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1980年か81年の2月に訪れた、国鉄赤谷線東赤谷駅の写真です。 国鉄再建法による特定地方交通線指定・廃止承認はもう少し先の話でしたが、 既に列車本数はかなり少なく、通学輸送にのみその存在意義があるという状態でした。 東赤谷駅は鉄道ファンの間でも有名な、珍しいスイッチバックの終着駅でした。 検索エンジンでいくらか調べてみると、起点の新発田から赤谷の間は、 赤谷付近で産出する鉄鉱石の輸送のため敷設された官営製鉄所専用線として1920年に敷設されたものが、 第一次世界大戦後の不況のため使用されることなく放置されていたものを、 地元の請願によって鉄道省が1925年に無償譲渡を受けて、赤谷線として開業したものだそうです。 末端の赤谷〜東赤谷間は、鉄鉱山の再開発のため1941年に延伸開業したもので、 同時期に日鉄鉱業赤谷専用線として建設中の東赤谷〜鉄山間4kmも開業し、 鉄鉱石積載の貨物列車に木製客車が連結され旅客は便乗という形で、実質直通運転もしていたようです。 その歴史を考えると、東赤谷駅は両線の分界点であって、旅客扱いの施設は二の次だった・・・ と考えると、不思議な『スイッチバックの終着駅』という駅構造も、納得いくものがあります。 しかし日鉄鉱業赤谷専用線はわずか15年後の1956年に廃止され軌間610mmの鉱山専用軌道に置き換わり、 その後も東赤谷駅は鉄鉱石の積み替え基地として機能していたらしいのですが、 貨物営業廃止から1年と経ずして、赤谷線は1984年4月にその歴史を閉じました。 先っぽだけ残った鉱山専用軌道も、1999年ころ廃止されたそうです。 ↑スイッチバックなので、駅名標の『あかたに』の方向とは反対に発車していったことを覚えています。
去っていく駅名標をあわてて撮影した、という状況ですね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 読者の皆さんは、めったに来ることのできない場所に来たとき、 「生きているうちにもう一度ここに来ることがあるのだろうか?」 という感慨にとらわれたことがありませんか? 私は折り返し列車が東赤谷駅を発車するとき、初めてその感慨を持ちました。 そこに親戚知り合いが住んでいるとか、観光地があるとかなら再訪の可能性もあるのでしょうが。 実は一度も海外に出たことがなく、 国鉄再建法により相次いで廃止になった路線の半分も乗ったわけでない私が言うのもおこがましいですが、 北海道の根室標津駅、紋別駅、上砂川駅、十勝三股駅、新潟の蒲原鉄道村松駅、九州の佐多岬・・・ 思いついただけでも、結構あります。 交通の便が良いかどうかというのは、案外無関係なのかもしれませんけど。 |
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貴重な画像を楽しませてもらいました。
2007/2/21(水) 午前 1:49
貧乏高校生はフィルムを節約したくて、この3枚が赤谷線全ての写真です。駅舎や駅前や鉱山方向の風景も撮影しておけばよかったと、記事を書いて思いました。
2007/2/21(水) 午前 2:09
赤谷線は乗りたいと思いつつ、結局乗ることができませんでした。廃止前に発売された記念切符だけはなんとか買いましたが…。
2007/2/21(水) 午前 7:55 [ kom*c*i10*4 ]
消えた終着駅数あれど、ここの再訪はありえないでしょうねぇ、観光地でもないし・・・。私も、もっと当時の線路写真を多く残しておけばよかったと後悔しています。入場券や記念切符からは何も伝わってきません。この金を写真の1枚にでも使っておけばと・・・
2007/2/21(水) 午前 11:47
こまちさん>関西からはそう気楽に行ける場所ではないですし、仕方ないですよ。私も関西から中国地方は、あまり乗りつぶしていない空白地帯ですからねえ。しかしよく記念切符をゲットされましたね?
2007/2/22(木) 午前 1:32
LUNさん>方法がよく分からないと書いていらしたLUNさんからトラバいただけるとは、感謝感激です!でもLUNさんの記事のほうが面白いかも(笑)・・・私も列車1本見逃したかったけど、15時ころの列車で次までかなり間があいていて、できませんでした(泣)。
2007/2/22(木) 午前 2:50