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鉄道思い出話

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寝台特急『みずほ』

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1981年夏、東海道線新子安付近を走る下り寝台特急『みずほ』です。
下りは横浜18時20分ころの発車だったと記憶してますから、この写真は日が長い時期のものですね。

14系寝台客車による運転で、基本編成が熊本行き、付属編成が長崎行きでしたが、
先に発車する『さくら』『はやぶさ』と同じ経路を続行運転しているようなダイヤで、
どうしても地味な補完列車のイメージが付きまとう列車でした。
当時寝台券を買う際も、申込書の第一希望欄に『みずほ』を書く人は少なかったのではないでしょうか。

影の薄かったこの列車は1994年12月、東京〜九州間寝台特急の先陣を切って廃止されました。
ブルトレ嫌いだった私の手元に残る、数少ない寝台特急の写真です。

余談ですがYahooで『みずほ』を検索すると、
某金融グループ関係のサイトが延々出てきて、何十件か見たところであきらめました。
日本有数の金融グループと過去の地味な寝台特急愛称とは、比較の対象にならないでしょうが、
一鉄道ファンとしては、なんだか寂しいです。

荷33列車

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1980年か81年頃、東海道線新子安付近を走る下り急行荷物33列車です。
当時幹線では旅客列車に荷物車を連結すると積み下ろしでダイヤの遅延を招くのと、
(それでも静岡行き普通電車などにはクモユニ74が連結されていたのですが)
専用列車を設定できるほど取扱荷物量が多かったので、
このような急行荷物列車が何本か定期設定されており、白昼堂々EF58形電気機関車が走っていました。
EF58は1984年に急行荷物列車から引退、急行荷物列車そのものも1986年に消滅しました。

写真が無いのですが、1975年3月ダイヤ改正で消滅するまで東海道線東京口に、
『高千穂・桜島』という客車急行が定期で発着していました。
先頭はもちろんEF58、スロ62やオハ35といった旧型座席客車が12両くらい連なって、
門司で分割し『桜島』は鹿児島本線回り、『高千穂』は日豊本線回りで西鹿児島に向けて走っていました。
東京発が10時ちょうど、私が見かけるようになった頃はグリーン車1両のみ指定席で普通車は全て自由席、
『桜島』は西鹿児島11時43分着(翌日)、『高千穂』は同じく14時20分着だったと記憶しています。
愛知県の父の実家まで『桜島・高千穂』に乗って連れてってくれ〜と親に再三せがんだのですが、
小学生の夢?はかなわず、一度も乗車することなく終わりました。

EF65 505

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EF65形電気機関車500番台(いわゆるP形)は、
1970年代後半まで、東海道線東京口の寝台特急牽引専用で使用されていました。
1975年くらいには『ブルトレブーム』で、
東京駅横浜駅あたりのホームには、大人子供問わずカメラを持った鉄道ファンが鈴なりでしたが、
子供の頃からヘソ曲がりだった私は見向きもせず、急行列車や地方のローカル列車が大好きでした。
今思うと、2〜3枚くらい撮影しておけば良かったかなあ・・・とも思います。

写真は国鉄がJRに移行したかしないかの頃、つまりとうに寝台特急牽引から引退していた頃の、
新鶴見機関区(神奈川県川崎市)一般公開の際に撮影したものです。
この時も500番台に特段の興味はなかったのですが、この写真だけが唯一マトモに残っています。
たぶん・・・関水金属(現KATO)から発売されていたNゲージ鉄道模型EF65形500番台の製品モデル、
505号機だったからだと思います。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

1970年代末期から80年代初めにかけて、
東海道線横浜界隈で撮影した国鉄修学旅行用電車(修学旅行電車)たちの写真です。

写真1枚目は関東でもおなじみだった、155系電車。
湘南色ではありますが、なにか風変わりな、親しみやすいようなレトロなような外観です。
まだ修学旅行色だった頃、私は小学校の日光修学旅行の際お世話になりましたが、
頭もたれがついた片側3人がけの座席に、頭上枕木方向に設置された荷物棚、
全ボックス席に脱着式の大型テーブルがついていて、
そのため人が乗っていなくても車内がにぎやかに感じたものです。
さらに洗面台が妙に広く、壁に速度計が付いていたのは感激でした!
湘南色になると共に、車内も153系電車と同じ一般急行型仕様に変わってしまいましたが。

写真2枚目は中京地区用の、159系電車。
155系電車との違いはほとんどなく、当初から車内が一般急行型仕様だったというだけでした。
このときは修学旅行列車としてではなく、
東海道新幹線を半日運休して施設整備をした、いわゆる『若返り工事』の際の代替臨時急行、
『東海52号』(確か)として大垣からやって来たと記憶しています。

写真3枚目は修学旅行用でなくただの153系電車なのですが、
2両目と3両目は関西から転属の『新快速色』と呼ばれる車両。
この列車は159系に代わって中京地区からやって来た、修学旅行列車なのです。
いま思うに、1980年代初めでもまだ修学旅行に在来線を使っていたのですね。
新幹線の輸送力に余裕ができたのか、
シーズンには毎日夕方決まった時間に下っていた列車は、気づかぬうちに消えていました。

今の神奈川県の小学生が日光修学旅行の際お世話になるのは、183(189)系特急型電車。
それが登場した頃に日光に行ったオジサンとしては、「贅沢だぞ!」と言ってやりたいのですが、
修学旅行需要のおかげで183(189)系が生き残っているのも、また事実です。

VOITURE AMITIE

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1990年初秋ころ長野県内のJR小海線のどこかの駅で撮影した、
行き違い停車中のキハ58系気動車です。

まだ長野新幹線が開業しておらず碓氷峠をEF63形電気機関車が上り下りしていて、
青春18きっぷで
小田原→富士(身延線)甲府→小淵沢(小海線)小諸(信越本線)高崎→大宮→新宿→小田原の行程が、
日帰りでこなせる時代でした。

JR車両の地方カラーリングが華やかになった頃で、
そういう情報に疎かった(今でも疎い)私は出かけて初めて知る情報も多く、
特にこの小海線の『飯山線色』は新鮮でした。
塗色が変わっただけで、
何度か通ったことのある車窓が新鮮に見えたのを覚えています。
(何コレ?と思うカラーリングも多いんですが・・・f^_^;)

『VOITURE AMITIE』とは、
フランス語で「友好(列)車」「友情(列)車」という意味だそうです。
なかなかオシャレな装飾の気動車に乗って、
夏は窓全開にして高原の風を受けるのは至福のひとときでしたが、
車両の老朽化とJRお得意の『効率化』『速達化』には勝てず、
キハ110系気動車への置換えと長野新幹線開業後は、
すっかり足が遠のいてしまいました。

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