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鉄道思い出話

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1979年11月に訪れた、会津若松駅と国鉄会津線会津滝ノ原駅の写真です。

写真1枚目は、発車時刻を待つ急行『いなわしろ3号』(確か)。
2両直列に並んでいるキハ20(確か)のうち、どちらかが只見線只見行き、
もう一方が会津線会津田島行きです。
(確か)が多く付いてしまうのは、当時の時刻表も記録も何も残っていないためです。
確かついでにこの列車は仙台か福島始発で、キハ58の本編成が確か喜多方行き、
会津若松で切り離されたこの2両が只見・会津田島直通、
翌早朝にはそれぞれ逆行程をたどって会津若松で合体、仙台か福島へ向かっていたと記憶しています。

当時、『福島・会津磐梯ミニ周遊券』というのが存在し、東京都区内から学割で確か\5,000を切る価格。
都区内からの往復に東北線・常磐〜磐越東線・高崎〜上越〜只見線(もっとあったかもしれない)が選べ、
東北線郡山〜福島(あたり)・磐越東線(郡山〜途中まで)・磐越西線郡山〜喜多方・日中線・
只見線〜会津線(会津若松〜途中まで)の自由周遊区間共々急行列車の自由席が乗り降り自由、
という素敵なきっぷでした。
自由席主体の夜行急行列車が東北線を頻繁運転していた時代でしたから、
終夜営業の郡山駅ホームの待合室を一夜の宿にすることができ、
寒い時期には燃え盛る石油ストーブにお世話になりました。
このきっぷと缶コーヒーと菓子パンくらいで2〜3日過ごせましたから、いい時代だったんですね・・・

写真2枚目は確か周遊券を乗り越しして下り一番列車で訪れた、会津線会津滝ノ原駅です。
写っている車両は当時まだ生き残っていたキハ55、
転車台や給水塔を見ていると、今にもSL列車がやってくるような錯覚にとらわれたものでした。
こんなひなびていた駅が、今は会津高原尾瀬口という駅名になって、浅草から直通電車がやってくるのですね。
再訪したいとは思ってますが、自分が浦島太郎になるのが怖いような、複雑な気持ちです。



≪追記≫2007年1月16日夜
『鉄道ダイヤ情報』2月号を読んだところ、急行『いなわしろ』にはキハ52が充当されていたそうです。
キハ20ではパワー不足でスピードが出せず、東北本線のダイヤに影響が出るためだったそうです。
謹んで訂正させていただきます。

『ホリデーヨコハマ』

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1989年、東北線小山から横浜まで週末を中心に運転されていた、快速『ホリデーヨコハマ号』の写真です。
『横浜博覧会』が開かれていたこともあり、発足して3年目のJRがそれまでなかった柔軟性を見せて、
当時珍しかった武蔵野貨物線経由で運転された臨時列車でした。
だいぶ前の記事の通り、私は『横浜博覧会』が大嫌いで訪問客の増加は迷惑なだけでしたが、
武蔵野貨物線を通過することができるのが魅力で、横浜から大宮までわざわざこの列車に乗り鉄しました。
当時は知名度が低く、ガラガラの165系電車6両編成は至って快適でした。

写真1枚目は、横浜駅8番線に入線する、『ホリデーヨコハマ号』。
>ヘッドマーク付の堂々たる姿です、駅のあちこちに横浜博覧会の案内が見えます。
写真2枚目では、専用サボ(行先案内板)まで用意されていたことが分かります。
>楚々として見えるモデルのお嬢さんは、現在の我が家のオカンです(笑)。

横浜博覧会が終了し秋の行楽シーズンになると運転区間が鎌倉まで延長され、
『高崎色』の165系電車6両編成はなかなかの混み具合を見せるようになりました。
この運行形態は現在の『ホリデー快速鎌倉号』へと引き継がれて、現在に至っています。

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20系特急型寝台客車

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20系特急型寝台客車は、日本で初めて「固定編成」を組むために設計された客車で、
冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両でした。
統一された塗色と大断面の丸い屋根、最後尾ナハネフ22の曲面ガラスを用いた流線型デザインはすばらしく、
『ブルートレイン』という愛称の起源となりました。

私がはじめて20系客車に乗ったのは、上野発常磐線経由青森行き急行『十和田』。
既に第一線を退き急行列車運用が多くなってきた時期でした。
なにせ当時の少年には、ブルートレインといえば新幹線より格上の、夢の列車でしたから、
24系客車の増加による急行格下げは乗りやすくなって歓迎ではありましたが、寂しいことでもありました。

