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上↑ ワナカ湖上空
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ミルフォードサウンドの小さな飛行場が見えてきた↓
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ニュージーランド
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テカポ湖の遙か向こうにマウントクックの偉容が見えたとき、えもいわれぬ安堵感と希望のような前向きな気分に溢れました。絵の具を流したような鮮やかな湖の色、真っ白な雪を冠したマウントクック。
ニュージーランドの自然は人間の存在ということについて、いやと言うほど教えてくれる。
ここでは認識論は全く通用しない。
存在の神秘に満ちあふれている。
自分の存在がとことん突き詰められる。存在論的に純粋になれるのだ。
だから、残念ながら世界内存在の内とか外とかの区別がつかない。
時間が止まっている。
クライストチャーチから、ひたすら走りに走ってやっとテカポ湖に到着。
300Kmを走ってもこの湖を目の前にしてはすべてが吹き飛ぶ。やって来て良かった!
これからテカポ湖畔を南の端から北の端まで走る。あと100Kmあまり。
日が暮れるまでに行き着かねばならない。
天候に恵まれて、マウントクックが鮮やかに胸を張っていた。
夕暮れが深まっているのに、マウントクックは陽光を跳ね返して光り輝いていた。
ふと、マウントクック山は、「ある」ではなく「いる」のだと思った。
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すばらしい自然。つくづく自然は凄い!
そのように感嘆の声を上げながら歩き続けました。
フッカー氷河まで三時間半。
フッカー氷河の先端が湖に落ち込んでいる。その碧々とした色、神々しい色です↑
精神は古代人にとって最高のテクノロジーで、すべては頭の中が宇宙であった。いまの身の回りにある道具などなにもなかった。そもそも、当たり前だが、電気がなかった。夜に見えるのは星空と自らの思念だけだった。
現代科学はその思念の宇宙からわれわれを遠ざけ続けてきた。都会は星空を無くしてしまった。
それはまさに、自然を失ってきた歴史でもある。
夕方、アオラキ・マウントクック・ビレッジに到着。
ジ・オールド・マウンテニアーズでラムとワイン。
フッカー氷河までの途中二度の吊り橋がある↑
翌日のフッカー氷河までのルートを検討しながらワインボトル
がすすむ。それに比例して星空が輝きを増していくのです。
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ニュージーランドには何度でも行きたいと思っています。
その理由。
①人間が少ない(日本人の30人に1人)
②自然が豊富
③車が少ない
④概して人が親切
⑤ゴルフ場が多くとにかく安い
だから、なにもかもゆったりとしているように感じるのです。
なんだかほっとするのです。ふぁーっと、おおきく背伸びが出来るのです。
狭い国土の日本では考えられません。狭いのになぜこんなに人口が多いのか、
きっとそういうことの原因を考えている学者がいらっしゃるんでしょうが、教えていただきたいものです。
日本では、少子化を騒いでいます。急激なダイエットが身体に悪いように縮小することは苦痛を伴うのかもしれませんが、日本の人口においては縮小均衡の方向ではいけないのでしょうかね。
とにかく、雑多でまとまりません。好き放題いい散らかしている小学校の教室と変わりません。
ワイド番組の無責任で不勉強なコメンテイターで動いています。
きっと、ワイワイガヤガヤとやりながら、これからも、首相や大臣が毎年交代していくんでしょうか?
政治家主導と言いながら、自らがコロコロ変わっていては、主導どころではなく、それ自体
大いなる矛盾です。
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ポンソビー通りを右に曲がろうとしたら、ビールの看板が見えた。
レトロなその建物の雰囲気に引き込まれてドアを押した。
注文を聞きに来た女性が日本語を吐いた。
「日本人の方でいらっしゃいますか」
丁寧な日本語に、なんとも懐かしい気持ちになった。
中心部から離れたこんなところで日本人。
日本人と言うだけで信じられる何かがある。
これは何だろうか?
昨日、迷い子預かり所でいまにも泣き出しそうな子供。
四、五歳くらいだろうか?
不安一杯の真剣なその表情、こちらまで涙目になりそう。 そこに母親が現れた。 子供は脱兎のごとく走り出し、母親の手の中にジャンプ。 そして小さなこぶしで母親を叩きながら号泣。 この世の中で母親が一番信頼できる。 純粋で疑い様がない。
信じ切っている。
大人は、信じるということを信じない。 認識することは、妥当を求め常識に行き当たる。
それは信じることの放棄である。
むかし、祖母は朝夕の祈りを欠かさなかった。
それを見ていて、なんとも迷信的におもったが、その祖母の言葉が今ごろよみがえる。
「念仏を唱えていれば、あの世が信じられるようになる」 信じられるものがあるということはいいことだ。 フッサールがいった。 認識はどのようにして自己を超えて、その客観に確実に的中しうるのであろうか?「現象学の理念」
それはそうなのだが、その結果、人間はみんな独我論に陥りやすい。
信じることは独我ではない。
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