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アンナ・カレーニナ

アンナ・カレーニナの一節。不貞をはたらいた夫の弁解。

「あやまるだけだ・・・・これまでの9年間が、数分間をあがなうことはできないだろうか」

 いくら9年間の夫婦生活の歴史があったとしても、僅か数分間の不貞を許すことなど、にわかにはでか

ねるにちがいない。もとの平和な生活に戻れる場合もあれば戻れない場合もあるでしょう。

どれほど善良な暮らしをしていても、一回とて過ちを犯せば、これまでのことが全部吹っ飛んでしまう。

「悪いこと」はそれが悪ければ悪いほど、人間関係を崩壊させ、社会から葬り去られてしまいます。

アンナ・カレーニナの夫の場合、一般的には家庭という一つの社会の崩壊は免れ得ないところでしょう。

悪いことといっても、立ち小便をしたりタバコをポイ捨てしたり、信号を無視したり、人を陥れたり、と

そんなたぐいのことは何回繰り返してもその人は「悪人」とは規定されない感じです。まあいい人とは受

け取られては居ないでしょうが。その程度の制裁ですね。

きのう姉歯が5年の実刑。これに対してローンを払っている人は一生の苦痛。腹立たしいでしょうね。

一回の「悪事」でもってどれほどの制裁をすれば人の気が休まるのかは難しいです。なんでも死刑に

すればいいんでしょうかね。どうすれば許してもらえるんでしょうかね。アンナの夫といい、最初から、

悪いことをしなけりゃいいにきまっているんですがね。人は一回でも悪いことをしたらおしまいなんです

かねぇ。

子供のいじめという制裁は、「悪事」をしていないのに制裁されると言う点ではより深刻です。

罪を憎んで人を憎まず、なんていいますが、むずかしいでね。罪のある社会の成り立ち方を

今一度根本から考えなくちゃと思いますが、大きな流れの中に棹さす力はなかなか見あたりません。

残業がつかない?

ニュースで見たんですが、残業がつかない?

これってどういう発想から出てきたのでしょうか

まあ今までから日本はサービス残業大国でしたが・・・・。

外国でもこういうことは取り入れられているんでしょうか

ポインセチアがスーパーの前を彩り、ジングルベルの歌がスピーカーから流れる季節となりました。
クリスマスも遠くになりにけりのこのごろです

最近は、イルミネーションで飾り立てる家が増えましたね。
窓の隙間から暖かい団らんの様子が漏れてきます。
ほほえましいですね 懐かしいですね

で、つたない一句

   コンビニの 弁当抱え 家々の イルミネーション 目がウルウルす

 犬は、自分にとって一番大切な人は誰かということをちゃんとわかっているようです。

 自分の都合のいいときだけ寄ってきて頭を撫でて、頬ずりしてくれるだけの人はそれだけのもの。

毎日、雨が降ろうとも寒かろうともちゃんと散歩に連れて行ってくれて、食事を忘れないで工夫をして与 
えてくれる人とははっきり区別しています。

 恥ずかしながら、ご都合主義のわたくしだったことを反省していますが、今さら犬の気持ちを変えるこ

とはできません。(笑) 犬にも犬の考えがあるのですから。

 ただ、少子化の日本で子ども達に対しても、ひたすら「与え続ける」愛情はいかがなものでしょうか。

犬と人間を差別するつもりじゃないのですが、人間の子供を自分の愛の奴隷化とする傾向があるのかもし

れません。そんな偏狭な愛情で囲まれた子供が、学校であるいは社会で適応していかなくてはならないと

き、かなり適応力に差別がでるんだろうと思います。

このごろは、不審人物による子供への犯罪が散見されるので、自治体が税金でスクールバスを導入した

り、タクシーで送迎するという事態が発生しています。

学校の行き帰りに道ばたで起こる様々なこと、草花の変化、四季の移り変わり、友達との会話、そんなも

のを全て奪ってしまうほどの成り行きに驚いています。愛情とは、獅子を千仞の谷底に突き落とすことな

り、とそこまでは言いませんが、親や先生を敬うことを教えないで、やたら温室で餌を与えることだけで

は悪循環が増すばかりのように思います。そういう子供が、不審者、変質者の予備軍を育てていることに

なっているのかもしれません。

子供の教育は、犬とは少し違うように思うのですが。

 任天堂とセガとソニーエンタープライズと・・・、ゲーム機に遊ばれている子ども達に創造力が身に付くようには思われません。そして節操のないテレビ番組。
 よくいわれますが、リセットのきくバーチャルの幻影にはなにも生むものはありません。
 いささか古いことを言うようで疎まれるかもしれませんが、ものを創ることの大切さ、人間国宝の技、そんなものは辛気くさいとばかりに傍らへ放りやられて、安直なできあいものの理解しかできなくなっています。
 
 新聞紙の折り込みチラシで紙飛行機を折ってとばしてみても、子ども達は見向きもしません。竹とんぼを削って飛ばしてみても然り。どのように紙を折れば滞空時間の長い飛行機が折れるのか、どのように削ればより高く竹とんぼが舞い上がるのか、折ったり削ったりの工夫をしないんですからその面白さはわかりません。
 
 音楽にしても、ましてやクラッシックなど聞く時間もないし、そんな深遠なことを理解しようともしません。誰かが絵が上手に描いても、字を上手に書いても、その修練の大切さと奥深さに思いがいたらないから、ふーんと一瞥するだけ。
 こういうことを理解することが、愛するということとは何か、を理解することになるのだと言っている人がいます。ニーチェです。愛することがわかればいじめはすくなくなるように思います。
 
 以下、ニーチェ「悦ばしき知識334」引用します。
「愛することを学ばなくてはならぬ。音楽を聴く場合に次のようなことがわれわれにおこる、まずわれわれは、主題と曲調そのものを聴き、聴き取り、聴き分けることを、そしてこれを一個の独立した生命体として分離し限界づけることを、学ばなくてはならない。つぎに、その音楽が馴染めないものであるにしても、それを我慢する努力と善意とがなければならないし、その音楽の眼差しと表情に対して根気よく応対し、その風変わりな点に対しては寛大な気持ちで接する必要がある。こうして最後には、われわれがその音楽に馴染んでしまって、それを待望したり、それが聴けないと寂しくなるだろうと予感したりする瞬間がやってくる。そうなるやいなや、その音楽は、つぎからつぎへとその迫力と魅力を発揮してゆき、とうとうしまいにはわれわれはその音楽の恭謙な有頂天にされた愛人となってしまって、ただただその音楽だけをこいねがい、この世ではもほやそれ以上の何ものをも求めないまでになる。けれど、そうしたことは、音楽に関してだけ起こることではない。われわれは、現にわれわれが愛している一切のものをも、まきにそのようにして愛することを学んだのである。われわれは結局いつも、馴染めないものに対するわれわれの善意、われわれの忍耐や公正、われわれの優しい思いやりのゆえに、酬いられるのだ。それも、その馴染めないものが、おもむろにそのヴエールを脱ぎすてて、名状しがたい新しい美としてその姿をあらわすことによってである。それはわれわれの手厚いもてなしに対するそのものの感謝なのだ。自分自身を愛する者もまた、この道を歩んでその愛することを学んだであろう。これより他の道はない。ひとは愛をさえも学はなくてほならない」


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