写真は特記以外、既に寝台特急のエースではなくなっていた1979〜81年の撮影です。
写真1枚目は、長野駅で待機する大阪〜長野間運行の急行『ちくま』。
>この頃流行った、10系寝台客車+旧型客車夜行急行列車近代化のための、12系客車との混結編成です。
写真2枚目は、大分駅に停車中の、門司港〜西鹿児島(当時)間運行の急行『日南』。
>これも12系客車との混結編成(1986年撮影)。
写真3枚目は、東京駅11番線で発車を待つ、特急『あさかぜ51号』。
>1980年頃の20系客車使用の東京発寝台特急は、臨時の『あさかぜ51号』くらいしかありませんでした。
>夜のブルートレインはモノクロ写真が良く似合うなどといきがって撮影しましたが、
>改めて写真を見ると、やっぱりカラーで撮影しておいたほうが良かったなあ・・・
写真4枚目は、(確か)上野駅で発車を待つ、特急『あけぼの』。乗ったわけではありません(笑)。
写真5枚目は、急行『十和田』乗車の際お世話になった中段寝台。やっぱり狭いですねえ・・・
写真6枚目は、大阪の交通科学博物館に保存されている食堂車ナシ20-24(2002年撮影)。

1986年11月には急行の定期運用からも退き、
団体波動用となってJRに引き継がれたものも、1998年までに全車廃車となりました。
何両かが先ほどの交通科学博物館など、日本各地に保存されていますが、
ナハネフ22-1が来年大宮に開業する鉄道博物館に展示されるとのことで、
いつか訪問する際の楽しみにしています。

国鉄日中線熱塩駅

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1979年11月に訪れた、国鉄日中線熱塩駅の写真です。

ツウな方にはいまさら説明の必要もないと思いますが、
1938年に開業した、福島県喜多方〜熱塩間を結ぶ『超』のつくローカル線で、
改正鉄道敷設法予定線「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」の一部でしたが実現せず、
1980年の国鉄再建法施行により特定地方交通線に指定されると、1984年にあっさり廃止されました。
沿線には比較的人家があったのですが、末期は朝1往復夕方2往復の列車が運行されるのみで、
マイカーおよび路線バスが沿線をカバーしていたので、廃止に際して特段の反対運動もなかったと聞きます。

地元の方々に惜しまれずに消えた日中線でしたが、
ディーゼルカー1両の往復で充分なはずなのにわざわざ客車列車を運行し、
熱塩駅では機回し線を使って機関車を付け替えるという運行形態を、廃止まで頑なに守り続けました。
鉄道としての本来の使命は終わっていても、
『正統ローカル線博物館』としてその施設や運行形態を残すと、面白かったのではないでしょうか。

現役末期には荒廃していた熱塩駅舎は、今は日中線記念館としてきれいに整備されているそうで、
ホームには駅名標が残され、構内には除雪車と旧型客車が保存されていると聞きます。
会津・猪苗代旅行のついでに行くにはやや外れた場所ですが、
機会があったら行ってみたいな・・・と約20年、思い続けています。

東急東横線8090系電車

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東急東横線思い出話シリーズの最後を飾るのは、やはり思い出話には早いのですが、8090系電車です。
保留車が出ているものの全車が大井町線と田園都市線で健在ですが、
新製当初の東横線で走っていた時代の写真を、掲載します。

8090系は8000系12次車として設計製造されたもので、
コンピュータ演算による車体設計により従来のステンレス車より重量を軽量化したものです。
界磁チョッパ制御の制御段数を増やして乗り心地の改善を図っていることもあり、
当初から8000系8500系との混結は考慮されていませんでした。

8090系を初めて見たときは、かなり衝撃的でした。
貫通路付切妻の前面、コルゲート(波板)付の垂直な側面という伝統的な?スタイルが全く打ち砕かれたのです。
もっともその新製目的が東横線の急行用7000系7200系の置き換えでしたから、
主に各駅停車しか乗ることのない私にとっては無縁の存在で、たまに通過するのを『見るだけ』でした。
急行電車のみ先に大型車8両編成化されることになり、
1982年に2次車2編成が最初から8両編成で登場し、1980年製の1次車8091Fは7両のままだったので、
増結1両が新製されるまで1次車はしばらく各駅停車運用に回ったのでした♪

写真は当然、1980〜82年くらいのものです。
写真1枚目は、東白楽駅北方、デビュー直後の『東横線のエース』だったころです。
写真2・3枚目は、妙蓮寺〜白楽間。
写真4枚目も、妙蓮寺〜白楽間、2次車の珍しい『試運転』の様子です。
写真5枚目は、菊名駅南方の2次車。
写真6枚目は、多摩川橋梁、1次車8091Fが各駅停車運用で走る姿です。

1988年以降になると、将来のみなとみらい線との直通運転に備え、
前面貫通式にした制御電動車デハ8590形とデハ8690形が新製され、
従来の8両編成は5両編成に組み直されて大井町線に転用されました。
その8590形組み込み編成も5050系投入により、全車が東横線を追い出されています。
今後すぐに廃車が出ることはないでしょうが、
『東横線のエース』として、また8000系の発展型としてデビューした8090系よりも、
『東横線の主』として活躍した元祖8000系のほうが最後まで東横線に居残るというのは、
不思議なような皮肉なような気がします。


※おわび※
前回の記事『東急東横線8500系電車』の中で、写真撮影年を1978〜79年と記載しましたが、
他の写真との照合の結果1980〜82年であることが分かり、誤りをおわびすると共に記事を訂正いたします。
記憶が定かでないのですが、1982年ころは大型車8両(急行専用)、大型車6両7両に中型車8両が混在していた、
ということになります。


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