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1980年ころ浜川崎で撮影した、南武支線(尻手〜浜川崎)のクモハ11形+クハ16形電車です。
南武支線はどちらかというと貨物列車用の路線でしたから、20m電車が走れない急カーブがあるわけでなく、
また短いホームを延伸できないという駅もなく、17m電車2両編成である必要もなかった気もしますが、
貨物のついでに旅客営業しているような路線に、旅客施設の整備費用はかけられなかったということでしょうか。
おかげで鉄道ファンにはありがたいことに?鶴見線の73形電車より後まで現役を続けることとなり、
この頃でも気軽に『戦前の香り』に触れることができたのでした。
当時すでに珍しかった17m電車は、地方私鉄の雰囲気もあって面白かったです♪
南武支線を訪れるには、横浜側から鶴見線→尻手→川崎または武蔵小杉のルートか、
川崎から逆向きに横浜に出るかのルートをとっていましたが、
鶴見→国道のきっぷで鶴見→川崎→尻手→浜川崎→国道と大回り乗車したときは、
駅員に不審の目で見られてやりにくかったなあ・・・
鶴見線は全駅無人だったのですが、鶴見駅連絡改札と浜川崎南武線駅改札が有人になっていて、
無賃乗車を防止する営業方法になっていました。
今は自動改札とかに変わっているのでしょうか?
当時鶴見線沿線にはほとんど人が住んでいなかったので、
国道駅や浜川崎駅に学校帰りの制服の高校生がいるだけで、かなりミスマッチな光景だったと思います。
鶴見線の73形電車は1980年に全面的に101系電車に置き換えられ、
後を追うように南武支線のクモハ11+クハ16も101系電車に置き換えられました。
鉄道ファンが減ったら、少なくなった101系電車でも散歩がてら撮影に行こうかな、と思っているうちに・・・
101系電車どころか後継の103系電車も消えてしまいました・・・
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さすがに、これも撮影されていましたね。 私はなぜか浜川崎での写真しかありません。(涙)
2006/8/11(金) 午前 8:27
3枚目車内の様子に涙が出そう。(;_;)もはや「芸術品」です。
2006/8/11(金) 午前 8:49
yasuziroさん>浜川崎の尻手寄り踏切は、高校の試験最終日の午後を過ごす定番の地でした♪編成をまともに撮影できるのはここくらいしかなかったのでは?
2006/8/11(金) 午後 10:20
銀狼さん>山手線や京浜東北線を走っていた時代を私はもちろん知りませんが、だいたいその時のままなのでしょうね。壁のニスは新製されてから何回塗り重ねられたのでしょうか・・・
2006/8/11(金) 午後 10:25
いや〜すごいですねー!私が行った時は、101系に置き換えられてしまい、ギリギリでクモハ11+クハ16は間に合わなかったのです。あと、2〜3ヶ月早く足を向けていればと、今でも悔まれます。
2006/8/12(土) 午後 9:36 [ ポン太の鉄道写真館 ]
惜しかったですね!101系2連もそれはそれで捨てがたいものがありましたが、戦争をくぐり抜けてきた電車がこの時期まで現役で走っていたのですから、やはり貴重なことでした。
2006/8/13(日) 午前 0:19
こんばんは。
南武支線の旧型国電のお写真、楽しく拝見させて頂きました。
今時の話題になるような列車は、凝ったデザインで、敢えて和風の装飾をしていたりしますが、この電車はリアルに木の質感が見える内装ですね。質素ながらに、温かみの感じられる車内、このような電車に乗って車窓を楽しむことができたら、実に素敵なことだと感じました。
私が初めて南武支線を訪ねた時には、既に205系に変わってしまっていましたので、現実には触れていない世界ですが、お写真から感じ取れるものがあり、コメントさせて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc
2015/5/29(金) 午前 0:22 [ 風旅記 ]
73形時代は覚えています 釣りかけ駆動 チョコ色 浜川崎も
まだ高架線に今は無き川崎操車場ー安善を結ぶ往路と復路を結んでいた貨物 鶴見線も72形で支線の武蔵白石ー大川間にはクモハ12形
が走っていた頃 当時
2019/2/4(月) 午後 0:01 [ 日進町 ]