み合わせであり、スピリチュアリティのない限られた世界が大きな価値を形成している。そして毎日、テレビゲームに興じる機械的な動作と生活感のない感性に嬉々とする子ども達が増殖されている。その影響の一つとして、今日のなんとも異常で非人間的な、つまり残虐で無感情としかいいようのない犯罪が日常的に出現してきたことなどにも垣間見られるのではないだろうか。 また,とどまるところを知らない機械技術の進歩の追っかけあいは、振り込め詐欺やネット犯罪などを生み、犯罪すら合理主義万能の時代となってしまっている。
実存哲学の源流とされるニーチエの「生の哲学」は、西洋の伝統的な合理主義への反抗として顯われたが、それが理性的思考=自我という近代主義の大きな流れに棹さした意味はその後に大きな警鐘として鳴り続いている。
近代的合理主義の物心二元論をもたらしたデカルト的思考に反して、意志の一元論をいうニーチェは非合理主義的であることにおいて実存哲学的である。実存哲学は、伝統的な合理主義に対する疑問から生まれたからである。合理主義は理性の哲学であり、デカルトやカントにおいて自然を数学的、計量的、幾何学的ととらえ、そして認識論的主観にとらえる理性に重心を置く。ガリレオは、「自然というこの書物は数学のことばで書かれており、そのアルファベットは三角形、円、その他の幾何学的図形であり、これらの助けなしには、そのたった一つのことばさえ理解できず、われわれはただ暗い迷路をさ迷うだけである」といった。 この数学的科学的自然観こそ合理主義者のいう人間理性のなせる技であり、理性の絶対性以外のなにものでもないという一つの信仰である。東洋の考えてきたこと、たとえば弘法大師空海のいう宇宙のことば、真言とは対極にある。 科学の進歩の結果、地球の温暖化が心配されている。確かに、実感として年々暖かいという実感がある。今世紀末には4度上昇するという報道がある。 地球温暖化の科学的根拠を審議する「気候変動による政府間パネル(IPCC)第一作業部会」会合が、2007年2月1日にバリで開かれ、以下のような報告書を承認した。 報告書では、温暖化は確実に進み、人間活動による温室効果ガス排出が要因である可能性がかなり高いことを確認。21世紀末には、循環型社会を実現すれば約1.8度、化石燃料に依存し高度経済成長した場合だと約4度と、幅はあるが気温上昇は避けられないと予測した。(朝日新聞2007.2.2夕刊) 1度上昇すればアンデス山脈の小氷河が消滅して、5千万人に水供給不足が生じて、珊瑚の80%が白化する。 2度上昇すればホッキョクグマが死滅し、グリーンランドの氷が溶け始める。 3度上昇すれば、低地の海岸地域で2億人近くの人が洪水の被害に遭う。 4度上昇すれば、北極のツンドラが消滅、アフリカは水が無くなる。 5度上昇すれば、ヒマラヤの巨大氷河が消え、ニューヨークや東京は高潮で水浸し。 これ以外、5度以上では何が起きるか憶測不能とのことである(朝日新聞より)。 人間は、やがて死んでいく存在であるが、多くの人たちは自分が死の直前にならないと「死」の恐怖はしょせんは他人事にすぎない。地球の生死に関わることとて、同じような感覚である。結局地球の生死が目の前に来るまで、いまのままで突っ走るに違いない。将来のこととして地球上の人間は無責任である。 今生きている人間にとっては関係のないことだろうが、こういう意識は今日の異常な事件や世相の背景ともなっている。人間本意を招いた合理主義という西洋の考え方の行きすぎはこれからも止められないのだろうか。地球の歴史からすれば、また氷河期がくるだけなのだということなのだろうか。 イラクではいまだ毎日大勢の人が死んでいる。なにが原因でどういう理屈でたくさんの死人がでるのか。それが誤った宗教的幻想に取り憑かれたものによるのか、あるいはどこか見えざる欲望による誘導なのか、いずれにしても世界では死を賭した争いが各地で繰り広げられている。死に臨んでは、自らの現存在の神秘を云々するどころではなく、人間の死は虫けら同然にあっけないのである。それとも、死の近くにある彼らは、真の現存在を噛みしめる生き方に恵まれているとでも言うのだろうか。人間の意志によって決定された有限の生に、恵まれた生であるなどということなどあろうはずもない。(ハイデガーの現存在分析には、ナチスに加担せしめるような解釈も可能ではあるが、それは後期の思想に於いて修正されている)
イスラエル・パレスチナの長きにわたる争いも然りである。イスラエルでは、軍事と経済と国民が一体になっていてその堅い共同体が彼我なく機能している。徹底的な反撃と報復が国是である。同胞が殺されたなら、徹底的に相手に報復する。テロがテロを呼ぶ中で、自らの国を守るために自爆テロと砲撃がエスカレートするばかりである。国民はそれに全く疑問を持たないどころかそれぞれの正当性の主張に対してすさまじい熱気である。 こういった地域では、宗教対立が何年もの間続いている。そこへ西側諸国の利権や思惑が入り込んでことをより複雑化させてしまっているのである。しかし、科学進歩のベースにある「聖書」のもつ原理、つまり人間は神の下にあってそれぞれの信仰を守るためには他者を認めない、という歴史に裏打ちされた文化はなかなか東洋人には消化できないところである。神という絶対的存在によって人間が存在するあり方は、神の名の下に他者を抑圧してきたキリスト教的世界観である。 西洋の思想は、周りの世界と自分とは違う、自分と世界とは独立して存在しているとして考えてきた。自分が世界を客体として、つまり主客の関係として、他者つまり自然や異教徒を排斥し征服し支配することが正統と考えられてきた。 この点について、ハイデガーが世界内存在の現存在として従来の西洋哲学の構造の枠では考えなかったことは、敬虔なキリスト教徒の家に生まれたにしては特異なことである。 |
メスキルヒの森
[ リスト | 詳細 ]
|
写真 メスキルヒの中心部あたり |
|
写真 メスキルヒの郊外を歩く |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



