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鉄道思い出話
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あまりにも膨大すぎる数量に気が遠くなりますが、 新しいスキャナを買ってから少しづつ少しづつ、昔の写真ネガを画像に変換しております。 今回はモノクロネガの中から1980年11月ころ、 ちょうど30年前の国鉄鶴見線安善駅および浜川崎駅の写真をお見せしましょう。 まずは安善駅ホ−ムから撮影の写真。 当時特に追うような存在ではなかった、EF15です。 もし今でも現役だったら、すごい人気者でしょうね。 このころDD13が現役だったんですねえ…今や博物館モノですからねえ。 続いて浜川崎駅(南武支線)のやや尻手寄り、線路際から。 特にどうということもない、タンク車編成の貨物列車が発車していきます。 この後左に曲がって鶴見→高島貨物線→桜木町を経て根岸に向かうのでしょう。 予期せず自分の方向に曲がってきたのであわてて撮った、という感じの変な構図。 おお、みごとな流し撮り! …というよりも学校引けてから来るとあっという間に日が暮れて薄暗くなってしまい、 シャッタ−スピ−ドを落とさなければ撮影できなかったので、 "流し撮らざるを得なかった" のが本当のところでしょう。 モノクロフィルムだから失敗してもいいや、という安心感もありましたし(笑)。 当時を知る方には懐かしくご覧いただき、
知らない方には油の臭いがしてきそうな昭和の工場地帯の雰囲気を楽しんでいただければ、幸いです。 |
コメント(4)
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神奈川県は横浜市神奈川区幸ケ谷、京浜急行神奈川駅北東側の高台に位置する幸ヶ谷公園。 園内には桜の木が多く、春先は花見客で賑わいます。 私が高校生のときにしては珍しくここで季節の花(桜)と鉄道を絡めた写真を撮っていまして、昨年ポジマウントを発見したときは「よし、来年の桜の時期に発表するぞ!」と意気込んでいたのですが、すっかり忘れていまして今週末ようやく(ぎりぎり?)思い出すことができました! まずはもう見られない153系電車、急行『伊豆』号だったか普通列車だったかは思い出せません。 廃車が近かったためか、サロ152の窓下には懐かしいグリーン帯が残っています。 続いて当たり前すぎてその頃カメラを向ける気にもなれなかった、横須賀線113系電車。 東海道線と横須賀線が分離運転となったのが1980年10月、先ほどの153系電車が東海道線東京口から姿を消したのが1981年10月ですから、スカ線が国鉄線線路6線の最も山側を走っているということは記録を取ってなくてもこれらの写真が1981年4月上旬のものと特定できます(苦笑)。 183系電車だけは列車は変われども、今でもここで桜とともに見ることができるはずですね。 幸ヶ谷公園にはまた行こうまた行こうと思い続けてもう何十年もご無沙汰していますが、線路を見下ろす風景や桜の時季の賑わいは、おそらく変わっていないことと思います。 おまけで通っていた高校の敷地内にあった、桜のトンネル。 万一ここがどこだか分かってしまった方は、内緒コメントで連絡お願いします(笑)。
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この記事の主旨はというと、スキャナを買うと決めたが休日のヨドバシカメラは混み合っているので、 その前に時間調整で実家に寄ったらお宝ポジフィルムを発掘してしまった・・・といったところです。 スキャナをあれこれいじくり回し、ようやく使い方が分かってきたのがこの時間となりましたので、 説明なしで画像だけ掲載して、寝ます! (写っている車両や列車について、どんな方法でもご質問いただければお答えいたしますm(_ _)m) 一応・・・鉄道車両や季節の花(桜)が写っているフィルムのコマ順から推定して1981年3月頃、
国鉄東海道線(京浜東北線)新子安駅付近での撮影です。 他のコマもいずれ掲載しますので、しばらくお待ちください! |
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めでたいことがあった日ばかりが記念日ではありません! 過去の出来事をいつまでも忘れずに思い起こすための "記念日" というのもあるはずです。 掲載すべき日付が少し遅れましたが、 北海道(道東、道北)の国鉄特定地方交通線長大4線と呼ばれたうちの3線、 JR北海道の標津線、天北線、名寄本線が廃止になってから今年で20年が過ぎました。 (1989年4月30日に標津線、翌5月1日に名寄本線、天北線が廃止) 長大ローカル4線の残り1線、池北線は第三セクター北海道ちほく高原鉄道として生き残りましたが、 結局2006年4月21日に廃止となったのは、鉄道好きな方々には記憶に新しいところと思います。 私は標津線と天北線には1983年に乗車済みでしたが、無くなるとなると(苦笑)もう一度乗っておきたく なったのと、名寄 『本線』 と名の付く路線に未乗のまま終わるのは失礼な気がして(?)、 1989年4月中旬に3路線をまとめて訪れました。 その際使った道内時刻表はどこかに埋もれてしまいましたが(捨てたわけはない)、旅行時に駅でもらった 廃止特集情報紙がまだ残っていたので、巻末の3線廃止時時刻表を掲載します。 (興味のある方は画像をクリックし別ウインドウで現れたのを再度クリックすると大きくなります) ついでに、3線訪問時に利用した "北海道ペアきっぷ" と名寄本線紋別駅発行指定券、観光入場券です。 (読みにくいですが入場券表面左下には 『流氷の来る街紋別、心に残る白い旅』 と印刷されています) 紋別は長大4線の起終点を除く沿線で唯一市制を敷いていた街で、また唯一みどりの窓口がある駅でしたが、 特定地方交通線指定の波はそのことさえ例外としませんでした。 廃止時時刻表を見ると紋別〜遠軽間なら早朝から深夜まで9往復半の列車が設定されていて、 先日行った米坂線とどっこいの列車本数なんですけどね(苦笑)。 おまけで、きっぷの裏をモノクロでお見せしましょう。 余談ですが立席特急券って "リッセキトッキュウケン" と読むのですね、初めて知りました(汗)。 特定地方交通線指定にあたって、輸送密度の算出が区間単位ではなく路線名称単位で行われたことが
問題となりましたが、杓子定規に数字が適用され再生可能かもしれないローカル線まで消えていきました。 某首相が主張展開した "日本列島改造論" は良きも悪しきも問題提起にはなっていたのですが(笑)、 その後公共交通の衰退は進行し、都市の過密と地方の過疎(地域格差)はさらに顕著になっています。 オーバーかもしれませんが、日本の国(政治)が過疎地帯と呼ばれる地方にどういう施策をしてきたのか… 考えながら特定地方交通線廃線跡を眺めるのも、また有意義な時間とお金の使い方だと思います。 |



