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20系特急型寝台客車は、日本で初めて「固定編成」を組むために設計された客車で、
冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両でした。
統一された塗色と大断面の丸い屋根、最後尾ナハネフ22の曲面ガラスを用いた流線型デザインはすばらしく、
『ブルートレイン』という愛称の起源となりました。
私がはじめて20系客車に乗ったのは、上野発常磐線経由青森行き急行『十和田』。
既に第一線を退き急行列車運用が多くなってきた時期でした。
なにせ当時の少年には、ブルートレインといえば新幹線より格上の、夢の列車でしたから、
24系客車の増加による急行格下げは乗りやすくなって歓迎ではありましたが、寂しいことでもありました。
写真は特記以外、既に寝台特急のエースではなくなっていた1979〜81年の撮影です。
写真1枚目は、長野駅で待機する大阪〜長野間運行の急行『ちくま』。
>この頃流行った、10系寝台客車+旧型客車夜行急行列車近代化のための、12系客車との混結編成です。
写真2枚目は、大分駅に停車中の、門司港〜西鹿児島(当時)間運行の急行『日南』。
>これも12系客車との混結編成(1986年撮影)。
写真3枚目は、東京駅11番線で発車を待つ、特急『あさかぜ51号』。
>1980年頃の20系客車使用の東京発寝台特急は、臨時の『あさかぜ51号』くらいしかありませんでした。
>夜のブルートレインはモノクロ写真が良く似合うなどといきがって撮影しましたが、
>改めて写真を見ると、やっぱりカラーで撮影しておいたほうが良かったなあ・・・
写真4枚目は、(確か)上野駅で発車を待つ、特急『あけぼの』。乗ったわけではありません(笑)。
写真5枚目は、急行『十和田』乗車の際お世話になった中段寝台。やっぱり狭いですねえ・・・
写真6枚目は、大阪の交通科学博物館に保存されている食堂車ナシ20-24(2002年撮影)。
1986年11月には急行の定期運用からも退き、
団体波動用となってJRに引き継がれたものも、1998年までに全車廃車となりました。
何両かが先ほどの交通科学博物館など、日本各地に保存されていますが、
ナハネフ22-1が来年大宮に開業する鉄道博物館に展示されるとのことで、
いつか訪問する際の楽しみにしています。
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ナハネフ22−1が鉄道博物館に展示されたら、ぜひ見に行きたいですね!
2007/8/7(火) 午前 7:17
ganbarailさん>はい、あのツルンとした"オデコ"に再会できるのを今から楽しみにしております(笑)。
2007/8/10(金) 午前 1:19