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先日(4/30)の天皇賞(春)、ディープインパクトは見事なレースを見せてくれました。
しかし天皇賞(春)と言えばライスシャワーと、私は思っています。
1995年春季、天皇賞(春)は明け4歳ナリタブライアンの楽勝という下馬評でした。
無理もありません、前年のクラシック3冠総なめプラス有馬記念までモノにし、この年の始動戦阪神大賞典も1.1秒差のブッチギリ!下してきた相手を考えると今年のディープインパクトより段違いに強かった、と私は思います。特にクラシック3冠最終の菊花賞では天皇賞(春)に似た京都芝3000mコースで2着に1.1秒差をつけており、それがより天皇賞(春)戴冠を当然のことと思わせました。
そんな3月下旬のある朝、私の妻(=ウチのオカン)が「夢を見た」と言い出しました。曰く、今にも降りそうな雲り空の下、ライスシャワーが早め先頭で押し切るシーン、2着はハギノリアルキングか追い込んできた馬か・・・ずいぶん具体的な?夢ですが、その時の私は相手にもしませんでした。1992年の菊花賞でミホノブルボンの3冠を阻止し、1993年の天皇賞(春)でメジロマックイーンの3連覇を阻止した『関東の刺客』も往年の走りが見られず、直前の日経賞ではインターライナーごときに(失礼)1.3秒差もつけられ完敗しており、「もうライスシャワーは終わった」の声も聞かれていたのでした。それでもライスシャワーが天皇賞(春)に勝つと言うのは、当時かなり勇気のいることだったと思います。
ところが、その後ナリタブライアンが股関節炎のためまさかの戦線離脱!天皇賞(春)は一転して主役不在の混戦模様となり、もしかしたら勝てるかも・・・の各陣営の一念かこのレースにしては出走登録馬多数となりました。そして妻の夢が正夢になる可能性も無きにしも非ずとなり、私は間際になって背中を押されるかのように新幹線で行く京都1泊2日ツアーを予約したのでした。
1995年4月23日天皇賞(春)当日、朝から生暖かい雨。
やはりG1レースだけあって京都競馬場はすごい人出で、慣れない競馬場で居場所もなくあちこちとさまよううちに、ようやく雨も上がり妻の夢と同じ風景となってきました。
15時30分、10R天皇賞(春)がスタート、雨上がりの芝に各馬は好位置を取りたい、しかし長距離戦特有の周り様子見ペースでスタンド前を通過しレースは淡々と進んでいきます。隊列が1コーナーを通過し2コーナーを通過したとき、スタンドから喚声が上がります。ターフビジョンに映し出されたのは、何と1頭明らかに違う足色で各馬を抜き去っていくライスシャワーではないですか!向正面の直線を利して3コーナーで先頭に立つと、ざわめきは一層大きくなります。無理もありません、いくらなんでも仕掛けが早すぎる!
そして4コーナーを先頭で通過し・・・たかだか30秒程度の直線の攻防は、馬、騎手、関係者、そして観客にとってどれだけ長く感じられたことでしょう。逃げるディフェンディングチャンピオン、そうはさせじと追いすがる格下の好調馬たち・・・彼らに『また今度』はないのです、この先五体満足好調維持でG1レースに出走できる保障は何もないからです。重馬場を大外からステージチャンプが強襲し、差しきったかというところで2頭がゴール板を通過・・・
ライスシャワーが3つ目のタイトルを手にしたこのレースは、今でも有名な名勝負として語り継がれています。私がなにもわざわざ駄長文をブログに載せる必要もないでしょう。ただ彼の2つ目までのタイトルが大本命を倒し『マーク屋』と呼ばれてのものだったのに対し、このレースのタイトルは真に自らの実力と格を証明してみせたものだと、私は思っています。そしてそれをたまたまライヴで観戦できたことは、私にとってこの上ない『宝』となっています。
もし宝塚記念の頃までこのブログが続いていてなおかつ私の気力があれば、またライスシャワーについて駄文を書きたいと思っています。それではまた。
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いつかの年末特番で、小島・田原 両騎手(註:当時)が、「あの馬は‘線’が良い」と言っていたのを思い出しました...また、そのビデオを見ましょうかね...
2006/5/4(木) 午前 9:57 [ nenbuds ]
そうですね、線は細かったですが決して華奢なわけでなく、JRAの『ヒーロー列伝』ポスターを見るにつけ、今でも「カッコイイなあ・・・」と思います。あのポスターまだ余ってないですかねえ?
2006/5/6(土) 午後 10:42